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No.870 懸命に生きる

もう数十年も前の事ですが、大分雄城台高校で大分支部の弁論大会が行われた時の、ある弁士の発表のお話です。
 
日本のシャンソン界の先駆者で、「ブルースの女王」と言われた淡谷のり子(1907年~1999年)さんが、戦時中、慰問をしていたときのことです。出撃命令を受けた兵士たちが、歌っている途中の淡谷さんに、無言のまま最敬礼をして出て行ったそうです。
「だからね、そのまま生きて還らぬ人になった姿を思い出すと、どうしても今の若い人たちを好きになれないのよ。」
と言っていたことに端を発し、弁士の女子生徒は、批判を受けている若者たちの中に自分がいるという認識から、命を懸けて生きるとはどういうことなのか、先人の犠牲の上に立って生きるとはどういうことなのかなど、いくつもの視点で発表してくれました。発表が終わると、会場からは大きな拍手とどよめきが起きました。
 
淡谷のり子さんといえば、戦時中に慰問活動を積極的に行った人として知られていますが、戦後は、バラエティー番組にも審査員として出演しました。

忘れ難いのは「ものまね王座決定戦」(フジテレビ)で、芸人のコロッケさんが淡谷さんの真似をする時にはそれほどでもないのですが、清水アキラさんが受けを狙ったり悪ふざけが過ぎたりするような物まねをすると、目を三角にして怒り不快感を表しました。それは、先の弁士が話していたような鮮烈な体験が淡谷さんの中にあったからでしょう。(1976年~1982年まで放映されたNHKのテレビドラマ『男たちの旅路』の中の主人公を演じた鶴田浩二の考え方や生き方にも、似ているものを感じました。)
 
私には、アキラさんは怒られることを承知で演じていたように見えました。むしろ、喜んでいるように見えました。相容れないようでありながら、二人なりの「あ・うん」の呼吸があったのかもしれません。いくつになっても叱ってもらえるのは、嬉しいことです。
 
そんな淡谷さんは、1999年(平成11年)9月に老衰のために92歳の生涯を全うされました。1937年(昭和12年)に発表された淡谷のり子さんの「別れのブルース」(作詞・杉浦洸、作曲・服部良一)のあの独特の歌声は、彼岸のステージで、あの時の英霊たちや亡くなった父母や祖父母を前にして響き渡っていることでしょう。
 
 ♪窓を開ければ 港が見える
  メリケン波止場の灯が見える
  夜風 汐風 恋風のせて
  今日の出船は どこへ行く
  むせぶ心よ はかない恋よ
  踊るブルースの 切なさよ♭


※画像は、クリエイター・harutoyamaさんの、タイトル「みんなのギャラリー用イラスト集」の「歌手」をかたじけなくしました。若い頃の淡谷のり子さんのイメージを彷彿とさせたからです。魅力的な1枚です。お礼申し上げます。