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No.943 その実の味は?

その昔、夢のお告げ(?)で始めた「イエローカード」(家庭とクラス担任との交流カード)がありました。これは、私が40歳前後の、まだ髪がフサフサしていた頃のお話です。
 
ある日の「イエローカード」に、
「私の故郷は野口英世博士と同郷、幼い頃からこの言葉で育てられました。
『忍耐は辛し、されどその実は甘し。』
今の子どもたちに贈りたい言葉です。」
とありました。
 
福島県耶麻郡猪苗代町にある「野口英世記念館」のホームページには、次のようにその人生の概略が紹介されています。

「1876(明治9)年、福島県猪苗代に生まれた野口英世は1歳半の時に左手に大やけどを負いましたが、恩師・友人・家族の励ましと援助を受けその苦難を克服しました。
 左手の手術により医学のすばらしさを実感し、自らも医学の道を志しました。
 アメリカのロックフェラー医学研究所を拠点に世界で活躍し、ノーベル賞の候補にも挙がりました。
 1928(昭和3)年、西アフリカのアクラ(現ガーナ共和国)で熱病の研究中に感染し51歳で亡くなりました。」

医師・野口英世は、伝染病の研究に生涯を捧げ数々の論文を発表し、ノーベル生理学・医学賞の授賞候補に3度(1914年、1915年、1920年)名前が挙がったそうです。残念ながら、西アフリカで自ら黄熱病に感染し、「どうにも私には分からない。」の言葉を残してこの世を去りました。
 
彼の研究については、否定的な意見もあります。ウイルスが観察可能になるのは、光学顕微鏡ではなく、電子顕微鏡の発明と商用化以降のことだそうです。初めて電子顕微鏡(透過型電子顕微鏡)が発明されたのは1931年だそうで、野口英世の研究にも限界はあったろうと思われます。
 
人類のために研究に没頭した「忍耐は辛し、されどその実は甘し。」の言葉は、「苦しみに耐え忍んでこそ、良い結果がもたらされる」という意味でしょう。努力は、必ずしも実るばかりではないことを知っている私たちですが、成功した人々の中に努力しなかった人がいないことも又よく知っています。私の実は、苦味の多いものでした。
 
その野口英世の残した言葉には、こんなものもあるそうです。
「障害者であることは、学問においては問題にならない。」
「失敗したらまた、がんばればいいんだ。生きている限り何度でも。それが人間の特権だ。」

在職中にいただいた保護者との交信カード(イエローカード)の1枚が、人生を振り返る機縁を与えてくれました。
 
 
※画像は、2014年(平成26年)に定年退職記念として「桜前線」を追って日本列島を北上し、4月9日に福島県の野口英世博士の生家と記念館を訪れた際に撮影したリアルな人形の1葉です。あの日から9年以上が経ちました。