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No.918 そんなことって、アリ?

在職中のことです。文化祭の当日、クラスの催し物(模擬店での「お好み焼き」)の準備のために、生徒たちと近所のスーパーマーケットに買い出しに行きました。

卒業生の女性がレジ係をしていました。カゴの中のエビのパックを見るなり
「あっ、先生の食べられないヤツですね!」
と言ったので、ビックリしました。そうです、私は、けっこうなエビアレルギーでした。高校時代にエビで苦しい思いをして以来、エビを食べると蕁麻疹が出てしまいます。でも、なぜか、同じ甲殻類なのにカニは大丈夫です。卒業してから何年も経つのに、よくそんなことまで覚えていてくれたなと感動至極です。

その時、大学時代に、桜上水(東京世田谷区)の駅近くにできたお寿司屋さん(「だんらん」)のことを思い出しました、三十代の若い働き者のご夫婦が初めて暖簾を出した店でした。

私は、敷居が高いかなと思いつつも友人と二人で暖簾をくぐりました。開店して間もない頃だったと思います。「並の握り」を注文しただけですから、学生の身分でも大丈夫でした。エビの握りが出た時、食べられない私は友人に別のものと換えてもらいました。

それから数か月が経ち、また友人を誘って「だんらん」に行きました。同じように握りの「中」を注文したのですが、彼にエビが出た時に、私には白身の魚がさりげなく出されました。その時、何も言わずに食べました。店を出てから、気づいていた友人が、
「君には、エビを出さなかったね。覚えていてくれたんだね。」
と言いました。私は、店の大将が、何か月も前に来た一介の学生客の苦手なものまで覚えていてくれたことに感激しました。

その後、少し財布に余裕が出来た時の贅沢は、「だんらんのお寿司」でした。全く余裕のない時でも、小銭ばかりを貯めた海苔の缶持参で食べさせてもらったこともあります。そんなわがままを笑顔で受けとめてくれる心の広い山形出身のご夫婦でした。

わがままついでに、カミさんとの結納をこのお店の二階で交わさせてもらいました。
「うちには、結納の品を置けるような台がないけどな…。」
などと言っていた大将ですが、
「常連さんから借りちゃったよ!」
と立派な座卓を用意してくださったこと、その日の御造りやお寿司の、頬が落ちるほど美味しかったことも忘れられません。仲人さん、両家の親たちも心から喜んでくれました。

既に出会ってから45年が経とうとしています。東京から大分に戻って40年以上になります。上京の折には、家族でお寿司をほおばったこともあります。今も忘れずにいて下さる有り難いご夫婦です。

昨年12月、ご主人が急な病で倒れ、ICUで治療を受け70時間後に蘇生されました。私は、お客さんのネット情報でそのことを知り、胸のふさがる思いでした。死の淵から生還したのは、だれかの呼ぶ声に引き戻されたからだといいます。からい命をもうけたのは「まだまだお客さんに喜ばれる寿司を握りなさい」との思し召しだからだと思っています。

2028年8月には開店50周年を迎えます。退院後、日々治療とリハビリに励まれて、今はカウンターに立ち、生きのよいネタをいっそう美味しく料理して、お客さんたちの笑顔を輝かせていらっしゃることでしょう。こうして書いているうちにも、私の口の中は○○○の洪水です…。
 
蛇足ながら、私のエビアレルギー君は、もう飽きてしまったのか、居心地が悪かったのか、はたまた、生まれた子育て中に私の体質変化が起きちゃったのか、いつの間にかなくなっていました。そんなことってアリなのでしょうか?エビ、うまし!
 
「伊勢海老の髭のひとつが恵方向く」
 市川伊團次


※画像は、クリエイター・わたなべ - 渡辺 健一郎 // VOICE PHOTOGRAPH OFFICEさんの、タイトル「築地のお寿司」をかたじけなくしました。お礼申し上げます。