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かつてうるま市に存在した石川バスターミナル

沖縄県うるま市は、2005年4月1日に具志川市、石川市、与那城町、勝連町が合併して誕生した市である。この合併前に存在した石川市には、かつて市名を冠する石川バスターミナルが存在した。最盛期には3社が乗り入れており、1日300本以上の路線バスが発着する沖縄本島中部の拠点となるバスターミナルであった。


1950年に沖縄バスの出張所が開設

戦後初の民間バス会社の1つである沖縄バスが営業を開始したのは1950年4月1日のことである。この沖縄バスの営業開始と同時に、石川市にはバス営業所が開設された。

安里に本店、名護に支店を置き、那覇、神里原、糸満、安里、石川、屋ヶ名、本部、今帰仁、辺土名の9ヶ所に出張所を開設した。

沖縄バス30年のあゆみ(1981年6月 沖縄バス発行)p.8
太字は筆者によるもの

なお、運行開始当初の沖縄バスの路線図によると、当時の発着路線は、那覇と石川を結ぶ石川線と読谷と石川を結ぶ読谷石川線の2路線であった$${^1}$$。

1956年に石川バスターミナルが開設

那覇バスターミナルの記事でも書いたが、民間バス会社が乱立していた1950年代前半までは、バスターミナルを設置して、そこに複数社が乗り入れるという発想がなく、各社がバス営業所を設置し、そこから乗降する形であった。そのため、同じ行き先でもそれぞれの運行会社の営業所に行ってバスに乗るという、今からすると相当不便な仕組みであった。少なくとも1953年時点で8社が石川線を運行しており$${^2}$$、石川市内に乗り入れていたが、各社は独自に乗り場を設置していたと思われる。

この不便な状態は、石川バスターミナルが1956年10月6日に開設されることで解消した。この時開設されたのは、初代石川バスターミナルであり、所在地は「石川市字石川655$${^3}$$」である。この住所は、2000年7月31日の住居表示により現在は「うるま市石川1丁目49番28号$${^4}$$」となっており、地図で示すと以下の場所である。現在の石川電話局前バス停の近くであるが、現在は跡地の大半は住宅地となっている。

初代石川バスターミナルが存在した1970年10月当時の航空写真を以下に示す。なお、参考までに後に開設される2代目石川バスターミナルもあわせて示すが、この当時はまだ埋め立てによる造成中であった。

初代石川バスターミナル 1970/10/31撮影
(国土地理院の空中写真【MOK701X-C17-3】を筆者が加工)

この石川バスターミナルの開設は、各地に点在していたバス乗り場を1カ所に集約するという点で利便性向上に貢献したと思われる。ただバスターミナルは、当時の航空写真を拡大してみると分かるのだが、道路(市道)により敷地が2分割されていた。バスルートである現在の県道255号線(かつての軍道13号、後の国道329号)に面した敷地だけでは、用地が不足したのかもしれない。

初代石川バスターミナル 1970/10/31撮影
(国土地理院の空中写真【MOK701X-C17-3】を筆者が加工)

なお、営業開始時から石川市に拠点を設置していた沖縄バスは、1960年6月27日には石川出張所を廃止$${^5}$$していた。加えて、途中で立ち寄る形で石川バスターミナルへ乗り入れていた22番・久志線のバスターミナル乗り入れを1966年7月1日からは廃止$${^5}$$しており、1960年代後半の時点で、沖縄バスの石川バスターミナル発着路線は、現在も運行されている48番・石川読谷線の1路線のみであった。

一方で那覇交通は、1954年ごろに48番・石川読谷線の運行を開始している$${^6}$$。この当時は、初代石川バスターミナル開設前であるが、その後の1958年8月時点では石川営業所を設置していたようである$${^7}$$。所在地の記載がないが、恐らく初代石川バスターミナルの敷地内に設置されていたのではないかと思われる。また1961年ごろに、那覇バスターミナルと現在のうるま市栄野比を伊佐、知花経由で結ぶ栄野比線を石川バスターミナル発着としており$${^6}$$、撤退が続いた沖縄バスに代わり、新たに那覇交通が石川バスターミナルを拠点として使用することとなったようである。
なお、1964年12月末時点$${^8}$$での那覇交通の乗り入れ路線は、石川線(知花経由)と石川読谷線の2路線であった。

