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沖縄の路線バスに存在する優等種別

一般的な路線バスは途中のすべてのバス停に停車するが、速達タイプとして「急行」や「特急」といった優等種別が存在するバス路線は全国各地に存在する。
沖縄にも廃止になったものも含めて、いくつか存在する(存在した)ので、それらについて紹介したいと思う。


快速バス

「快速バス」は全て琉球大学への通学路線に設定

2023年7月現在「快速バス」は2路線存在する。
・94番・首里駅琉大快速線
・297番・沖国琉大快速線

いずれも、路線名に「快速」と入っていることからもわかるように、一部便が「快速バス」ではなく、全便が「快速バス」となっている。また2路線ともにが、沖縄都市モノレールの駅を起点とし、琉球大学を終点とする通学路線である。

94番・首里駅琉大快速線と297番・沖国琉大快速線の運行ルート
OpenStreetMap®を元に作成 ©OpenStreetMap contributors

2015年に最初の快速バスが運行開始

最初に運行が開始されたのは、那覇市の首里駅前と西原町の琉球大学を結ぶ94番・首里駅琉大快速線である。2015年1月19日より運行が開始されたが、運行開始当初は沖縄県による実証実験路線であり、系統番号も333番であった。

県は、那覇市のモノレール首里駅と西原町の琉球大キャンパスをつなぐバスの実験運行を19日から始める。モノレールとバスの乗り継ぎなど公共交通利用を促し、交通渋滞の緩和を図ることを目的とした実証実験事業で、ことし夏ごろまでをめどに「333番・首里駅琉大快速線」として運行する。

19日から首里駅―琉大に実験バス/平日45便、モノレール割引も(2015年1月14日 琉球新報)

通過バス停は、西原町内の幸地ハイツ入口、幸地、オキコ前(2021年6月1日に停車バス停に追加)の3バス停のみであった。
この快速バスは、2015年7月末をもって実証実験を終了したのち、同年8月3日より現在の94番・首里駅琉大快速線として本格運行を開始した。ただルートは大きく変わったほか、1週間後の8月10日をもって一旦、運行休止となった。
その後の運行再開は、約半年後の2016年3月28日のことであり、ルートも実証実験時と同様の形に復活した。

2021年よりてだこ浦西駅発着の快速線が運行開始

2021年1月4日には、浦添市のてだこ浦西駅と琉球大学を沖縄国際大学経由で結ぶ「キャンパスバス」の運行が開始された。当初は実証実験路線であったが、2022年4月1日に297番・沖国琉大快速線として本格運行されている。
通過バス停は、西原町内の徳佐田入口、浦添市内の西原入口、前田入口、宜野湾市内の第二佐真下、第一佐真下、沖縄国際大学入口、志真志住宅前、志真志ハイツ入口の8バス停であった。宜野湾市内では、同じく琉球大学発着の98番・琉大線と経路が重複するためか、通過バス停は多く設定された。

快速区間がない「快速線」が運行開始

「キャンパスバス」の運行開始から約半年後の2021年6月1日には、浦添市のてだこ浦西駅と琉球大学を棚原経由で結ぶ、294番・てだこ琉大快速線の運行が開始された。既に運行が開始されていた94番・首里駅琉大快速線の起点を首里駅からてだこ浦西駅に変更した路線である。
路線名には「快速」と入っているが、途中の経路上で通過するバス停は無い。ただ、既存の97番・琉大線よりもルートがショートカットされている関係で、多少の速達性は確保されている。

97番・琉大線と294番・てだこ琉大快速線の運行ルート
OpenStreetMap®を元に作成 ©OpenStreetMap contributors

急行バス

1961年7月末時点で「急行バス」が存在

昭和バス(琉球バス交通の前々身)の営業報告書にて、1961年8月2日に「急行バス」が廃止になったという記述がある。詳細は不明であるが、現在の20番・名護西線の速達系統だろうか。

1961年8月2日 名護線急行バスの運行を廃止

法人企業業務報告書 運輸・通信業 1962年度(1962年 琉球政府計画局経済企画課)p.31

この「急行バス」がいつから運行開始されたかが不明であるが、少なくとも1961年7月末時点までは「急行バス」が存在していたことになる。

1976年より「急行バス」の運行が開始

1961年8月以降で「急行バス」の存在が確認できるのは、1976年になってからである。同年8月1日より、琉球バス(琉球バス交通の前身)と沖縄バスにより、93番・海洋博記念公園行急行バスの運行が開始された。路線名に「急行」と入っていることからもわかるように、一部便が「急行バス」ではなく、全便が「急行バス」であった。

