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伊江島旅行記【リリーフィールド公園・伊江島空港・ニィヤティヤガマ】

伊江島(いえじま)をご存じでしょうか?
沖縄本島の北西にある面積約22km2の小さな島です。

伊江島に遊びに行ってきました。

沖縄本島の北にある本部町(もとぶちょう)へやって来ました。町には有名な美ら海水族館(ちゅらうみすいぞくかん)があります。

本部町にある本部港(もとぶこう)から伊江島行のフェリーに乗りました。

フェリーいえしま

フェリーに車両をのせたあと、ゆっくりとランプウェイの扉が閉まりました。

すぐそばには船の機関室がありました。むき出しのエンジンの爆音が聞こえます。

車の中で待機していてもいいのですが、階段を登って上にあがってみました。

潮の匂いが漂っています。

個人的に船の緑色のデッキを見るとワクワクします。

後を振り向くと本部大橋が見えました。

本部大橋

伊江島が近づいてきました。
およそ30分の船旅です。あっという間に到着します。

真ん中に見えているのは城山(ぐすくやま)です。
伊江島タッチュ―という愛称で親しまれています。

伊江島

ランプウェイの扉が開いて、伊江港に到着しました。

伊江港

ちょうど百合祭りが開催されていたので、リリーフィールド公園を訪れました。

リリーフィールド公園

テッポウユリが見ごろを迎えていました。

テッポウユリ

白だけではなく色とりどりのユリの花が咲いていました。

公園のすぐそばには海が見えます。

仲村柄節(なかんかりぶし)の石碑がありました。

仲村柄節の石碑

石碑には次のように書かれていました。

仲村柄節

仲村柄そばいど 真簾(マスイダレ)は下げて
あにらはもとまば 忍でいまうれ

歌意
仲村柄家の母屋のそばいど(屋戸口)にすだれをさげてあるときは大丈夫だから忍んでいらっしゃい。
昭和六十二年十月建立 伊江村教育委員会

恋愛に関する詩のようです。

奥に見えるのは城山です。
城山以外の土地は平坦で、畑が広がっていました。

伊江島タッチュ―

畑の土は赤土です。

葉たばこ

伊江島の農作物はさとうきび、落花生、小麦、島ラッキョウ、葉タバコなどです。

ピーナッツ黒糖は伊江島土産の定番です。

伊江島空港ターミナルがありました。

伊江島空港

建物の中はがらんどうでした。空港は現在使用されていないようです。

観光ガイドマップの看板を発見しました。

島の東側にあるのが城山と市街地、真ん中に伊江島空港、西側には米軍が占有する伊江島補助飛行場があります。

伊江島の土地接収に関しては様々な衝突がありました。詳しく知りたい方は「乞食行進」を調べてください。

こちらはニィヤティヤガマです。
案内にはこのように書かれていました。

ニィヤティヤガマ

 島の南西の海岸線には多くの洞窟があり、ニィヤティヤガマ洞は川平区西側にあります。
 海上からは大きな岩で死角になっており、戦時中は村民の防空壕に利用され、多くの命を戦火から守ったことから「千人ガマ」と言われるようになりました。また、昔から子宝に恵まれない婦人は、この洞窟を訪れ、洞窟内にある力石を持ち上げると、その年から願いが叶えられるという伝説があります。

こちらはニャティヤ洞内にあるとされるビジル石のサンプルです。

階段をおりて下に行ってみました。

ごつごつとした大きな岩がたくさんあります。

ニャティヤ洞へ入ってみました。

ニャティヤ洞

広い洞窟です。戦時中、多くの人々がここで身を寄せ合いました。

ニャティヤ洞のビジル石

ビジル石がありました。子育て祈願の石です。

ニャティヤ洞のビジル石

 ビジル石は古来から子授けの神として崇められています。
 持ち上げて軽いと感じれば女の子、重いと感じたら男の子だと言い伝えられており、子宝を授かりたいと祈願して持ち上げれば願いが叶うとも言われています。
 持ち上げる際は、手をはさまないよう十分ご注意ください。

洞窟からのぞく海は透きとおった水で美しくて、眺めていると物悲しい気持ちになりました。

伊江島は沖縄戦の縮図とも言われています。激戦地となり多くの命が失われました。

総務省が伊江島の戦災について掲載していたのでリンクを乗せておきます。

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