1972年に2代目石川バスターミナルが開設

道路を跨いで2箇所の敷地に跨っていた初代石川バスターミナルは、敷地面積も不足していたためか、1972年11月1日に埋立地に新たに建設された2代目石川バスターミナルに移転した。所在地は「石川市赤崎23$${^9}$$」であるが、この住所は、2000年7月31日の住居表示により現在は「うるま市赤崎2丁目2番1号$${^4}$$」となっており、地図で示すと以下の場所である。現在はホームセンタータバタ石川店が立地している。

2代目石川バスターミナルがあった1977年11月当時の航空写真を以下に示す。なお、初代石川バスターミナルがあった位置も参考までに示すが、この時点で既にバスターミナルの痕跡は確認できない。

2代目石川バスターミナル 1977/11/24撮影
(国土地理院の空中写真【COK771-C40-15】を筆者が加工)

敷地面積は、3,947.11m2$${^3}$$から5,715.69m2$${^9}$$へと約1.5倍に拡張された。
このような市街地から埋立地へのバスターミナルの移転は、石川バスターミナル以外にも行われており、うるま市の屋慶名バスターミナル(1972年12月14日移転$${^5}$$)、名護市の名護バスターミナル(1975年7月17日移転$${^1}$$$${^0}$$)、糸満市の糸満バスターミナル(1975年10月1日移転$${^5}$$)が、相次いで移転している。バス車両の大型化や路線の充実により、敷地面積が不足したことによる移転であろうか。
ただ他のバスターミナルが、敷地を乗り入れするバス会社間で共有していたのに対して、石川バスターミナルは航空写真でも確認できるが、当時乗り入れていた琉球バスと那覇交通とで敷地がはっきりと分断されていたようである。

2代目石川バスターミナル 1977/11/24撮影
(国土地理院の空中写真【COK771-C40-15】を筆者が加工)

この分断状況はその後も解消されることは無かったが、那覇交通は糸満市でも、琉球バスと沖縄バスの糸満バスターミナルとは別に、独自に糸満営業所を設置していることから、那覇交通の会社としての方針だったのかもしれない。

なお、この那覇交通の石川バスターミナルの敷地は、後に北側に少し拡大されており、1984年10月時点で琉球バスとほぼ同じ敷地面積を有するようになった。

2代目石川バスターミナル 1984/10/31撮影
(国土地理院の空中写真【OK841X-C4-9】を筆者が加工)

ちなみに、初代石川バスターミナルへの乗り入れを廃止した22番・久志線は、2代目石川バスターミナルとなった後も変わらずバスターミナルへの乗り入れは行っていなかったようだが、石川バスターミナルの目の前に設置された石川バスターミナル前バス停に停車していたようである$${^1}$$$${^1}$$。一方で、琉球バスの21番・名護東線は、路線図を見るだけだとバスターミナルへ乗り入れていたようである$${^1}$$$${^1}$$。

3社が乗り入れ1日300本以上が発着

2代目へ移転後から約3年が経過した1975年3月末当時$${^1}$$$${^2}$$の会社別の発着路線と運行本数を以下に示す。

  • 23番・石川線(安慶名経由):213本/日【琉球バス】

  • 24番・石川線(知花経由):89本/日【琉球バス・那覇交通】

  • 48番・石川読谷線:27本/日【沖縄バス・那覇交通】

  • 64番・喜瀬武原線:3本/日【琉球バス】

3社4路線が乗り入れており、単純に合計すると1日332本であった。当時の沖縄本島の那覇市外のバスターミナルの中で、最も発着本数の多いバスターミナルである$${^9}$$。この石川バスターミナルの発着本数のうち約2/3を占めるのが、那覇バスターミナルと石川バスターミナルを伊佐、コザ、安慶名経由で結んでいた23番・石川線であり、この石川線は現在の23番・具志川線の前身となる路線であるが、2024年1月現在の具志川線の運行本数が1日47本であるので、約50年前は4倍以上の本数を有していたことになる。ちなみに、朝夕ピーク時10分間隔、日中15~20分間隔で1日約70本程度となるため、1日213本という本数は、朝夕ピーク時には約3分間隔、日中でも約6分間隔という超高頻度運行である。