昭和51年8月1日 海洋博記念公園急行バス運行開始

沖縄バス30年のあゆみ(1981年6月 沖縄バス発行)p.58

これは、那覇市の那覇バスターミナルと本部町の海洋博記念公園を結ぶ、観光客向けの「急行バス」で、現在、那覇空港と海洋博記念公園を沖縄自動車道経由で結ぶ117番・高速バスとは異なり、全区間で一般道経由であったためか、途中のバス停を一部通過して速達性を確保していたようである(1976年当時は那覇IC~石川IC間は未供用)。

93番・海洋博記念公園行急行バスと117番・高速バスの運行ルート
OpenStreetMap®を元に作成 ©OpenStreetMap contributors

1979年8月1日時点$${^1}$$で、平日・休日ともに1日3本(琉球バス1日2本、沖縄バス1日1本)の運行であり、1982年6月末時点$${^2}$$で、夏休み時期のみ1日5本に増便されたが、1984年3月末時点$${^3}$$で平日・土曜日は運休となり、日曜・祝祭日に1日3本のみ(夏休み時期は1日5本)の運行となっていた。
その後はこの本数のまま維持されたが、より速達性のある111番・高速バスの運行開始などの影響も受けたためか、1997年5月に廃止された(111番・高速バスの運行開始は1988年5月1日、117番・高速バスの運行開始は2017年7月1日)。

1997年5月 海洋博記念公園行急行バス廃止

沖縄バス60年のあゆみ(2011年3月 沖縄バス発行)p.43

通勤・通学向けの急行バスは1983年から運行開始

93番・海洋博記念公園行急行バスは、観光地への速達性を目的とした「急行バス」であったが、通勤・通学時間帯の速達性を目的とした「急行バス」の運行は1983年からであった。琉球バス、沖縄バス、那覇交通(那覇バスの前身)により、1983年2月1日から1984年1月30日まで実証実験として運行された$${^4}$$$${^5}$$。

実証実験が終了してから約1ヶ月間の空白期間があったようだが、1984年3月1日から、琉球バスが23番・石川(安慶名)線、那覇交通が24番・石川(大山)線にて、本格的に「急行バス」の運行を開始した。

一方、通勤、通学客のイライラを解消するため、琉球バス、銀バスは石川線の"急行バス"を3月1日、本格的に運行開始する。これまで沖縄バスを含め、3社で試験的に走らせていたが、好評だったことから、2社が通常のダイヤに組み込んで運行する。
区間は宜野湾市伊佐~泊高橋間の国道58号。停車は、伊佐、大謝名、屋富祖、泊高橋。それ以外は”各駅停車"。
琉球バスは系統番号23で、石川発午前6時54分、伊佐発同7時50分と、石川発同7時4分、伊佐発同8時の2本。銀バスは系統番号24で、石川発午前7時20分、伊佐発同8時10分。
沖縄総合事務局の調べによると、伊佐~ターミナル間が35分前後で、通常より15分程度短縮される。

バスの乗降 変更へ/石川線の通勤急行も本格化(1984年2月25日 沖縄タイムス)

「急行バス」が設定された2路線ともに、旧・石川市(現在のうるま市石川)の石川バスターミナルと那覇市の那覇バスターミナルを結んでいた路線であったが、この時の「急行バス」は、急行区間がかなり限定されており、宜野湾市伊佐から那覇市の泊高橋の約10km間のみであった。

23番・石川(安慶名)線と24番・石川(大山)線の運行ルート
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琉球バスの23番・石川(安慶名)線の「急行バス」は、石川バスターミナルが廃止され、具志川バスターミナル発着へと区間が短縮された後の23番・具志川線にも引き継がれた。急行区間(伊佐~泊高橋)もそのまま引き継がれたが、後に、当初の大謝名、屋富祖に加えて、後に、真志喜、宇地泊、第二城間、城間、上之屋にも停車するようになった。運行本数は1984年から変わらず那覇向けの1日2本のみであったが、2013年3月31日をもって廃止されている。後述するが、2003年7月より運行を開始したより速達性の高い「特急バス」に集約するためであったかと思われる。なおこの廃止に伴い、県内から「急行バス」は一旦全廃となった。

那覇交通の24番・石川(大山)線の「急行バス」は、石川バスターミナルが廃止され、知花発着へと区間が短縮された後の124番・知花(大山)線にも引き継がれた。運行本数は1984年から変わらず那覇向けの1日1本のみであったが、2004年1月末をもって「急行バス」も含めた124番・知花(大山)線自体が廃止されている。

