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No.944 ガッキーの想い出


「運動会」と言うと10月10日が思い浮かぶのは「昭和も中頃の人」の証でしょうか?

1964年(昭和39年)の10月10日に第1回東京オリンピックが始まりました。その2年後の1966年(昭和41年)に「体育の日」が国民の祝日となり、さかんに「運動会」「体育大会」が行われました。
 
ところが、平成に入って運動会(体育大会)は秋から春の実施にシフトチェンジして行きます。
①     9月10月は残暑で蒸し暑く、まだ熱中症になりやすい。
②     台風の時期と重なり、安定した晴れの日が確保できにくい。
③    「受験生に秋の行事は負担が多く考慮してほしい」との意見続出。
④     秋には、その他の行事も多い。
⑤     春なら団結力を深めるのに活用でき、天気も安定している。
等々、その理由が挙げられ、平成の頃に秋から春の運動会に切り替えられているそうです。
 
面白いことに新聞社のアンケートによると、東北・北海道では春の実施を望む声が多く、西日本や九州では秋の実施を喜ぶ傾向にあると言うことでしたが、主役の子どもたちが一番大事です。熱中症の危険性、学習時間の確保などを考えると移行の理由も頷けます。
 
秋の運動会実施の頃に、孫たちの応援をしに来てくれた母を、運動会の後に40km離れた実家まで送って行った時のお話です。

家を出るとき、子供たちが、母を乗せた車を追いかけて来て、
「お婆ちゃーん!さようならー!ありがとー!」
を何度も繰り返すものだから、一人暮らしの母の胸が詰まったようでした。
 
車の中で、私が子供の頃、夏の夜に近所の人々が川辺に集まって来て、夜空にお供え物をし、読経したことをふと思い出したので、母に尋ねました。
「そりゃ、お施餓鬼(せがき)ちゅうちな、無縁仏やら亡(の)うなった子供たちが飢えで苦しんじょるじゃろうから、みんなしち食べもんを供えたんじゃ。8月18日じゃなかったかえ?」
と教えてくれました。
 
8月18日の夜、お供えした赤飯や団子(餅?)は、最後に私たちのように生きている餓鬼が分けていただいてしまったので、本当に供養になったのかどうか少し疑問でした。ただ、亡くなった人々の代わりに子供たちに食べ物を与えることで、強い命をいただこうという親心もあったのかも知れません。
 
そして、分かったことは、子供たちが村からいなくなり、その行事はついになくなってしまったということでした。少子化は、日本の農村のささやかな文化も奪っていきました。


※画像は、クリエイター・yukiotaさんの、タイトル「2015年大地の芸術祭、民俗泊物館の記録」の1葉をかたじけなくしました。子供の頃、村人たちは、まさにこんなお赤飯を炊いて集まりました。懐かしさのつのる画像にお礼申し上げます。