足が遅いこども

 走るのが苦手である。

 体力測定で50m走をすると自分のタイムはいつも下位だった。小学校の低学年頃には自覚した。僕は足が遅い。小学生ぐらいで運動ができないやつといえば太っているか貧血気味と相場は決まっているが、僕は標準的な体型にもかかわらず、であった。クラスには一人ぐらいいる、見た目に反してなぜか足の遅い奴、それが僕であった。

 太っている枠で足の遅かった川崎君という男子がいた。背が高い上に太っているので、ぬりかべのような威圧感のある体格だった。とはいえ穏やかな性格だったので「ボーちゃん」というあだ名がついていた。クレヨンしんちゃんの彼である。彼と僕とは50m走で熾烈な下位争いを繰り広げていたものだ。

 足が遅いのがコンプレックスだった僕は、自分なりに足が速くなる方法を模索した。

 漫画「あさりちゃん」のあとがきで室山まゆみが『足の遅いやつの走り方』というイラストを描いていた。そこには「足だけが先にいき体についていかない」というコメントと、体が後ろにつんのめって泥棒みたいに足を突き出している作者(妹のまりこさんの方)の絵があった。それを見て考えた。ならば体を前に倒せばいい。しかし速くはならなかった。前傾姿勢を維持して走る発想は不正解といえないと思うのだが、結局体がついていかなかった。

 他に参考にしたのはチーターの動きだ。「たけしの万物創世記」という自然科学系のバラエティ番組で、チーターの速さの秘密という小特集があった。草原を走るチーターを真横から映した画面で、細い体がさらに横一線になって進んでいく。なぜ速いのかという肝心の部分を聞かないまま、その姿だけが印象に残った。

 注目したのは走るチーターの後ろ足で、ほとんどつま先しか地面についていなかった。これは真似できると思った。走る間は踵をつけず、常につま先で着地しては地面を蹴るような走り方を練習してみた。着地のときにものすごく太ももに衝撃がかかってふらつくし、スニーカーのつま先では地面を捉えきれずズルズル滑ってしまう。これもスピードが出なかった。

 そもそも四本足の動物の場合、後ろ足は最初からつま先立ちみたいなものである。そこで前足があるから安定するのであって、二足歩行の動物が真似してもあまり効果はない。

 ここまでは小学校ぐらいの話だが、スピードへの飽くなき探求は中学校でも続いた。体育の教科書にで僕は二つの走り方を知った。ピッチ走法とストライド走法だ。小さな歩幅で回転を速くする走り方と、大きく足を広げストライドをかせぐ走り方。僕はその二つをどちらも試した。ピッチ走法はとにかく足の回転を速くしようとして、地面を足が空回りしてしまう。ストライド走法は走り幅とびぐらいの意識で足を広げるので、次の足が出ない。これもまたうまくいかなかった。他にもたぶん色々と試行錯誤したのだが、どれも効果はなかった。

 この頃、同じ中学校に進んだボーちゃんはハンドボールを始めてしまった。脂肪が筋肉に変わった彼は単に大柄な男子になり、どったんばったんしていた走りが、どすどすどすどす!に変わった。まるで機関車であった。ピッチも速くなったうえに元々のガタイをいかしてのストライド走法である。なんだよ両方かよ、ずるいよ。と思った。

 気付くと、体力測定で彼はクラスの平均よりも少し早いぐらいにまで昇格していた。勝手にライバル視していた僕は、単純に彼がダイエットしたから速くなったと思い込むようにしていたが、もちろん原因はそこではなかった。

 僕も、運動部に入って鍛えていれば多少はマシになったと思うのだが、元々運動に自信がなかったので運動部に入る気がしなかっただけなのだ。

 僕は、別に運動が嫌いだったわけではない。スポーツはむしろ好きな方だ。体育は常にほぼ全力でやっていた。ただ運動能力が、とりわけ走力がなかっただけである。その状況は不本意だったし、だからこそ速く走るための試行錯誤は続いた。でも別に専門的に体の使い方を学ぶでもなく、既に書いたような我流のトライばかりだったから、ほとんどが無駄に終わっただけである。

 たぶんその無駄としか思えないような努力は、当時は単に楽しいからやっていた気がする。

 僕は手段を選んでいた。誰かに教えてもらうのが好きではなかった。 自分でどうすればよいか方法を考え、見出し、それを実践して、そして能力を向上させていくことに意義を見出していた。それが結果としてあまり効果を得られなくてもいい、というわけではなくもちろん結果も欲しかった。でも、それよりも僕が、僕だけの力で実行することが大事だった。

 今の僕は特に走るのが遅くて生活に困っているわけでもない。一人の世界にこもって走りを追求していたあの特訓の日々は、無駄だったけれど、仮に効果があってもやはり無駄だった。

だったら僕は走る特訓をそれなりに楽しんだわけで、よしとしておく。


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