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No.979 俚言や方言について

昨日は、「里道」(りどう)のお話でした。
今日は、「俚言」(りげん)についてです。とは言え、私はその方面の専門的な知識は皆無です。ふと、疑問に思ったことを書かせていただいているのに過ぎません。
 
「俚言」とは、「俗間の言葉で、その土地の、なまった言葉」を言うそうです。早い話が、田舎の方言(田舎言葉)、お国訛り(お国言葉)のことです。いや、方言でも、より地域的で、田舎びて卑俗な言葉というべきなのかも知れません。
 
1972年(昭和47年)4月に大学に入学した時、クラス担任は国語学のY先生でした。私が自己紹介するのを聴いておられ、「君は、大分県の出身ですか?」と質問されました。どうもアクセントで、それとわかったそうです。「ひだり(左)」と言う時、平たんに発音するのでしょうが、私は「ひ」を強く発音します。「菜の花」と言う時、「菜」にアクセントを置くのでしょうが、私は「の」を強く言ってしまう田舎の少年でした。
 
今の大分っ子たちは、多くが共通語のアクセントで喋りますが、50年前の私たちの頃は、大いに大分県人の面目躍如となる、それは見事な大分方言、大分アクセントでした。
 
大学の付属高校の教壇に立った23歳の時のことです。教科書・ノートを机の中にしまわせようとして
「では、机の上の教科書・ノートを、なおしなさい!」
と言ったら、生徒たちが顔を見合わせて「どうするんだ?」と困った顔をしたのを思い出します。「なおす」は「仕舞う(片づける)」という不動の大分言葉です。しかし、東京で「なおす」と言えば「修理・修繕する」という意味なのですね。知らんかったあ!
田舎者の私は、方言を全国区と勘違いしていました。井戸から見えた空は狭かった。
 
「それ、なおしちょっちくり~!」(それ、片付けといて!)
「ああ、もう、よだきぃのー!」(ああ、もう、面倒くさいなあ!)
「そげな、むげねぇこつ、すんな!」(そんな、可哀想なこと、するな!)
「しゃあしいやつじゃのー!」(うるさい人だねー!)
「しらしんけん怒られた」(すっごく怒られた)
「ちいっと、ずっちょくれ!」(少しだけ、位置をずれてください!)
などと言ったりします(しました?)。今後、大分に嫁いでいらっしやる方はご参考まで。
 
さて、大分県には、私の好きな方言(俚言?)があります。「一寸ずり」といいます。
お盆など帰省ラッシュで車が渋滞し、一向に進まない時があります。思い出したように少しずつ前に進んでゆく、そんなときに使うのが「一寸ずり」です。
「すげー渋滞に巻き込まれちのー、一寸ずりじしか進まんのじゃ。困っちしもーた。」
という風にネイティブでは使います。一度、声に出して読んでみてください。なかなか風情や味わいがある、状況が目に浮かぶ方言(俚言?)だと思いませんか?
 
ところが、この「一寸ずり」が大分県の専売特許ではないことを知りました。「上越タウンジャーナル」(2011年8月15日)の記事に、

お盆を中心に上越地方でも帰省ラッシュによる車の渋滞ができた。渋滞で車が少しずつしか進まない状況のことを上越地方の方言で「一寸ずり」というが、不思議なことに、上越から1000kmも離れた九州の大分県でも「一寸ずり」を使うことが分かった。
 
方言辞典を調べてみたが、「一寸ずり」についての記述がない。自動車が普及する前の日本に「渋滞」という概念はないはずで、「一寸ずり」は戦後発生した新しい方言とみられる。
 
大分県の教育委員会に用例を聞いてみると、渋滞を示す「一寸ずり」については上越とまったく同じ使い方だった。「座席をもう少しずって」の言い方も同じである。
 
だが、「電車がずる」や「先生がずる」の使い方はない。さらには大分では「物事や計画が片付く」場合も「前にずる」などと使うようだ。
 
なお、「一寸ずり」は長野県や富山県でも使っているという。

「上越タウンジャーナル」

とありました。これには驚きました。きっと、この地域の方々も同じ感想でしょう。
 
『蝸牛考』(1930年)は、柳田國男(1875年~1962年)が方言周圏論を発表した語学書です。「蝸牛」(かぎゅう)はカタツムリのことですが、「ナメクジ」「ツブリ」「カタツムリ」「マイマイ」「デンデンムシ」のように、時代を経るにしたがって呼び名が変わるそうです。そこで、柳田は、日本全国のカタツムリの方言(呼び名)を調べたそうです。
 
すると、カタツムリの方言は、京都を中心とした同心円状に分布しているという事実を発見しました。当然、京都から離れた言葉ほど古く、京都に近い言葉ほど新しいことになります。「ナメクジ」は古く、「デンデンムシ」は新しい呼び方だったのです。
 
「一寸ずり」の言い方は、「蝸牛考」のようにはいかないでしょう。何しろ、戦後に生まれた方言(?)だからです。東京を中心にした同一線上に上越と大分を重ねることは出来ません。それでも、大分と上越という関係性には、なにか縁(円?)を感じてしまいたくなってしまうのです。また、こうなると、方言と言えるのでしょうか?


※画像は、クリエイター・おたけさんの、富士山の見える高速道路の渋滞写真の1葉です。「一寸ずり」とは、こんな状態です。お礼申し上げます。