ちなみに沖縄バスは、1983年2月1日からの実証実験のみの運行で終了したようである。「急行バス」が設定されたのは、名護市の久志バスターミナルと那覇市の那覇バスターミナルを結んでいた22番・久志線(現在は廃止)であった。

1983年2月 辺野古発伊佐~泊高橋の急行バス運行開始(6ヵ月間)

沖縄バス60年のあゆみ(2011年3月 沖縄バス発行)p.37

基幹急行バスとして2016年に復活

「急行バス」が復活したのは2016年10月3日のことである。沖縄県の主導により後の基幹急行バスに向けた実証実験として、再び那覇市の那覇バスターミナルとうるま市の具志川バスターミナルを伊佐経由で結ぶ、23番・具志川線に「急行バス」が復活した。復活後の「急行バス」は全区間に急行区間が設定された。また具志川向けにも設定された。
またこの復活と合わせて、沖縄バスと東陽バスにも「急行バス」が設定された。この基幹急行バスについては、別の記事で整理している。

全てのバスに停車する「急行線」やショートカットによる「急行便」が存在

1972年8月1日~1977年8月31日の間には、那覇交通により、8番・急行線が運行されていた$${^6}$$。路線名に「急行」と入っているが、これは那覇空港と那覇市中心部(牧志・安里・大道)を、既存の7番・空港線と比較して最短距離で結ぶという意味での「急行」だったようで、途中のバス停を通過する「急行バス」ではなかった。

7番・空港線と8番・急行線の運行ルート
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また2002年4月1日から運行を開始した、琉球バスの105番・豊見城市内一周線には、経路上にある豊見城団地に乗り入れず経路をショートカットする「急行便」が存在した。こちらは途中のバス停を回避する形で通過していたが、2010年1月31日をもって廃止されている。

105番・豊見城市内一周線の運行ルート(豊見城団地付近の拡大)
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特急バス

「急行」よりさらに上位の優等種別は「特別急行」を略した「特急」である。
2023年7月現在「特急バス」を運行している路線は存在しないが、かつては23番・具志川線に「特急バス」が設定されていた。運行開始は、2003年7月25日のことである。

琉球バス(⻑浜弘真社⻑)は25⽇から県内初の「特急バス」を23番具志川線に導⼊する。停⾞するバス停を⼤幅に減らし、具志川市から那覇市までの所要時間を従来の1時間40分から1時間25分に短縮する。朝の通勤客需要を掘り起こすのが狙い。
同路線の上りで運⾏している「急⾏」が好調なことから導⼊を決めた。
具志川バスターミナル-那覇バスターミナル間で停⾞するバス停を通常64カ所、急⾏50カ所に対し、特急は16カ所に抑える。
宜野湾市伊佐から那覇市泊⾼橋まではノンストップで、その後は各バス停に停⾞する。
導⼊は上り路線のみで、具志川発午前6時50分と7時の2本。すでに沖縄総合事務局に届け出た。同社は「観光バスタイプの⾞両を利⽤し、速く快適に通勤できる。固定客に期待したい」と話している。

琉球バスが特急運⾏/具志川―那覇、85分に短縮(2003年7月18日 沖縄タイムス)

既に運行していた、23番・具志川線の「急行バス」よりさらに停車バス停を減らした系統として運行を開始した。運行開始当初は、伊佐から泊高橋の約10km間がノンストップであったが、2010年8月24日以降は、途中に3バス停(宇地泊、第二城間(現・SCSK沖縄センター前)、上之屋)が停車バス停と追加された。なお2010年8月24日~2011年3月27日の短期間ではあるが、具志川向けの「特急バス」も存在した。

23番・具志川線と特急バスの停車バス停
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2018年10月1日時点では那覇向け5本が運行されており、利用状況は好調だったようだが、2019年9月24日より、沖縄県が主導する形で運行開始した「基幹急行バス」に切り替わり廃止となっている。

脚注

  1. 昭和53年度 業務概況(1979年 沖縄県陸運事務所発行)p.29

  2. 昭和56年度 業務概況(1982年8月 沖縄県陸運事務所発行)p.30

  3. 昭和58年度 業務概況(1984年8月 沖縄県陸運事務所発行)p.31

  4. 朝の通勤急行バス/時間短縮に効果/利用状況はいまひとつ(1983年2月20日 沖縄タイムス)

  5. 6か月の延長を決定./朝の通勤急行バス(1983年7月30日 沖縄タイムス)

  6. 那覇交通株式会社創立30周年記念誌(1981年4月 那覇交通発行)p.88、99

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