その後は、1977年3月16日に那覇交通の25番・栄野比線が、石川バスターミナルまでの延伸が認可$${^6}$$されたほか、1975年4月$${^1}$$$${^2}$$~1979年8月$${^1}$$$${^3}$$の間に、琉球バスが24番・石川線から撤退し、代わりにバイパス経由の90番・石川線の運行を開始するなどし、1979年8月1日当時$${^1}$$$${^3}$$は3社6路線で合計390本/日が発着していた。この時期が、恐らく石川バスターミナルの最盛期である。

  • 23番・石川線(安慶名経由):184本/日【琉球バス】

  • 24番・石川線(知花経由):59本/日【那覇交通】

  • 25番・石川線(首里経由):72本/日 ※中城経由を含む【那覇交通】

  • 48番・石川読谷線:27本/日【沖縄バス・那覇交通】

  • 64番・喜瀬武原線:3本/日【琉球バス】

  • 90番・石川線(バイパス経由):45本【琉球バス】

1988年に琉球バスが撤退

1979年を最盛期に以降は減便傾向へと転換することになったが、1988年3月末当時$${^1}$$$${^4}$$においても1日300本以上が発着する状況が維持されていた。ただ、1980年時点での石川市の人口が約2万人と「市」を名乗っている割には小規模である一方で、石川線の途中経由地でもある具志川市が約5万人と、石川市の倍以上の規模を有している状況であった$${^1}$$$${^5}$$。
そんな状況だったためか、1988年11月12日に琉球バスが具志川市の中心部である安慶名に新しく設置した具志川バスターミナルへ移転し、石川市から撤退することとなった$${^1}$$$${^6}$$。

琉球バス撤退後の1990年10月当時の航空写真を以下に示す。
前述の通り、琉球バスと那覇交通は敷地を明確に区切っていたため、琉球バスの撤退後はきれいに那覇交通の石川バスターミナルだけが残ることとなった。

琉球バス撤退後の石川バスターミナル 1990/10/17撮影
(国土地理院の空中写真【OK901X-C5-6】を筆者が加工)

また、この琉球バスの撤退に伴い、乗り入れ路線は2社3路線となり、1989年3月末当時$${^1}$$$${^7}$$の発着本数は148本と前年である1988年3月末$${^1}$$$${^4}$$時点から半減した。

  • 24番・石川線(知花経由):50本/日【那覇交通】

  • 25番・石川線(首里経由):72本/日 ※中城経由を含む【那覇交通】

  • 48番・石川読谷線:26本/日【沖縄バス・那覇交通】

なおその那覇交通も、1990年4月$${^1}$$$${^8}$$~1993年3月$${^1}$$$${^9}$$の間に48番・石川読谷線の運行から撤退したようである(48番・石川読谷線自体は、沖縄バスの路線として存続)。

1997年にバスターミナルは閉鎖、1998年に那覇交通は完全撤退

琉球バスが撤退した石川バスターミナルであるが、那覇交通も1993年頃には沖縄市への移転が検討されていた。転入先となる沖縄市議会の議事録にその旨の記載があるので以下に示す。

それから市内バスの営業所の誘致についてでありますが、これは昨年の12月だったと思うのでありますが、会社のほうから沖縄市に営業所をつくりたいというようなことで、要請がまいっております。そういうようなことで、私ども建設担当の助役を中心にいたしまして、関係部一緒になって是非その誘致を進めていきたというようなことでいま努力をいたしているところでございます。今後ともこれについては是非積極的に進めていきたいというように考えております。

