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No.955 「人の情」ありてこそ

唐突ですが、野村邦光と言う人の寄稿「ボランティア」をご一読ください。

阪神大震災から一か月。今なお二十数万人が避難所暮らしだが、全国から駆け付けたボランティアの姿が頼もしい。
 「無償の奉仕」などと訳すが、ボランティアと言う言葉にピッタリの日本語が見つからない。日本にその伝統がないから仕方がないともいう。
 しかし、がれきの街に参集したボランティアはそれを吹き飛ばした。
 「ボランティア、そんな言い方をするんでしょうね」。文部事務感を辞して間もなく福岡県の中国帰国者自立指導員を引き受けた佐藤武範さん(69)は少し照れながら話した。
 指導員の任期は三年。報酬は交通費程度。職務は帰国者に日本語と生活のハウツウ、習慣の一切をアドバイスし、時には一緒に役所にも行く。中国の旧・上海大学法学院在学中に終戦を迎え、中国語に自信があった。
 「多少でも中国を知っているから手伝える。出来ることだからする」と気負いがない。「私たちの世代はボランティアなんて言葉自体知りませんでしたね」。
 漢字の国、中国にはボランティアに相当する単語はないのか。少なくとも戦前まではなかったそうだ。では奉仕という観念はないのか。「それは違う。助け合うと言うのは世界共通の人情ですよ」と教えられた。
 「人情」か。ボランティアの訳語がやっと見つかった気分だが、今回の震災でボランティアはすっかり日本語になったのではないか。自願参加者、近年作られた中国語でボランティアという意味だそうだ。

大分合同新聞記事、1995年2月

「ボランティア」の語源はラテン語の「ボランタス(Voluntas)」で、もともとの意味は「自由意志」だそうです。それが「自警団」や「志願兵」という意味に用いられた時代もあったようですが、今日、海外では「自発的に行動する」の意味で使われているといいます。
 
日本に「ボランティア」の言葉が海外から伝わったのは、100年前の大正時代だそうですが、地位や名誉があり経済的に豊かな人々が、福祉分野で「慈善活動をする」意味に置き換えられてしまったそうです。新紙幣が決まっている渋沢栄一氏など、まさにそのようなボランティア活動をされた人としても有名です。

日本で「ボランティア」の呼び名が知れ渡ったのは、1995年1月の阪神・淡路大震災がきっかけだと言われています。この未曽有の大自然災害に心を痛めた人々は、それこそ「人の情」として駆けつけられたのだろうと思う時、野村邦光氏の前掲記事が胸に迫ります。
 
人の善意を「金のかからない労働力」と勘違いしてはばからない「やから」もいると聞きます。海外から言葉だけを輸入し、中身は自分たちの都合の良い解釈を当てはめると言うやり方が、日本人の精神なのでしょうか。あるいは、一部の人だけの発想なのでしょうか?
 
その昔、夏目漱石は明治時代の文明開化(西洋文化の導入)を「物まねで皮相的な開花だ」として厳しく批判しています。朝日新聞からの抄出ですが、

「我々があの人は肉刺(フォーク)の持ち様も知らないとか、小刀(ナイフ)の持ち様も心得ないとか何とか云って、他を批評して得意なのは、つまりは、何でもない、たゞ西洋人が我々より強いからである。それは、自然と内に発酵して醸されたものとは違い、物まねであり、皮相、上滑りの開花だ」と明治末期の「現代日本の開花」という講演で指摘した。

朝日新聞「天声人語」2004年(平成16年)1月6日記事

海の向こうで生まれた言葉を、上滑りではなく、どのように受け止めるのか。それにしても、「人情」という言葉の含蓄、包容力、博愛に、私は大いなる畏れをいだきました。


※画像は、クリエイター・れすぱいと伊豆高原さんの、タイトル「アサギマダラ」の1葉をかたじけなくしました。その説明文に、
「伊豆下田セントラルホテルではアサギマダラを呼ぶために、フジバカマを植えています。(地元ボランティア) この写真は2020年10月20日に撮影したものです。」
とありました。ボランティアの方々の幅広い活動のたまものですね。