マガジンのカバー画像

日米友好のシンボル・ポトマックの桜

13
出典=著者 石田三雄 発行:NPO法人近代史日本の創造史懇話会
運営しているクリエイター

記事一覧

㊗祖国復帰50周年記念著書「沖縄列島改造論」9月1日発売開始 ポイント解説その53

著書「沖縄列島改造論」  ポイント解説その53 那覇軍港の返還跡地利用とその周辺開発  那覇…

仲里嘉彦
1年前

日米友好のシンボル・ポトマックの桜 11

玉杯に受けるのは桜の花びらでなければ日本の詩になりません。この歌の4年後に作られた第三高…

仲里嘉彦
1年前
2

日米友好のシンボル・ポトマックの桜 10

桜はチェリーではない? 少し脇道に入ります。天才瀧廉太郎が明治33(1900)年に作曲した…

仲里嘉彦
1年前

日米友好のシンボル・ポトマックの桜 9

大佐は辛抱強く、真剣に話を聞いてくれはしましたが、残念ながらその結果、何も起こることはあ…

仲里嘉彦
1年前

日米友好のシンボル・ポトマックの桜 8

さて、この観菊のあと、その年も押し詰まってワシントンに戻ったシッドモアさんはすぐに、近く…

仲里嘉彦
1年前

日米友好のシンボル・ポトマックの桜 7

当時の日本の社会、風俗などを詳しく記録していた彼女は、この年の観菊会が美子(はるこ)皇后(…

仲里嘉彦
1年前
1

日米友好のシンボル・ポトマックの桜 6

シッドモアさんが最初にワシントンに日本の花桜をというアイディアを思いついたのは、1885(明治18)年でした。 この年、日本は、最初の官約(政府間で協定した)移民988人が共同運輸の山城丸2,527トンでハワイに送り込まれていますが、それは鹿鳴館文化が最高潮に達し、坪内逍遥の『小説神髄』が登場し、正に日本人が「坂の上の雲」をしっかり見つめ始めた時代のことです。 この年の秋、日本を旅行していた30歳のシッドモアさんは、11月10日午后3時、赤坂仮皇居(元紀州藩邸)御苑において行

日米友好のシンボル・ポトマックの桜 5

シッドモアさんは旅行家業文筆家、またプロの写真家として、当時すでに首府ワシントンの社交界…

仲里嘉彦
1年前

日米友好のシンボル・ポトマックの桜 4

この手紙の差出人は大統領夫人すなわちファーストレディのヘレン・ヘロン・タフトさんで、ポト…

仲里嘉彦
1年前

日米友好のシンボル・ポトマックの桜 3

1.華盛頓(ワシントン) 夢は正夢に  ホワイトハウスから1通の封書を、胸をドキドキさせなが…

仲里嘉彦
1年前

日米友好のシンボル・ポトマックの桜 2

第一章 アメリカに桜並木を夢見た二人 アメリカ合衆国には、花桜は原生していませんでした。…

仲里嘉彦
1年前

「日米友好のシンボル・ポトマックの桜」連載の意義

ワシントンD・C,ポトマック湖畔の桜は、1912年に日米の平和と親善の象徴として日本から贈ら…

仲里嘉彦
1年前
2

日米友好のシンボル・ポトマックの桜 1

はじめに ワシントンのポトマック湖畔に日本のさくらが植えられてから来年(2012)でちょうど1…

仲里嘉彦
1年前