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砂場から地球の裏へ

 砂場で遊ぶ子供というと山を作るのがテンプレートな風景だが、地球の裏側まで突き抜けたいという欲望を抱いて穴を掘る経験も割とよくあるものらしい。僕もそのタイプだった。


 通っていた保育所の園庭の端に鶏小屋があった。その前に小さな砂場があって、そこをシャベルで掘り続けるのが僕のある時期の日課だった。シャベルは鉄製の先のとがったタイプで、黄色いペンキの塗装が先っちょだけ剥がれていたのを覚えている。

 砂場というとよく白っぽい砂のイメージで描かれることが多いが、保育所の砂場の砂は黒っぽかった。アスファルトを砕いたような色味で、細かい粒を太陽に透かすときらきらと光った。さらさらというよりは、ずるずるという感じで手の間からこぼれ、妙に重たかった。

 地球の裏側を目指して砂場の砂を掘っていた。重い砂を小さなシャベルで掘り続けるのは、それなりに体力が必要だ。砂を掬っては脇に投げ捨てる。一回に持ち運べる量は限られているから、二十回も掘削するとそれなりに疲れてくる。なんといっても四、五歳である。

 砂堀をしたことのある人ならご存知と思うが、ある程度すり鉢状の穴が出来てくると、その縁にある砂が崩れてきて中心部を埋めてしまう。それを掬ってもさっき掘った深さと同じでしかない。このぐらいになるとだいぶ徒労感が湧いてくる。

 僕は、より深く掘るには、崩れを防ぐために横にも穴を広げていかなければいかないことに気づいた。当初は自分の頭ぐらいだった穴の直径は、次第に胴体ほどまで広がっていく。ここまでいくと今度は別の問題が発生する。穴の中心部まで手が届かないのだ。腕を目いっぱい伸ばしても、底にたまった砂をシャベルの先端がかするばかりになってしまう。もし少しでも足を踏み出そうものなら、それまで均衡を保っていた穴の縁の砂が、踏み込みによって一気に崩れる。土砂崩れによってせっかく掘った穴の中心部はまた埋まってしまうのである。

 そんなこんなをくりかえして四苦八苦していると、保育所の遊びの時間は終わってしまう。そしてショッキングなことに、次の日になると穴はきれいに埋められて均されてしまっているのである。たぶん保育士の先生の誰かが、毎日きちんと手入れをしていたんだろう。

 何度か試行錯誤を繰り返すうちに、僕は一つの策を見出した。たぶん雨が降った日の翌日に見つけたのだと思う。雨が降ると砂が固くなることを発見したのだ。これなら縁が崩れる事故は起きない。それからは砂場で穴を掘るときは、まず青いプラスチックのバケツに水を汲むのが最初の作業になった。汲んだ水は、今日これから掘ろうと決めた一帯にゆっくりとかけた。それを何度か繰り返し、色の濃い砂がほとんど黒くなるほど水を浸み込ませた。これによって砂が崩れる問題は改善した。

 それだけでなく、シャベル一回で掘れる量も増えた。今までは掘った砂がシャベルの上で形を保てずさらさらとこぼれていたのが、湿ることでこんもりと乗ったまま、運べるようになったのだ。穴掘りはうまくいくかに見えた。

 しかし新たな別の問題が発生した。それは砂が固くなったので、シャベルが通りにくくなったことだ。砂場の砂というのは上の方こそ軽めの石が多く柔らかいのだが、表層の少し下はもともと重みがかかっていて密度が高い。水を吸い込むと普通の土と同じぐらい固くなる。小さなシャベルではどんなに勢いよくさしても、そのあとグイグイ押さなくては土がすくえない。結局以前と同じかそれ以上、穴を掘るのに疲れてしまう。そして時間が来る。

 僕は色々と工夫した。水を浸み込ませる範囲を円周上にして穴の縁だけ崩れないようにするとか、掘るときだけ水をかけるとか。でもやはり穴を深く掘ることは難しかった。

 ブレイクスルーは突然やってきた。なぜかその日、シャベルなど園芸用品が置いてある場所に、大きなスコップが置いてあったのだ。木製の柄は僕と同じぐらいの背の高さだ。すくい取る金属面は、両手でも足りない広さだった。

 スコップを濡らした地面に突きさし、ホッピングの要領で金属面の上端に両足で乗ると、地面にズズズと深くつきささる。スコップを降り、てこの原理で柄を引き倒せば、大量の土が一気にめくれ上がる。その後にはシャベル十掘り分はかかるであろう大きな穴ができる!

スコップを得た僕はただ深く穴を掘りつづけた。深度は今までの最高を超え、底に足をついたら地表が胸のあたりに来るぐらいにまでなった。そしてそこで、固いものにあたった。よく見ると、砂場の下には何やら紺色がかった土の層があった。その土はどうやら砂よりもよほど堅い土のようだった。僕が更によく見るために、狭い穴のなかで体を捻じ曲げながら顔を近づけると、下水道のような臭いが鼻についた。面食らってすぐ穴をはい出た。

 たぶん、砂場の下には下水管でも通っていて、それがしみだしていたのではないかと思う。ヘドロのつまったような土の臭いに、僕はなんだかひどくショックを受けた。地球の裏側を目指しているつもりだったけども、実際のところ僕は、穴を深く掘った先に何か素晴らしい物があると期待していたようだった。

それ以来、砂場を掘ることは二度と無くなった。

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