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No.894 時代の証人

「邂逅」は、高校時代に椎名麟三の小説で知った言葉で、「たまさかの出遭い」の意味です。今日のトップ画像は、私が邂逅った本に書き残された和歌のお話です。

川島つゆ著『加賀の千代女』(小学館)は、昭和17年(1942年)に初版発行された子供向けの教養本です。その表紙の裏に、女性の手と思われる歌が書き残されていました。
「昭和十八年四月二日
  村山中尉殿ヨリ
   なつかしき君の殘せし
     おくりもの
    おくりし君の
      姿を偲ばる」

一字一字丁寧に書きとどめられた筆の手跡は、十代の女性のような文字です。手慣れたというよりも純真な女学生の素人っぽい和歌でした。いったい、どんな人が書いたのだろうと、ゆかしく思われました。

昭和18年(1943年)といえば、「真珠湾奇襲攻撃」(昭和16年12月8日)で宣戦布告した日本でしたが、すでに戦況は悪化しており、
2月  1日 日本軍が、ガダルカナル島の撤退を開始。
3月  2日 兵役法改正公布(8.1施行)。
3月18日 戦時行政特例・職権特例法各公布。首相(東条英機)の権限拡大。
といった軍国一色に傾く一方で、敗戦の色もにじみ始めたころでした。
 
そんな折も折、少女(女学生?)は村山中尉なる人物からこの本を手渡されるのです。どこでどう知り合った二人なのか、少女の名前を知る手掛かりも記されていません。しかし、少女の歌には淡い恋心や慕情が読み取れます。
 
「朝顔に つるべとられて もらひ水」
加賀の千代女の有名なこの句は、女性の優しい思い遣りに溢れた歌です。村山中尉は、心優しく、芯の強い「大和撫子」であって欲しいとの願いを、この本に込めて愛しい彼女へのプレゼントにしたのかも知れません。それは、出征兵士の今生の別れとなる「忘れ形見」となったのではないかと思われました。
 
私は、この本を昭和50年(1975年)前後の頃に、神田の古本屋で購入しました。ということは、彼女か、彼女の家族が処分したと言うことでしょう。もし彼女なら、村山中尉を失ったか、他の人と結婚したために本を手放したのかも知れません。もしご家族なら、彼女が戦争か、病没で亡くなったために、古本屋に持ち込んだのかも知れません。いずれにしても、二人の心の証が刻まれた古書は、巡り巡って、私のところに落ち着いたのです。
 
彼女が村山中尉殿から贈られたこの本に、心を込めて三十一文字を書きとどめたその日から16日後の昭和18年4月18日、前線視察のためにニューブリテン島のラバウル基地を飛び立った山本五十六連合艦隊司令長官の搭乗機が、ソロモン諸島ブーゲンビル島の上空で米軍戦闘機に撃墜されました。父56歳の時の子で「五十六」と名付けられた彼は、59歳で帰らぬ人となりました。

そして、同じ昭和18年10月21日、「出陣学徒壮行会」(学徒出陣)が、明治神宮外苑競技場で大々的に開かれました。軍靴の足音は、競技場だけでなく、日本全土に鳴り響いていました。そんな時代の証人のような一冊の本を、私が学生時代に入手してから半世紀近くが経ちます。

私は、平和な日本で、この本のページを捲っています。