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僕がOkinawan Identityを獲得するまで⑤初めてのマイノリティ体験


僕がアメリカに留学して最初にカルチャーショックを受けたのはアメリカ人ではなく日本人の友達だった。

前回も書いたが、
彼らとは人や出来事に対する感じ方などが微妙に僕とは違っていて、
そのような事は沖縄に居た時は一度も感じた事がなかったので、
それが自分を見つめるきっかけになった。

強調しておきたいのは、例のカフェで遅刻した僕に怒った子も、
積極的に※①ウチナーヤマトグチを覚えてくれたりと、その後も僕を慕ってくれた一人だった。
それと、その微妙な“感じ方”の違いは日本人全員に感じたわけではなく、
都会出身の人に数人いたというだけであった。

しかしそれが僕にとって、その後の人生において多大な影響を与えるきっかけになった。


その感じ方の違いは、彼らと僕のカルチャーが違うからだろうと納得した結果、
同じ日本人だと思ってたのに、自分だけがみんなと違ったんだという事にショックや大きな孤独感を感じた。

そして一つの疑問が起きた。

日本は単一民族国家じゃなかったのか?

僕は地理の教科が好きで、その教科書か資料集には
「日本は単一民族国家です」と書かれていた。

僕はそれを疑いもせずに生きてきた。
沖縄の歴史は受験に必要ないからかほとんど教わらなかったし、日本史の方が詳しかった。

今まで日本人と思って生きてきて、それに何の疑問も持つこともなかったのに、
なぜこの時は疑問を感じたのか?


この時の僕は、初めて自分が「マイノリティ」になる環境に身を置いていることに気づいた。

沖縄にいたらほとんどが「ウチナーンチュ」 沖縄人で、僕らがマジョリティ。
学校にもたまに転校生として内地から来た人もいたが、
彼らと接して僕らと何か”変わってるな”と思っても、
「ナイチャー(内地、県外の人)だから少し違うこともあるよね」って思うくらいで済む。

その転校生が自分らと少し違うのであって、
僕はマジョリティ側で周りのみんなと同じ感覚を共有しているので、
自分自身が何者かについて考える必要はなかった。

ところがアメリカに来たら、留学生の日本人の中で僕だけが沖縄人でその他はみんな日本本土の人。

異文化に接して僕だけが違うことに気づき、
「自分は何者なのか?」
「沖縄人って何?」
などと考える必要に迫られたわけだ。

その問いは、答えを出すまでに約2年半かかった。


※①ウチナーヤマトグチ(沖縄大和口)だいたい50代以下の世代が話す、
沖縄語(琉球語)× 日本語の言葉で、沖縄語の単語に日本語の語尾が付くような言葉。 例:ユクイン(一休みする)× 〜する = ユクる

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