No.732 再びの助詞。「藤原俊成九十の賀」より。

「この助詞の使い方ってどうなの?」そんな声が聞こえてきそうです。
少し長くなって恐縮ですが、noteの許容力に感謝しながら書いています。
 
平安時代末期、建礼門院(平徳子)に仕えた右京大夫という女房がいました。その人の書き残した日記的歌集が『建礼門院右京大夫集』(けんれいもんいんうきょうのだいぶしゅう)です。

作品は、貞永元年(1232年)頃の成立と言われています。壇ノ浦の合戦で儚くなった愛人平資盛(すけもり)への追慕を主題とする歌約360首が収められています。その後半に「藤原俊成九十の賀」の記事が見られます。
 
「建仁三年の年霜月の二十日余り幾日(いくか)の日やらむ、五條の三位入 
道俊成九十に滿つと聞かせおはしまして、院より賀たまはするに、贈物の法服の装束の袈裟に歌を書くべしとて、師光入道の女宮内卿の殿に歌は召されて、紫の糸にて院の仰せ事にておきて参らせたりし、
ながらへてけさぞうれしき老の波八千代をかけて君に仕へむ
とありしが、たまはりたらむ人の歌にては今少しよかりぬべく心のうちにおぼえしかども、そのままにおくべき事なればおきてしを、けさぞのぞの文字、仕へむのむの文字を、やとよとになるべかりけるとて、にはかにその夜になりて、二條殿へ參るべき由仰せ事とて、範光の中納言の車とてあれば、參りて、文字二つおき直して、やがて賀もゆかしくて夜もすがらさぶらひて見しに、昔の事おぼえて、いみじく道の面目なのめならずおぼえしかば、つとめて入道のもとへその由もうしつかはす。
君ぞなほけふより後もかぞふべき九のかへりの十のゆく末」
 
(建仁三年の年の霜月の二十日余りの何日だったでしょうか、五条の三位入道俊成様が九十歳になられましたと聞かせおわしまして、後鳥羽院より長寿の御祝を賜うこととなり、贈物の法服の装束の袈裟に歌を書くようにと勅命がございまして、師光入道の娘の宮内卿に歌をお命じになり、紫の糸を用い、院の仰せで、私がその歌を刺繍してさしあげました。
「生き長らえて、今朝、袈裟を頂いてたいそう嬉しゅうございます。寄る年波の私ですが、帝の長寿の八千代をかけて君にお仕えいたしましょう。」
とありましたが、賀を頂戴する俊成様への歌としては、もう少し良さそうなはずだが?と心の中では思われましたけれども、そのままに刺繍すべき事なので縫いました。しかし、「けさぞ」の「ぞ」の文字、「仕へむ」の「む」の文字を、「や」と「よ」とに変えるべきだと言うことになり、急にその夜になって、私に二条殿へ参上せよという後鳥羽院のご命令だということで、範光の中納言の車が迎えに来たので、それに乗って参りまして、文字二つを刺繍し直し、そのまま祝賀の様子も拝見したくて、夜どおし脇に控えて見ていたところ、昔の俊成様に関するあれこれのことなどを思い出し、歌道一筋の誉れも格別の事だと思われたので、その翌朝に、入道様の元へその由申し上げました。
「九十の賀を賜った俊成様は、今日より後もさらに九十歳の長寿を数えられることとご祈念申し上げます。」)
 
 ここでも助詞の使い方により、賀を贈る側と頂戴する側の立場が明白となりました。宮内卿の初めの歌、
「ながらへてけさぞうれしき老の波八千代をかけて君に仕へむ」
では、賀を頂戴する俊成から賀を贈るはずの後鳥羽院への歌に解釈されます。しかし、助詞を入れ替えた後の歌、
「ながらへてけさやうれしき老の波八千代をかけて君に仕へよ」
とすれば、賀を贈る後鳥羽院から賀を頂戴する俊成への歌と意味が変わってくるのです。
 
後鳥羽院から俊成に賀の品として下しおかれる袈裟ですから、後鳥羽院からの歌を刺繍するはずだったのでしょう。歌壇の才女の宮内卿がそれを誤って詠んでしまった事を右京大夫がやんわりと批判している場面(自讃談?)でもあります。ちょっぴりドラマティックな展開です。ひと針ひと針縫うのでしょうから、時間もそれなりにかかったことでしょう。
 
その昔、右京大夫の母親・夕霧は藤原俊成と関係を持ったことがあったようです。したがって俊成の息子の定家とは異母姉弟に近い間柄にあたります。「右京大夫」の出仕女房名も俊成の官職名から頂いたとの説もあるほどです。それほど近い関係であり親しい間柄でもあったのでしょう。
 
原文中の「建仁三年」とは1203年のことで、今から819年も前の出来事でした。ところが、右京大夫の願いもむなしく、藤原俊成は、翌1204年11月30日、91歳で生涯を終えるのです。

その日の朝は雪が降っていたようで、俊成は介護する娘(健御前)に「雪を食べたい」と所望し、「めでたき物かな」「猶、えもいはぬ物かな」「おもしろきものかな」と褒めちぎって食べたことが藤原定家の『明月記』(元久元年十一月三十日の条)に書かれています。
 
雪は、俊成にとって最後の聖餐となったようです。ここにも、ドラマがありました。

「ゆきふると いひしばかりの 人しづか」
詩人で小説家の室生犀星(1889年~1962年)

※画像は、クリエイター・白波みなみさんの、タイトル「雪を撮る」をかたじけなくしました。色彩のコントラスト、命のはぐくみ、雪の重さも冷たさも、布団のような温かさも感じる1葉です。お礼申します。