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みっそ

みっそは、今もあるらしい。

 子供の頃、母はマイカーを停めるために借りた駐車場を「みっそ」と呼んでいた。理由は簡単で、元々味噌を作っていた蔵が廃業した跡地を駐車場にしていたからだ。なぜ間に「っ」が入るのかはわからない。母がそう呼んでいたからとしか言いようがないが、母はそういう不思議なところがある人だ。

 正直、みっそは嫌いだった。これも理由はシンプルで、みっそに停めてドアを開けた瞬間、蔵中に染み付いた大豆の発酵臭が車の中にはいってくるからである。この臭いはかなり強烈で、子どもの僕はみっその敷地を出るまでずっと息を止めていた。母は我慢強いのか発酵臭がすきなのか、平気な顔をして歩いていた。あの駐車場は駅に近くて便利な場所にあったが、月極の料金はかなり安かったのではないだろうか。


 茨城で生まれ育った僕にとって、味噌汁の色といえばオレンジ色にちかい明るい茶色だ。柿の種のような色である。だから西の方に旅行に行ったときに出てきた味噌汁には驚いた。あるときは妙に甘ったるいカフェラテみたいな白い汁が、あるときは酸っぱくて十円玉みたいな赤褐色の汁が出てくる。すするとどうやら味噌汁だとはわかるが、しかし美味しくないなあ、駄目な味噌汁だなあと思っていた。

 好きな味噌汁の味噌は?と聞かれると白味噌か赤味噌かという話になると思うのだが、僕にとって馴染み深い味噌はあのオレンジ色なのだ。あの色をなんというのか知りたくてマルコメ味噌のホームページなどを当たってみたが、「淡色」とか、どうやらいまいちはっきりした名称はないようだ。あれにも「赤味噌」「白味噌」のようなキャッチーな名称をつけて欲しいものだ。

 味噌の分類はまず麹の種類(米、麦、豆)が重要なようで、麹の選択その他の工程いかんで味や香りに違いが出てくる。色の変化はそのついでて、要するに色での分類はそこまで大事ではないのだ。

 とはいえ僕の好きな味噌にも一般名称は欲しい。赤でも白でもしっくり来ない以上、そのどちらも使えない。かといって「茶味噌」と言えばいいかというと、味噌は普通は茶色なのであまり範囲を絞れていない。そのくせテレビなどで見る味噌は、あのオレンジに近い色である。そう考えるとあの色は「普通の味噌」で通じるのかもしれない。しかし「普通の」を冠しての呼び方は当てにならない。相手も僕と同じ普通を共有している保証はないからだ。味噌にははっきりと地域性があるのだから。

 ではどう言うべきか。細かい分類で言えば、僕の好きな味噌の種類は「信州味噌」ということになる、はずである。色はもちろんオレンジ色、麹は米を使う。しかし好きな味噌汁の味噌は?と聞かれて「信州味噌」と言って通じるのは、関東甲信越地方の人か味噌好きの人ぐらいだろうと思う。だから僕は結局自分の好きな味噌を説明するのに、少し骨を折ることになる。

「あの白でも赤でもないオレンジ色っぽい茶色で、米麹で、信州味噌とか言うと思うんですけど」と面倒な言い方をしなければならない。だからあまりこういう説明はしたくない。加えて、自分の子供の頃から馴染んでいるものに、縁の無い地域(信州)の名前がついているのも気に入らない。幸い、好きな味噌の種類を訊かれる機会がほとんどないので、つらい思いをした記憶はないが。


 ところで好きな味噌汁の具は?という質問ならば、僕は「じゃがいもとわかめ」と答えるだろう。味噌汁をおふくろの味と言ったりするが、僕にとって味噌汁はおばあちゃんの味である。

 栃木に住んでいた祖母の家に行くと出てくるのがじゃがいもとわかめの味噌汁だった。味噌はもちろん信州味噌だ。祖母はそれを「おみおつけ」と言って僕に出してくれた。小学校何年生かのときに平成教育委員会で「御御御汁」と書いてそう読むことを知るまで、僕はそれが味噌汁の丁寧な言い方だとすら知らず、単に栃木の方言だと思っていた。

 僕はおみおつけを、まずわかめをすくって食べつつ、煮溶けるぐらいに柔らかくなったじゃがいもを箸でつついて崩すのが好きだった。崩れたじゃがいもと白いもろっとした粒粒とが混ざったそれを一気にかきこむ。ぞろぞろっとした喉越し。いつもの味噌の風味に加え、じゃがいもが溶けたのでポタージュのような甘さが加わる。これが美味しかった。

 僕が好きだ好きだというので、祖母は僕が来るとほぼ必ずそれを作ってくれた。僕にとってはこれが家庭の味噌汁の味である。母も味噌汁はふつうに作っていたが、なぜか一度もじゃがいも&わかめの組み合わせでは作ってくれなかった。

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