沖縄マスターへの道

玲王奈です。沖縄の事ならなんでも知ってる、なんでもできる沖縄マスターを目指す「沖縄マス…

沖縄マスターへの道

玲王奈です。沖縄の事ならなんでも知ってる、なんでもできる沖縄マスターを目指す「沖縄マスターへの道」というYoutubeをやってます。僕が沖縄の事を学んだり体験をして「沖縄マスター」に近づいて行く過程を見ていただく事で、沖縄の事をより深く理解してもらえたらという思いでやってます。

最近の記事

Youtuber “沖縄マスター” が案内する沖縄マスターツアー

聖地巡り・琉神ツアー 浜比嘉島・宮城島聖地コース「琉球開闢の神」や「龍宮神」が祀られている御嶽(うたき)などの     聖地を巡る人気のコースです。   時間帯:11時〜18時  案内料金: ¥33,000 ( 1〜3名様まで)       *4名様以上でご希望の場合はお問合せください                 *英語対応可  コース詳細・お申込み ▶️ 浜比嘉・宮城島聖地案内.pdf 沖縄マスターオリジナルツアー ご希望に応じてコースやスケジュールをオーダーメイ

    • 沖縄マスターが琉球を案内する、沖縄マスターへの道ツアーができた経緯

      東京の友人から「沖縄の事ならレオナくんに聞いてみようって思って」と、 沖縄の聖地巡りを中心にしたい、 龍にまつわる所に連れて行って欲しい! という女性を紹介された。 アメリカンビレッジも行きたいし、 馬にも乗りたい 地元のスーパーに行きたい ガンガラーの滝や焼物にも興味あるなどなど 行きたい所、やってみたい事など彼女の要望を聞いた上で 3泊4日でどれだけ回れるのか? 距離感や移動時間など含めて計算して、 3泊では全部は回れないからどれをあきらめるか、など やり取りしながら

      • 僕がOkinawan Identityを獲得するまで⑧カリフォルニアで出会ったウチナーンチュ

        Montereyはダウンタウンが一方通行だったりとこじんまりとした街で、 アシカやラッコがたくさんいる美しい海も歩いて行ける、落ち着いた美しい観光地という感じだ。 そこから高速で時速140km位で確か30〜40分の距離にSalinasというメキシカン移民が多い治安の悪い地域がある。 そこのカレッジに通う日本人らとMontereyのカフェで友達になった。「Salinasに沖縄の人いますよ!今度連れてきますよ!」 1人目に会ったのは僕らの家で開いた飲み会の時だった。 初対面

        • 僕がOkinawan Identityを獲得するまで⑦ サンノゼで出会ったウチナーンチュ

          日本人の友達数人と車1台か2台でMontereyからSan Joseまで高速を1時間くらいドライブして、San Joseの紀伊国屋が隣接する※①ヤオハンまで月一くらいで買出しに行った。 食材はもちろん、漫画からコタツまで日本の物はなんでも手に入った。 小さな島出身だからか、大陸を運転して行くのは見える景色も雄大で美しく、ワクワクするものだった。 San Joseにはジャパンタウンがあって、赤ちょうちんという居酒屋まであったのでそこでたまに飲むのも楽しかった。 ある日フ

        Youtuber “沖縄マスター” が案内する沖縄マスターツアー

          僕がOkinawan Identityを獲得するまで ⑥在日コリアンとの出会い

          僕は他の日本人の友達らと同じ日本人だと何も疑わずに生きてきたけど、 何か僕だけが違った。 彼らとは感じ方、文化が違った。 じゃあ僕は何人なのか? 沖縄人?? 日本は単一民族国家じゃなかったのか? 沖縄人はどこから来たのか? などなど色んな疑問が湧いて頭から離れない。 2000年か2001年の頃、当時はNOMOがアメリカでトルネード旋風を起こしていた。NOMOの活躍は誇らしく、嬉しく思ったし、中田英寿がイタリアでゴールを決めたら熱狂する自分もいた。 それなのに、自分が「日