沖縄市議会 1994年(平成6年)第183回定例会-6月29日-5号
(注釈)ここでの「会社」とは、別の発言より「那覇交通」のことである。

これは後に1997年7月20日の中部営業所への移転として、実施されることとなったのだが、要因は2つあり、1つ目は知花以北が赤字区間であったこと、2つ目はバスターミナル用地が石川バイパスの用地として使用されることになっていたためである。当時の新聞記事を以下に示す。

石川市赤崎にある那覇交通石川営業所(バスターミナル)が7月、沖縄市に移転することになった。
 (中略)
銀バス(那覇交通)側の説明によると、同営業所の代替地として既に沖縄市に約3,000平方メートル(約900坪)の敷地を確保した。石川営業所は約700坪(約2300平方メートル)で、40台のバスを収容できるが、スペースとしてはギリギリの状態という。約150坪が道路拡張に取られ、これ以上狭くなると運営は到底無理だとの認識だ。また石川-知花(沖縄市)間で、1台につきわずか3人しか乗り降りしない、とし「利用頻度が低く、最初から赤字覚悟で走らせることになる」と強調する。
石川営業所からは現在、大山線(24番)、首里線(25番)、安慶名線(26番)の3路線出ており、合わせて128便ある。銀バス側はこれらの路線をすべて廃止。代わりに沖縄市と石川市を結ぶ路線を新設する計画だ。だが新路線の便数は20便の予定で、108便減ることになる。琉球バス22便、沖縄バス22便と合わせて64便が市内を経由するが、銀バスでは那覇方面へは一本では行けなくなり、乗り継ぎが必要となる。
石川バイパスは石川市内の慢性的な交通渋滞を緩和しようと1990年から工事に着手、96年3月に一部が開通した。事業は周辺の土地を買収しながら進められており、事業完了年度は未定。同工事部分に石川営業所敷地が含まれている。
市側は移転の話が持ち上がった時点で同社と接触。土地を提供することを申し出るなど、営業所存続の説得に当たった。平川崇市長は昨年7月、存続を要請。だが同社の移転への意思は固く、説得は不発に終わった。
同市長は16日に那覇市にある沖縄総合事務局と同社本社を訪ね、営業所移転を最終確認した。銀バス側は赤字路線であること、道路拡張ですでに民間会社に営業所の土地を売却したことなどを伝え、移転への理解を求めたという。

那覇交通の営業所移転(石川市)/沖縄-石川線新設も、108便減/背景に赤字路線の撤退(1997年4月20日 沖縄タイムス)

なおここで書かれている「民間会社に営業所の土地を売却」の売却先、現在も石川バスターミナル跡地に立地しているホームセンタータバタの運営会社である株式会社タバタのことであろう。

石川市からの完全撤退をもくろんでいた那覇交通であるが、1日120本以上のバス路線を一気に廃止させることは許されなかったようで、最終的に24番・石川線(大山経由)が1日10本、25番・石川線(首里経由)が1日10本のみ存続することになった。

那覇交通(銀バス)が申請していた市内赤崎の同社石川営業所の沖縄市への移転がこのほど、認可された。当初計画していた(1)現行の那覇直行120便を廃止(2)知花・石川間の路線(20便)を新設-した上で移転する案は見直され、那覇直行便を20便だけ残すことで決着した。同社は「今月中旬か下旬」をめどに移転する予定だ。

那覇交通 石川営業所移転へ/那覇直行便は一部存続(1997年7月8日 沖縄タイムス)

終点は、石川バスターミナル前バス停から改称された赤崎バス停・・・ではなく、別に設置されたホームセンタータバタ前バス停だったようだ$${^2}$$$${^0}$$。このホームセンタータバタ前バス停は、琉球バスと沖縄バスの路線図には出てこないことから、那覇交通の石川線専用のバス停だったようであるが、具体的な設置位置は不明である。

ちなみに残った1日20本の2つの石川線は、やはり需要が無かったようで翌1998年7月31日をもって廃止され、同日をもって那覇交通は完全に石川市から撤退することになった。

