見出し画像

No.871 「ならましもの」は何ですか?

もうかれこれ半世紀になりますが、大学時代に知己を得た若者は、英会話の学校に通っていました。ある日、我が三畳間の下宿に突然やって来て、LL教室(「Language Laboratory<語学実習室>」)の時間に好きになった女生徒の話を熱っぽく語ってくれました。
 
「今日、外国人講師から参加者全員に質問されたんです。
『あなたは、何になりたいですか?』
と…。何人かの後に指名されたのがその子だったんですが、
『汗になりたい。』
と小声で答えたんです。僕はヘッドホンを強く耳に押し当てて聴きました。
『ん?どうして、汗になりたいですか?』
と先生が再び質問すると、
『一生懸命に働いている人にしか流れない汗になって、その人の傍にいたいです。』
とこたえたんですよ。すごいでしょ!ぼくは、一気に好きになっちゃったんです。」
 
そんな内容でした。興奮気味の彼の口ぶりは片思いの証でしたが、確かにいい話、いい感性の持ち主だなと思いました。ところで、今もLL教室ってあるのでしょうか?
 
『万葉集』巻2に、大津皇子と石川郎女(いらつめ)の相聞歌があります。
    大津皇子の石川郎女に贈りし御歌一首
107「あしひきの山のしづくに妹待つと我れ立ち濡れぬ山のしづくに」
(山の雫に濡れながらあなたを待って立っていました。山の雫に濡れながら。)
    石川郎女の和し奉りし歌一首
108「我(あ)を待つと 君が濡れけむ あしひきの 山のしづくに ならましものを」
(私を待って、あなたが濡れたという、その山の雫に私はなりたいものです。)
 
さて、天武天皇と大田皇女(天智天皇の娘)の長男として生まれた大津皇子は、「山中で、長い間、あなたを待ち続け、雫に立ち濡れてしまったよ。」と歌っています。その大津皇子の嘆きに呼応するように石川郎女は「山のしづくに ならましものを」、つまり、「(私も)山のしずくになりたかった。」と歌うのです。
 
「山のしづくに ならましものを」
のこのフレーズは、1300年という日本人の心の底流にあったもので、その遺伝子が、LL教室で「汗になりたい」といったあの女生徒の言葉に蘇っているのはないでしょうか。
 
「ならましものを」の例として『万葉集』巻14には、防人(さきもり)と妻との贈答歌があります。
3567「置きて行かば 妹(いも)はまかなし 持ちて行く 梓(あずさ)の弓の 弓束(ゆづか)にもがも」
(後に残して行けば、妻がかわいそうだ。持って行く梓の弓の弓束であればよいのに。)
3568「後(おく)れ居(い)て 恋ひば苦しも 朝狩(あさがり)の 君が弓にも ならましものを」
(残されて恋い慕ったら、さぞ苦しい事でしょう。朝狩りにあなたが使う弓にでもなれたらよいのになあ。)
 
「君が弓にも ならましものを」
とは、「あなたが引く弓となって、(防人となって行くあなたと)いつも一緒にいたい」という恋慕の情でしょう。叶わぬが故の切実な思いが「ならましものを」であり、日本人の心に営々と脈打ち続けている魂の言葉なのではないかと思うのです。
 
あなたの「ならましもの」は何ですか?
私は「SY-70」になりたいと思っています。
何と、本邦初公開の明日のコラム予告です。


※画像は、クリエイター・木村りんごさんの、タイトル「雨の日曜日」の「若葉のしずく」をかたじけなくしました。「寄り添う」のイメージにピッタリです。お礼申し上げます。