首里城

ゆいまーるの本当の意味に凍りつく・・


今では、歌にさえなり、ゆいレールの名前にも使われる
「ゆいまーる」という、うちなぁぐち。
何となく、一括りに「助けあいの精神」として知られるこの言葉。
実は、ある理由があって誕生した制度の産物なのです。
今回は、一番沖縄らしい言葉に秘められた厳しい歴史を紹介

ゆいまーるとは、労働力を
お互いに無償で融通しあう制度


ゆいまーるの意味は、ゆい(結ぶ・雇用)と
まーる(順番)がくっついた造語です。
具体的に言えば、ゆいまーるとは、
労働力を順番に提供していくというような意味でした。

それは、ある家が住宅を造ったり、畑を耕したりする時に、
村の人々が、カシー(加勢)し、カシーされた人は、
今度は別の人が労働力を必要とする時に
労働力を無償で提供する事で成り立っていました。

このような制度は、生産性が低かった琉球では、
当初、自然発生的に産まれたのですが、
18世紀の前半から、それは制度化されていきます。

納税は村の連帯責任 過酷な蔡温の政治


それは、蔡温が導入した納税の村全体での連帯責任制でした。
それまでは、家ごとに個別に納税していた制度を改めて、
村が一括して、全体の納税の責任を負うというやり方です。
これは、税金の滞納を許さないという蔡温の厳しさが出た施策で
村の納税が済まない限り、砂糖などの換金作物を
農民が個別に売る事も許されませんでした。

こうして、必然的に納税が出来ない農民の家の仕事を、
納税を済ませた人々が手伝ったり、皆で税金未納者の
納税を分担して肩代わりしたりというような、
ゆいまーるの精神が欠かせなくなります。

これにより、村の結束力が高まったのは事実ですが、
王府としては、無慈悲に税金を取り立てて、
取っぱぐれを無くす為の施策だったのです。

薩摩に仕上世(しのぼせ:年貢)を納める王府にも、
農民可哀想と言ってられない事情がありました。

蔡温は非情冷徹な政治家だった。


蔡温は、政治的リアリストであり、温情よりも、
法の執行を重視した信賞必罰の人物であり
この時代に琉球は第二次黄金期を迎えましたが、
農民は極限まで労働力を絞り出される
なかなか難儀な時代でありました。

王府にとっては、重宝な人だったでしょうが
庶民にとっては、恐ろしい人物として
映った事だと思います。

ゆいゆいゆいまーると歌詞にもあり、
沖縄の助け合い精神の象徴のように言われるゆいまーる
しかし、その始まりは税金は連帯責任で必ず納めよという
血も涙もない蔡温の政策だったのです。

琉球・沖縄の歴史を紹介

http://blog.livedoor.jp/ryukyuhattuken/

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