          僕がOkinawan Identityを獲得するまで ⑥在日コリアンとの出会い

          僕がOkinawan Identityを獲得するまで⑤初めてのマイノリティ体験

          僕がアメリカに留学して最初にカルチャーショックを受けたのはアメリカ人ではなく日本人の友達だった。 前回も書いたが、 彼らとは人や出来事に対する感じ方などが微妙に僕とは違っていて、 そのような事は沖縄に居た時は一度も感じた事がなかったので、 それが自分を見つめるきっかけになった。 強調しておきたいのは、例のカフェで遅刻した僕に怒った子も、 積極的に※①ウチナーヤマトグチを覚えてくれたりと、その後も僕を慕ってくれた一人だった。 それと、その微妙な“感じ方”の違いは日本人全員に

          僕がOkinawan Identityを獲得するまで⑤初めてのマイノリティ体験

          僕がOkinawan Identityを獲得するまで ④日本人にカルチャーショック?!

          たまに日本人の友達に感じた違和感、 それは感じ方。 これは全員に当てはまることではなく、特定の少数の個人との出来事。 その違和感は特に都会出身の人に感じることがあり、地方の田舎出身者とは僕と感覚が似ていると感じた。 一例を挙げると、 ある日女友達とダウンタウンのカフェで一緒に英語の勉強をすることになった。 僕が住んでるところは1時間に1本しかバスが来ないところだったが、 案の定それを逃してしまった。 携帯も持ってない時代だったし、 相手はウチナーンチュ(沖縄人)ではないので

          僕がOkinawan Identityを獲得するまで ④日本人にカルチャーショック?!

          僕がOkinawan Identityを獲得するまで ③日本人の友達と言葉の違い

          カリフォルニアのモントレーでは日本人の友達がたくさんできた。 日本語だと思って話してるのに、沖縄で話してた言葉と思ってたより違ってて、明らかに単語自体が違う言葉は当たり前だが、 単語的には普通の日本語なはずなのに通じないことがあることにビックリした。 休み時間に女子に「トイレ行ってこーね」って伝えたら、 驚いた顔で「えっ?」って言われて、 聞こえなかったのかなと、また言ったら もっと強めに「えっ!??」って返されて(笑) あ、何でかわからんけど通じて無いなと。 「俺、トイ

          僕がOkinawan Identityを獲得するまで ③日本人の友達と言葉の違い

          僕がOkinawan Identityを獲得するまで〜①三線との出会い 

          三線との出会い 1999年の1月にカリフォルニア州のモントレーに留学が決まった僕は、母の知り合いから三線を習うことにした。 小学生の頃、学校の三線クラブに入って三線を弾いてる友人を見ても、何か古くさいものというか、なんでクラブにまで入ってやりたいのかと、サッカーなどスポーツが好きだった僕は全く理解ができなかったのだが、これから沖縄を離れると思うとなぜか習いたくなった。 ちょうどその頃THE BOOMの島唄が流行っていて、僕にも「伝統文化」の三線が、少し身近に感じるように

          僕がOkinawan Identityを獲得するまで〜①三線との出会い 

          僕がOkinawan Identityを獲得するまで〜②家系図

          家系図を初めて見た時の衝撃 今から約25年も前のことなので記憶も曖昧だが、たぶん、留学して1年半後に初めて沖縄に帰ってきた夏休みのある日、僕は父の書斎で初めて家系図を見た。 当時、粟国島出身で僕らと親戚だという女性の方が、家系図の作成などルーツに関して色々調べているということで父を頼って訪ねて来られたそうで、その時にいただいたものだ。 その家系図は1600年代まで遡って書かれていた。 その起点が粟国島の与那城親雲上(ペーチン)という方で、その子の里忠(リチュウ)という方

          僕がOkinawan Identityを獲得するまで〜②家系図