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ばーゆとコダマ

「馬油」と書いて「ばーゆ」と読む。
僕の家にはラベルに「馬油」と書かれた瓶がある。手の平に収まるぐらいの円筒形、ガラス製で、中には透き通った軟膏みたいな白い塊がへばりついている。まあ名称から察するに馬の脂なのだろう。動物性脂肪の塊だから透き通って白いのだ。

妻と一緒に暮らし始めて、気づいたときには家にあった。
どうやらこれはスキンケアか何かに使うものらしい。らしいというのは、妻がこれを使っているところを一度も見たことがないからだ。だから正確な用途はわからないし、聞いたこともない。
僕はこれまでの人生で馬油なるものの存在を一度も見聞きしたことがなかった。そして目の当たりにしても興味をそそるような見た目でもなく、組成に関して察しもつくから不思議というわけでもなく、詳しく知ろうと思わなかった。
だから普段、僕は、これっぽっちも馬油のことを意識しない。次の二つを除いては。

今の家のレイアウトにはちょっと難があり、僕がこの文章を書いているパソコン机のすぐ横に姿見が置いてある。
妻はときおり姿見の前で馬油を使うらしい。らしいというのは、きづくと馬油の瓶が僕の机の隅っこに置いてあるからだ。
しかも蓋が空いた状態のまま。
妻はもうとっくに姿見の前からは消えていて、僕は仕方なく馬油の瓶と蓋を妻の机の上に置きなおす。そうして僕は馬油の存在を考えなくなる。

いつもは冷蔵庫の扉裏の卵置き場の横に置いてある。油脂だから温度が上がるのを嫌うのか、それとも生物由来の成分だから腐るのでそれを避けたいのか。
この瓶は冷蔵庫の扉を開け閉めしていると倒れるようで、きづくと転がり始める。すると扉の開け閉めのたびに、置いてあるスペースの壁に当たってガッタンゴットンと音を出す。持ち主である妻はそれが気にならないようで、一方で僕はどうにも気になる。
よって僕は、いつも円筒形の中心線を冷蔵庫の扉の回転方向に合わせ、向きを直す。こうすれば転がりにくくなるからだ。ちなみに瓶を立てると引っかかって扉が閉まらない。
そうして、僕は馬油の存在をまた考えなくなる。冷蔵庫を開けるたびにほぼ必ず視界に入るのだが、石ころ帽子をかぶったのび太のように意識に上ってこない。

馬油とかかわっているとき、妻が他人だと強く感じる。
これは別にネガティブでもポジティブな意味でもなく、当たり前のことをよくよく思い出すということだ。
そして僕は、そのことを少し面白がっている。

馬油は、妻にとっては必要なものだ。しかし僕は、もし妻と暮らすことがなければ、馬油の存在すら知らなかったかもしれない。
そんなものが、僕の生活する領域にふと前触れもなく現れる。
僕の机の上に陣取っていたり、ガタゴトと鳴ったりと、どちらかといえば煩わしい感じで登場するのだが、それはともかく。

映画「もののけ姫」で、アシタカが森に入ったときに、たくさんのコダマ(森の精)が現れるシーンがあった。あのコダマは別にアシタカたちが来たからやって来たわけではないだろう。最初から辺りにたくさんいて、それがふいに見えるようになったのだ。ああゆう意思があるのかないのかわからない存在は、特に理由もなく、人間の事情もお構いなしに現れたり消えたりするものだ。

僕にとっての馬油は、コダマに似たところがある。自分の人生のなかで全く関わらないはずの馬油が、ふいに生活のなかに現れると、僕は少しだけ驚き、ああそういえば他人と暮らしていたんだったと思い至る。
まるで「他人と暮らしている」の精がふいに形をとって現れたかのようだ。
僕はいつも面倒だなあと思いつつ、その精を適当なところにほかしているということになる。


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