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No.762 「そんなのあり?」の「ありのまま」の勉強法

江戸時代の後期の人で、いつも子どもらと無邪気に遊んでいたという良寛さん(1758年~1831年)の辞世の句だと言われています。

「散る桜 残る桜も 散る桜」

美しく咲き誇っている花もいつかは必ず散ってゆきます。それは、人間も同じ謂いです。命尽きようとする自分が、生き永らえたとしても、いずれ散りゆく命に変わりはないのだという悟りのような心。桜も人も命の芽吹きから、やがて散ってゆく運命を背負って生きているのだということを実感として残した句のように思われます。
 
私が敬愛してやまない先輩教員のA先生が66歳で逝去されたのは、今から8年前の事です。前年の12月朔日に入院して、40日あまりで還らぬ人となりました。家族でお見舞いした時にも、笑顔で迎えてくれ、看護師さんとジョークをかわすほどお元気でした。しかし、病魔は、先生の笑顔も言葉も、あっという間に奪い去って行きました。信じ難い早さで…。
 
今から40年前の1983年(昭和58年)のこと、
「生徒達だけじゃなくて、我々も英語検定に挑戦しようじゃないか!」
社会科のA先生と英語科のM先生と国語科の私の3人で意気投合し、受検の申し込みをしました。受験前日には、A先生宅で「泊まり込み強化合宿」(別名、「最後のあがき合宿」)をしたほどです。
 
長く英語から遠ざかっていましたから、不安や緊張は隠せません。自分だけ不合格になるという不名誉な結果にだけはなるまいと、3人とも黙々と自学に打ち込みました。時計の音がハッキリ聞こえ、自分だけの世界と思えるほど集中しました。しかし、シンデレラの乗った馬車がカボチャに変わるよりも少し前に、A先生が緊急提案しました。
「直前の付け焼き刃よりも、前祝いはどう?」
 
「何をおっしゃるんですか!こんな大事な時に!」
などと誰一人として憤ることも反対することもなく、「神聖なる学習の場」は、一転「にわか飲み会の場」に変貌しました。しかし、舌が滑らかになるのに比例して頭が柔らかくなったお蔭か、力みというか緊張感が失せてゆきました。そして、翌日のテストの結果は「合格」という、世界の七不思議に数えられそうな珍現象となってあらわれました。もう、「A先生マジック」と言うしかありません。
 
「そんなのあり?」の「ありのまま」の勉強法を教えて下さった先輩は、もういません。私は、残る桜ではありますが、いつの日か、先生が見ることのできなかった70代以降の世界を土産話に出来るよう、心して生きたいと思っています。

「あたらしい じぶんとともに あゆんでく」
小学生が中学生になる自分に向けて詠んだ句だそうです。60代から70代に向けて歩む私の心にストンと落ちてきました。

※画像は、クリエイター・fee_drageeさんの「漢検4級合格!次は漢検3級か英検準2級か?」をかたじけなくしました。ほっと(ホット?)する1葉です。お礼申します。