琉球バスと沖縄バスが駐車場を設置

石川バスターミナル廃止後は、石川市内にバスの発着拠点は完全になくなったわけではなく、だいぶ小規模であるが「駐車場」が設置された。

1つ目は沖縄バスの石川駐車場で、48番・石川読谷線の駐機場として使用された。地図で示すと以下であり、先に書くと現在は閉鎖されている。

那覇交通が石川読谷線の運行から撤退し、沖縄バスの単独運行となった際に設置されたと想定される。那覇交通が撤退したと想定される1990年4月$${^1}$$$${^8}$$~1993年3月$${^1}$$$${^9}$$の間である1990年10月当時の航空写真には、既にそれらしき敷地が映っている(バスがいないので、ただの空き地の可能性もあるが)。

那覇交通石川バスターミナルと沖縄バス石川駐車場 1990/10/17撮影
(国土地理院の空中写真【OK901X-C5-6】を筆者が加工)

この石川駐車場は、2002年4月$${^2}$$$${^1}$$~2003年3月$${^2}$$$${^2}$$に閉鎖され、48番・石川読谷線は周辺道路を循環して、道路上の東山入り口バス停で折り返すルートとなった。1日10本も運行されない路線のために、駐機場を確保する必要はないという判断かもしれない。

2つ目は琉球バスの東山駐車場で、地図に示すと以下であり、2024年1月現在も存続している。

この東山駐車場は、1998年の那覇交通の完全撤退に際して新設された代替路線である75番・石川砂辺線、123番・石川空港線の駐機場として使用するため設置された。

この2社による2つの駐車場は、少なくとも1998年から2002年までは同時に存在し、この期間中は1956年の石川バスターミナル設置以前のように各社がバラバラに拠点を設置した状態であった。

脚注

  1. 沖縄バスFacebook 【沖縄バス/アーカイブスVOL.156】~設立当時の路線図☆~

  2. 1953年ごろの沖縄のバス路線図(ず@沖縄)

  3. 昭和47年度 運輸要覧(1972年10月 沖縄総合事務局運輸部発行)p.62

  4. うるま市 石川地区住居表示 旧新・新旧対照簿

  5. 沖縄バス30年のあゆみ(1981年6月 沖縄バス発行)p.54~55、57

  6. 那覇交通株式会社創立30周年記念誌(1981年4月 那覇交通発行)p.75、98

  7. オキナワグラフの自動車広告 1958.8 那覇交通(銀バス)株式会社(凌志のブログ)

  8. 行政監察業務概況 1970年5月(1970年5月 琉球政府総務局行政部発行)p.73

  9. 昭和50年度 運輸要覧(1975年10月 沖縄総合事務局運輸部発行)p.197

  10. 昭和53年度 運輸要覧(1978年10月 沖縄総合事務局運輸部発行)p.198

  11. 運賃及び粁程表 昭和52年3月14日改定(1977年 沖縄県バス協会発行)

  12. 昭和50年度 業務概況(1975年7月 沖縄県陸運事務所発行)p.24~26

  13. 昭和53年度 業務概況(1979年 沖縄県陸運事務所発行)p.24、26~27、29

  14. 昭和63年度 業務概況(1988年7月 沖縄総合事務局陸運事務所発行)p.23~24、26~27、29

  15. 昭和55年 国勢調査(e-Stat 政府統計ポータルサイト)

  16. 平成16年度 運輸要覧(2004年12月 沖縄総合事務局運輸部発行)p.219

  17. 平成元年度 業務概況(1989年7月 沖縄総合事務局陸運事務所発行)p.22~23、25

  18. 平成2年度 業務概況(1990年7月 沖縄総合事務局陸運事務所発行)p.25

  19. 平成5年度 業務概況(1993年7月 沖縄総合事務局陸運事務所発行)p.25

  20. 運賃及び粁程表 平成10年6月1日改定(1998年6月 沖縄県バス協会発行)

  21. 平成14年度 業務概況(2002年7月 沖縄総合事務局陸運事務所発行)p.22

  22. 平成15年度 業務概況(2003年7月 沖縄総合事務局陸運事務所発行)p.24

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