見出し画像

【はじまりはここから⑥】戦慄の滝登り

(カバー写真は、滝ノ瀬十三丁の終盤地点)

合宿2日目 朝4時起床。
天気は晴れ。
足が棒のようだ。動きたくない…
朝食を済ませて、またパッキングをする。
このとき、先輩たちは共同装備や食糧をぼくたち一年生に全部押し付ける。ますます重くなった。
Aヒサ君は、この出発時ザックにウンをつける。
悲惨にも沢の水でせっせと洗っている。

またゴロゴロの沢を遡行する。
魚止めの滝は、沢が「S]字にクランクした奥にある。
左岸を通って滝を越える。
魚止めの滝をこえると短い急な滑滝がありその向こうに第2の滝がある。高さ12〜13mほどだろうか。(釣り師が大物を釣り上げたとき、どんどんサイズアップして吹聴してゆくように、実際にはもっと小さかったかも知れない…)
後に知るが、この第2の滝は右岸に高巻き道(滝を直接登らずに右左岸どちらかに迂回する道のこと)があるのだが、ここで事件は起きた。

K先生は、滝を直登するといい、先頭ですいすいと登って行った。その後ろをO君が続いた。
ぼくはその次の次だ。
水に濡れて滑りやすい垂直に近い滝を慎重に手足で登ってゆく。怖い。
上のO君が見えなくなった。登りきったようだ。
次の瞬間、O君が頭上左から宙を舞っていった。
落ちたのだ。戦慄が走った。
大きくザバンと水音がした。
おそるおそる下を見ると、O君は滝壺にカメのようにうつぶせにじっと浮かんでいた。
死んだかも知れないと思った。
ぼくは滝の壁でセミになった。

彼は回想でこう語っている。
「落ちてゆくときは何も考えなかったが、落ちたら痛いだろうなとは思った」
K先生は、救助の伝達や方法をどうするか?そして教員生活も終わったと感じたという。

「大丈夫かあー」、見えない上からK先生が何度も叫んでいる。
滝の下にいるみんなは大騒ぎである。
O君はH先生に無事に引き上げられた。
「よく助かったべさ」
どこもケガひとつさえしていないようだ。
歓喜の声もなく、また涙も見せていない。
滝壺の水深が浅かったり、周辺の岩から数十cmズレていたら、彼の身体は砕かれていたろう。
そして、後続していたぼくたちも衝突や巻き込まれはしなかった。

O君が滝の上から滑り落ち始めた時、K先生は手を差し伸べたと言う。つなぎとめることは出来なかったが、もし、つなぎ、K先生までもが墜落してゆく事故になっていたなら、2人の重症者と残されたぼくたちは一体どうなっていただろうか。
考えるだけでも恐怖だ。

後になって振り返ると、O君だけが、新入生が買わされた赤い筒形のザックではなく、唯一、自前の年季の入ったキスリング型ザックだった。
幼少の頃に亡くした父親のものだったのかも知れない。もし、そうなら彼はきっと守られたんだナと思った。ぼくはそう思っている。

事故ではなく、事件だけで終わって、ほんとうに良かった。

後の懐述記録(事件から6年後)や、社会人になって再会したときも、O君は誰かを責めたり、恨んだりはしていないことを添えておこう。

さて、話を戻そう。
事件後、みんなでちゃんと右岸から高巻きし、第2の滝を越えると「滝ノ瀬十三丁」の始まりである。川幅一杯に苔むした河原は勢いよく水流があり、この幅広で真っ直ぐでクッションが効いた滑(なめ)の遡行はいい。
どこを歩いても快適だ。

滝ノ瀬十三丁をゆく 撮影:石川清氏 1989年
3年後 3回目のクワウンナイ沢にて
中央奥でサポートしているのが自分


滝から落ちてショックの大きかったO君は河岸の端をびしょ濡れになりながら寡黙に歩いている。
しょげているというよりは、無言、話しかけられないような気迫が伝わってきた。

この滝ノ瀬十三丁の滑滝は、奥二股で銀杏が原からの水流と合流してからもまだ上流へと続き、総延長約1.5km、約一時間の遡行となり、ハングの滝の手前近くまで続く。

ハングの滝は、オーバーハングからの名称のようで、もちろん直登できそうにない。見事な滝だ。
滝の2~30m手前右岸に踏み跡があり、最初は崖に向かい、崖沿いに滝から離れるように進んだ垂直の壁を古い残置ロープを頼りに登る。

二股の滝は二段の滝で、ここも登れるものではなく、右股から音を立てて落ちてくる滝を見ながら二股の滝との間のガレを注意して登る。
ぐんぐんと高度を稼いでいたのだろうけれど、振り返って見ると、合宿中、この時間の登高が一番キツかった。

この沢は、雨が降ると一気に増水し遡行が不可能になるほど上流の受け口が広く天候に左右されるらしい。
二股の滝から源頭までの沢は、とても綺麗な階段状の滝が続き、1480m付近にあるすだれ状の滝は右岸の草地に巻き道ができている。
この滝あたりから右岸を中心に踏み跡がはっきりとしてきて、道はなだらかになる。

やっと源頭付近に到着。
時は、正午過ぎだったと思う。
ついに岩(滑落)と水(溺れ)の死の恐怖から逃れられた。
きっと誰もが安堵したことだろう。
エゾノハクサンイチゲ(後で知る)の花たちなどが広がる草原の景色の中、ようやく地下足袋とわらじから素足を開放できた。わらじの減り具合はギリギリだった。
源頭からの生まれたての冷たい水で喉を潤した。
行動食をほおばり、暖かい日差しを受けながら、青空の下、草むらに寝そべって長居した。
柔らかな風がそよそよ吹いていた。

この源頭の景色と感慨は、滝ノ瀬十三丁以上の大きなものに、ぼくには感じられた。
山に来て良かったナと、初めて思えた。


この記事が参加している募集

山であそぶ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?