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【はじまりはここから⑤】夏山合宿クワウンナイ沢へ

8月2日、夏山合宿初日、自宅で早朝に起きると天気は濃霧だった。
一行はO山先生たちの運転で、白○村組をピックアップしながら、細かいカーブの多い北見峠を越え、上川盆地、そして天人峡に向かう。

天候は晴れだ。
天人峡温泉手前の左側の駐車場で出発の準備をめいめいにする。
あっちゃんが水筒を忘れてきたと言う。
K先生にバカモン!と怒られる。
この頃の水筒というのは、小さなポリタンクだった。
缶詰を開けて空き缶にして代用するという…

共同装備と食糧は先輩たちも含めて平等に分担し、各人のザックは20kgくらいだろうか。
重たい…
こんな重い荷物を背負うのは生まれて初めてだ。
背負えない…仲間に手助けしてもらいながら立つ。
二、三歩、おぼつかない。

入渓はクワウンナイ川右岸沿いにある林道をポンクワウンナイ出合いまで進み、川床に下りる。
両岸が切り立っている。
一度、ザックを下ろし、ここでわらじを履く。
いよいよだ。
沢の出合い(618m)に深い函があり、右岸の高巻きを利用する。一の函と呼ぶらしい。
ここはへつりながらの一大ジャンプが必要であり、沢に落ちたら死ぬのは間違いない。
(↑カバー写真のとおり。使い捨てカメラにて)
今までの人生で一番怖かった。
ぼくが躊躇していたため渋滞した。

日差しが暑い。
その太陽の方向に向かっている。
ここから広い河原の徒渉を繰り返しながら進むが、股下までの水量、何度も沢に流された。
沢とは名ばかりで川である。
幾分浅い瀬を渡るが、急流…
流される度、水中でもがき、ザックのせいで頭が上がらず、息ができない溺れもあり苦しかった。
この合宿のために新調したアディダスの水色の帽子も流されていった。
ぼくの身につけていた安物の腕時計は針を止めた。

K先生曰く、しばらく降雨もなく、水量は落ち着いている方なのだと言う。
河原での道は、ときに背丈以上ほどの大きなフキの間も進んだ。そうしたところだけ砂地だ。
こういうところは河原も広い。
K先生が、軽快に、どんどん先をゆく。
見えたり消えたりしていたので、ぼくはかなり隊の前方にいたと思う。
K先生に、流されているところを笑われてもいた。
しんがりは、安心のH先生がついてくれている。
小沢が数本入り込んで来る。
やっぱり縦走装備での河原歩きと徒渉は、キツイ。大きな石を乗り越えたり、跨いだり…
再びK先生が言うには、大きな石を越えるときには、いちいち立ち登ってはイケナイと言う。膝を曲げたまま腰を水平移動させるようにするのがコツらしい。
言葉では理解できても実践はできない初心者だ。
ぼくはだんだんと遅れだした。

16時過ぎ、二股手前の左岸の小さな台地にキャンプをすることとなった。
誰一人、落伍しなかったことは、スゴイと思う。
みんな懸命だったろう。
もう森の中の沢では残照だ。
人生で一番疲れた一日。
早くテントの中で横になりたい。
地下足袋も早く脱ぎたい。
足はふやけている。
下半身はべしょ濡れだ。
みんなでテントを立て、炊事をする。
テントは先生のも含めて4張。
夕食はジンギスカンだ。
さすが先輩たちはまだまだ余力があるようだ。

先生たちは、そばで釣り糸をたらし、オショロコマを釣っている。
ぼくもさせてもらう。
白いメモ帳の切れ端を擬餌にしても釣れる。
人を知らないのだろう。
大きさは20cm超え。模様が美しい。
ヤマメは釣ったことはあったけれど、オショロコマは初めてだった。
焚き火をして、焼いて食べたが、生臭い牡蠣のような味がして、ぼくの口には合わなかった。
魚のいのちよ、ごめんなさい。

焚き火というのも初めてしたかも知れない。
パチパチと炎が上がる。先生たちはほろ酔い。
わらじは今日一日で両足共に擦り切れてしまった。明日からは予備の新しいのを履こう。
そばを流れる沢音を聴きながら、テントの中で足を棒のようにして眠る。
明日はいよいよ国内屈指の美しい沢と言われる真骨頂、滝ノ瀬十三丁の滑滝が現れるらしい。

翌日、我らの山岳部史上、後にも先にも類を見ない事件が待っていようとは知らずに、夜は更けていった。



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