見出し画像

間違ったら直せばいいんだよ

最近は謝ったら死ぬ病の人が多くなったようで、誠に気の毒に耐えない。
明らかに間違っているのに強弁して誤りではないと言って、
自分の小さなプライド以外に何が守れるのかと不思議に思うものだ。

学問はみんな間違いから始まったのだ、医学だって、200年も遡れば
悪い血を抜けば病気が治ると瀉血しまくっていたのだ。
それも藪医者ではなく、正式な医師がやっていたんだから唖然とする。

彼らは、嘘をついていたのではなく、患者を救いたかったたし
それを正しいと信じていたし、医学書にはそう書いてあった。
でも違っていた、それだけだ。

天動説だって完璧に否定されたのは、ここ150年位の事でそれは地道な観測結果と科学の発展がもたらした事だ。

天動説はキリスト教が正式採用した事で、でたらめの極みのように取られがちだが、現代の予想に反して、当時としては理に適ったモデルを持っていた。逆にガリレオで有名な地動説は理に適わなかったのである。
特に地動説では火星のような天体の逆行を説明できなかった。

全ての惑星が同じ方向に周回しているなら、天体の逆行は生じないからである。ガリレオの時代には、惑星の太陽周回軌道が太陽に引っ張られて楕円になっている事が分からなかった。

だから天動説は1500年の間宇宙モデルの主要な概念であり続けた。
ところが、天文学が間違いを一つずつ訂正していく間に、遂には天動説は完璧な誤りであると明らかになった。

だからって、地動説を唱えた学者が天動説を唱えた学者を排除したろうか?
お前らは天文学者の看板を下ろせと罵倒しただろうか?
そんな事はない、誤りが分かれば、天動説の学者も地動説に鞍替えしただけだ。何も恥ずかしい事はないじゃないか。

重要なのは、間違いを繰り返し真理に到達する事である。
裏返せば、真理に到達するまでは間違うという事であり、
謝ったら死ぬ病の人は、謝らず自説を曲げないのだから、
決して真理に到達する事がないのである。

間違ったら謝る、それだけの事だ。
己の体面より真実に近づく方が重要じゃないか。



今日のニュースを語ります。