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No.1113 「竜が出るぞー!」

今年は辰年です。芥川龍之介の短編小説「竜」を青空文庫で読むことが出来ます。
 
宇治の大納言隆国(1004年~1077年)は、平安時代の説話集『宇治拾遺物語』(『宇治大納言物語』)の作者と伝えられます。その巻第十一「六 蔵人得業猿澤池ノ龍ノ事」に取材した龍之介の作品「竜」についての大胆にも程がある粗筋ですが、お許しください。
 
この源隆国は億劫千万な性格から、往来の人々に呼び掛けて、
「今は昔の物語を一つずつ聞かせて貰うて、それを双紙に編みなそう」
と物語集作成の計画を立てます。
 
最初に声を掛けられた陶器(すえもの)造りの老人が、こんな話をしてくれました。
 まだ自分が若かった頃に、蔵人得業恵印は、途方もなく大きな鼻をしていたので、奈良の町の人々から、「鼻蔵」(鼻蔵人)と呼ばれていました。当然、彼は内心不快に思っていました。

 ある夜、恵印(鼻蔵)は、普段からからかわれているので、人々に仕返しをしてやろうと、興福寺の猿沢池のほとりの采女(うねめ)柳の堤に、
「三月三日この池より竜昇らんずるなり」
と筆太に書いた高札を立てました。

 同じ坊に住み、普段から互いにライバル視している恵門法師も立札に関心を持った様子だったので鼻蔵さんは「しめしめ」と悪い気がしません。恵印としては、軽い悪ふざけのつもりでしたが、意外にも「竜が昇る」という噂は、たちまち畿内一円に広まってしまいます。

 しかも尾ひれまでついて、「竜の正体を見た」と名乗り出る男まで出てくる始末です。噂が拡散するうちにとんでもない方に向かってしまう21世紀の情報の世の中を見透かしたような一文です。

 恵印は立札が大評判になるだけで満足していましたが、噂を聞きつけた摂津国桜井に住む恵印の叔母までが噂を信じ、見物にやってきて、
「わしもこの年じゃで、竜王の御姿をたった一目拝みさえすれば、もう往生しても本望じゃ。」
と、一緒に見に行く約束までさせられ、引っ込みがつかなくなってしまいました。

 初めは奈良の老若男女を担ごうと思って始めた嘘の立て札でしたが、今や大和はおろか、摂津・和泉・河内・播磨・山城・近江・丹波あたりまで「竜が出るぞー!」の噂が広まって何万人も騙すことになり、何か恐ろしく、後ろめたい気持ちが生まれてきました。

 とうとう鼻蔵恵印の悪戯の運命の日(3月3日)がやって来ました。竜の昇天を一目見ようと、叔母はもちろんのこと、揉烏帽子(もみえぼし:一般男子)や侍烏帽子(さむらいえぼし:武士たち)が人山を作った中に、あの恵門法師の姿もありました。恵印法師は、先の恐ろしさや不安を忘れ、この男に仕返ししてやったという気になりました。

 聞きつけた貴族たちまで見物に仲間入りし、人々は朝から昼、昼から夕方まで時が移るのも忘れて、今か今かと奇跡を待っていました。ところが、いつしか、嘘をついている恵印自身まで本当に竜が昇天するのではないかと思うようになりました。こういう状態になることを専門的には何というのでしょうか?でも、いかにもありそうな心理なのです。

 恵印がそこへ来てから、やがて半日もすぎた時分に、線香の煙のような一筋の雲が中空にたなびいたかと見ると、それが大きくなって一転にわかに掻き曇り、どっと雨が降り出し、神鳴が轟き、稲妻が飛び交いました。
 
 そして、池の水が柱のように巻き上がると、水煙と雲との間に、金色の爪を閃かせて一文字に空へ昇って行く十丈あまりの黒竜が、朦朧として映りました。慌てふためいた見物人たちは、右往左往し逃げ惑いました。しかし、叔母だけではなく、その日そこに居合せた老若男女は、雲の中に黒竜の天へ昇る姿を見たと言いました。

 一番信じられなかったのは、恵印法師自身だったでしょう。なにせ、人を担ぐはずの虚言だったのに、本当にその通りになってしまったのですから。とんでもない嘘から出たまこと?

 後になって、嘘が本当になったことを自慢してやろうと、「実はあの高札は自分(恵印)が立てたものだ。」と白状したのですが、もはや、誰も信じる者はいませんでした。

 ひょっとしたら、「三月三日この池より竜昇らんずるなり」の太文字が、「画竜点睛」のエアー瞳に点じる一筆になったのかもしれません。

 「次は行脚の法師の番じゃな。」と宇治の大納言隆国は指名しました。
「何、その方の物語は、池の尾の禅智内供とか申す鼻の長い法師の事じゃ?これはまた鼻蔵の後だけに、一段と面白かろう。では早速話してくれい。――」
で、この作品は終わっています。
 
芥川龍之介の「鼻」は、1916年(大正5年)2月に文芸雑誌「新思潮」で発表されました。龍之介は、1919年(大正8年)4月のこの小説「竜」の末文で、すでに発表していた小説「鼻」の存在をアピールしているのです。あの時代、こんな形のCMもあったのですね。心惹かれる終わり方でした。


※画像は、クリエイター・sekky さんの「猿沢池」の1葉です。奈良公園にある周囲360メートルの池です。興福寺の五重塔が周囲の柳と一緒に水面に映る風景は趣があります。お礼を申し上げます。