見出し画像

No.931 もう一つのこころ旅

6月30日の「日本縦断 こころ旅 とうちゃこ」(1191日目、石川県輪島市)は、渡邉喜久治さん(京都)のこころの風景「時国家(ときくにけ)のバス停」でした。私とカミさんは、新婚旅行が石川県の金沢市から能登半島方面だったので、時国家にも立ち寄らせていただいたことを大変懐かしく思い出しました。
 
渡邉さんの依頼文は、「奥さんと初めて出会った思い出の時国家のバス停を訪ねてほしい」というものでした。半世紀も前のこと、能登へ帰省していた喜久治さんはドライブに曽々木海岸に行ったそうです。すると、最終バスの時間も過ぎたバス停に困った感じの若い2人の女性がたたずんでいました。能登観光を楽しんでもらいたいという思いから、彼女らの手助けをしたそうです。その頃は観光客が多く、空いている宿がなかなか見つからず、怪しい宿しかなかったそうですが、翌朝、再び宿を訪ねて金沢まで車で送ってあげました。これが縁となって奥さんとの交際が始まったという出会いの停車場、それが「時国家バス停」でした。
 
「下心なんかこれっぽっちもありませんでした」と書いていた喜久治さんでしたが、「後からお礼の電話を頂いたのは気になっていた女性からでした」とあった一文に、目ざとく俳優で愛の伝道師の火野正平さんが反応し「下心あったんじゃん!」と鋭い指摘をしました。
 
その話を聞きながら思い出したのは、作家・宮本輝の「途中下車」というエッセイでした。
『二十歳の火影』(講談社文庫)に収録されていたのですが、これは宮本輝が1978年(昭和53年)に「蛍雪時代」に発表した作品だそうです。そのお話のあらすじは、こんな内容でした。
 
「13年前の1965年、友人と二人で大学受験のために列車で上京した。その途中で、大変美しい女子高生が乗り合わせてきた。彼女は京都の大学を受験して伊豆への帰りだった。
 どぎまぎし、自然と言葉数が少なくなったが、仲良くなれた。受験が成功したらまたどこかで会おうと約束し、住所と電話番号を交換して別れた。
 私と友人は、美女に大いに心を乱され、今年の入試をあっさりと諦めただけでなく、浮いた受験の費用で伊豆の温泉に行って遊んだ。人生における最初の途中下車だった。親には、受験してきたような顔をして帰った。
 その半年後、友人の父が死んだので友人は進学出来なくなった。しかし、二人の間から、美しい彼女の話が消えることは無かった。そこでジャンケンをして、負けた方が彼女の実家に電話を掛けることになった。私がすることになった。彼女は合格していた。
 話をしている最中に、『ところで、あなた、二人のうちのどっち?』と尋ねられた。私は冗談のつもりで友人の名前を口にした。すると彼女は、『逢うのなら、あなたと二人だけで逢いたいな。』と言った…。
 私は電話を切った。『なあ、どうやった?どない言うとった?』と問いかける友人へ、私は、彼女は受験に失敗して勤めに出ている、もう電話しないで欲しいと言ってきたと嘘をついた。
 『ふうん、見事にふられたなァ。』友人はペロリと舌を出して笑った。この出来事は私の中から消えなかった。人生初めての失恋が痛かったのではない。自分のついてきた嘘の中で、この嘘だけが決して自分でも許せなかったからだ。今それを書けるのは、その恋敵が交通事故で死んで十年が経ったからだ。」

短いエッセイですが、美人女生徒との出会いを機に、受験から道を踏み外し、失恋を味わい、果ては大事な友人まで失ってしまうと言う何ともやるせない思い出の体験談です。あの年に受験をしておけば、彼に嘘をつかなければ、違う未来があったかもしれないという後悔の声が聞こえてきそうです。
 
受験雑誌の「蛍雪時代」に掲載したということは、「私を悪いお手本にしなさいよ」という筆者から受験生へのメッセージだったのでしょうか?

「こころ旅」の依頼者・渡邉喜久治さんは、出会った女性と結ばれました。作家の方は、美女への片思いで終わってしまいました。そして、悔やみきれない悲しい思いを背負って生きることになったのです。


※画像は、クリエイター・Suisei_Houkiboshiさんの、タイトル「沙羅双樹」の花の一葉をかたじけなくしました。お礼申し上げます。