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No.652 五右衛門風呂に見る心の原点

田舎の実家に水道が来る1963年頃まで、風呂水は、母が50mほど離れた川の水をバケツ2杯に担いで何度も往復して湯船に溜めました。多分、結婚して10年以上続いたと思われます。それに薪を焚いて風呂を沸かす。夏は毎日の作業でした。
 
我が家は、五右衛門風呂でした。安土桃山時代の1594年に京都三条川原で盗賊石川五右衛門が釜茹でになったことがその由来だといいます。430年近くも前の事です。
 
十返舎一九の『東海道中膝黒毛』(1800年代初頭)の小田原の宿でのことだったか、弥次さん喜多さんは、五右衛門風呂を初めて見ます。釜の中の丸い板は、湯が沸くと釜が熱くなるので板を上から押し沈めて入るのですが、不案内な弥次喜多は、板を取り出し下駄を履いて釜に入って大暴れしたものだから釜を踏み壊してしまいます。
 
「水風呂(すいふろ)の釜を抜きたる科(とが)ゆゑに宿屋の亭主尻をよこした」
釜を踏み壊した弥次喜多は歌いますが、男色の戯れを「釜を掘る」ということと掛けて笑い飛ばしているようです。宿の主人は「尻をよこした」訳ですから「尻ぬぐえ!」つまり「弁償しろ!」と言っているのでしょう。因みに、喜多さんは「北八」とされています。
 
子供の頃、この五右衛門風呂の板を慎重に押し沈め、背中が鉄釜の壁で火傷せぬようにと、兄弟で中程に体を寄せ合って入ったものです。
 
家長の祖父が一番風呂、父が二番、子供たちが三番目に入り、祖母、母の順に入りました。我々が風呂にはいっている間に、母や祖母は、夕飯づくりをします。母が入る頃は、風呂の湯は濁ってぬるくなっていたことでしょう。
 
当時の母親たちの仕事は、この一つをもってしても大変な苦労の日々の連続だったと思われます。それは、昔から営々と続けられてきた女性の姿でした。田舎の農婦、昔の女性は「楽する」ことを考える暇がないくらいよく働きました。子供の時代に見たことは、私の心の原点となっています。
 
「朧の夜五右衛門風呂にうなる客」
(夏目漱石)

※画像は、クリエイター中川貴雄さんのタイトル「絵しりとり187」をかたじけなくしました。お礼申し上げます。