首里城

生命どぅ宝を最初に言い出したのは蔡温だった!


戦世も済まち 弥勒世もやがて
嘆くなよ臣下 生命どぅ宝

これは、通説で首里城を明け渡して中城御殿に退去する
尚泰王が詠んだとされてきた琉歌です。
しかし、後に、これは沖縄芝居の中の創作である事が分かり
その発案者には、山里栄吉、眞境名由康、或いは尚泰王が当たり役の
伊良波尹吉の創作した即興の琉歌の説もあります。
ですが、生命どぅ宝思想自体は、もっと前からあったようで、
確認できる限り、それは蔡温が執筆した御教条に出てくるのです。
ですが、謹厳実直な蔡温が書いただけあり、
ここに出てくる生命どぅ宝は、芝居のような劇的な内容では
ありませんでした。

御教条とは何か?


御教条とは、1732年に三司官になって4年目の蔡温が起草した
薩摩支配下でいかに生きていくべきかを
琉球の各階層の人民に示したテキストでした。
これは、文字の読めない庶民にも毎月読み聞かせ、
筆算人の稽古にも使われたので、琉球人には馴染みでした。
これは、十八条からなり国法、生活規範、道義、習俗、
冠婚葬祭に言及した、正しい琉球人の理想を示しています。

御教条に出現する生命どぅ宝思想


この御教条に生命どぅ宝に近い表現が登場します。
それが、以下です。

身命之儀何之寶ヨリモ肝要二存保養可致候
病身罷候テハ何分相働度思候共存之侭
不罷成候然処常平日身持大形致終ニハ病氣差起候テ
タトエ養生仕快罷成候共其身痛ハ不及申家内モ疲行申事候間
身ヲバ大形ンナ無之様可持旨被仰渡候事

ほぼ、漢文なので現代文に訳すと以下のような意味です。

身命は如何なる宝よりも大切であり、
その保養に努めるべきである。
病身の身になってしまっては、
どんなに働きたいと思っても
思い通りになるものではない。
常日頃、身持ちをテーゲーにするから
しまいには病気にかかる。
例え、養生して治ったとしても、
自身は痛い思いをするのは言うまでもなく、
看病して家庭も疲弊してしまうのだから、
身持ちをテーゲーにしないように申し渡す事。

※大形はテーゲーと読み、疎か、大雑把の意味

極めて平凡で大事な蔡温の生命どぅ宝


蔡温のそれは、首里城明け渡しのようなドラマチックな時に
書かれたものではないので、極めて平凡で大事な言葉です。
ちゃんと健康に気を遣え、病気になったら働けないぞ
治療して治っても当人は痛い思いをするし、
家族は看護に追われ家全体が疲弊して衰えてしまうのだぞ。
そのように誡めています。

確かに平凡ですが、蔡温の生命どぅ宝は、
どうして人間が健康でなければならないかを説いています。
事実、太く短くなんて言って暴飲暴食を尽くして病気になり、
それでも、最新医療のお陰ですぐに死ぬわけでもなく、
長い余生を病気に悩みながら過ごし家族に迷惑をかけ
後悔してしまう人生が愉快な筈はありません。
現代でこそ大きく教訓にすべき事でしょう。

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