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知床・知西別岳

日程:1992年2月15(土)〜16日(日)
メンバー:Eさん、ミツルさん、ぼく

「嗚呼、繰り返される2月の第3…」
「にがつのだいさん」、Eさんにとって5年、ぼくにとっては3年来、知西別岳に通いつづけている。毎年、フラれつづけてきている相性の悪い山である。Eさんは1回目に頂上直下まで到達したにもかかわらず、行動食の食糧尽きて断念。あとは天候に恵まれないのだ。昨年は吹雪で網走の家(下宿)から一歩も出られなかった。そういうわけで今年も2月の第3土日、懲りずに知西別岳へ向かったのだった。

「とうさんもミツルも何も言わんき」

「ヒデキ、今回、リーダーやりぃ!とうさんもミツルも何も言わんき」と言われたのは、2月1日だった。ぼくはびっくりしたと同時に、今までKさんやFさんたちの判断どおりに行動していたので、よくその言われた言葉を考えると難しいことだと思った。安全第一だけど、ぼくの一言で登頂がダメになってしまうから。ぼくなんかは学生だし、いつでも時間がとれて山に入れるけれど、例えばEさんはその期間しかチャンスがないわけで、気象と装備、みんなの気力、体調などすべての条件の中で、精一杯ピークをめざそうと思った。

「配達兼ねてウトロへ向かうぜ」

Eさん宅を13時過ぎ、Eさん、ミツルさん、ぼくの3人は、Eさんの4WDに乗り込んだ。知○ファーム、佐々木旅館に配達をしていく。日中、2月とは思えない暖気で道路はグチャグチャ。途中、雪にはまっていたプレリュードのお兄さんを助ける。斜里に向かう国道から右に見える斜里岳が稜線を真っ白に輝かせて、おいでおいでしている、カッコいい姿。ウトロの流氷も南風のせいか、かけらしか浮かんでいない。派出所に計画書提出。ゲートに15時30分着。さあ、出発!

「月明かりの下でワッセ、ワッセ」

スノーモービルのありがたいトレースを辿って峠へ向けて歩き出す。左のパノラマは硫黄山までのダイナミックな景色。夕焼けていく青空。気持ちいい登行。夜の帳が下りてきて、羅臼岳が月に青白く浮かび上がる頃、3人の距離も離れてきて、1人の夜の行動は気が滅入る。18時30分、テントサイト予定地の大曲にEさんと着く。テントを背負っているミツルさんが来るまで、整地したり、水作り用の雪を掘ったりして過ごす。なかなか来ないので、カーブひとつ下りる。19時30分合流、設営。ゴアテックスのテントを購入してから、冬山の居住性もぐんと良くなった。ビールで乾杯!うーん、うまい!静かな夜。月の明かりに負けない星たちが夜空を飾る。21時30分就寝。

お外は真っ白ー

暖かい夜だった。4時起床。準備は整ったものの少し明るくなるのを待って6時出発。大曲から小さい尾根に取り付いてゆくも風が強く、ガスで視界は20〜30mほど。出発してから30分でツェルトをかぶる。

「ヒデキ、どうするんじゃ」

7時過ぎまで天候の回復の様子を見て、稜線上の風の強さ、視界のことを考えての引き返しとする。
予備日もない。
すぐにベースキャンプを撤収して、シールを外して、ワックスを塗りつけて下山。50分でゲートに着く。8時40分。

もうひとつの日曜日のはじまり

ウトロは2月だというのにポツポツ雨だ。一路、網走へ向かう。まだ10時30分過ぎである。山をめざし、いち早く下山。当然のごとく昼間から、Eさんが夕方ご親友Oさんを訪ねて外出するまで酒宴となりました。

来年こそ!

「2月の第3は天気がダメだなあ…」

よしっ、来年は2月の第1土日にしよう!と、Eさんの提案。そうすると、今度は逆だったりして…と、ぼくの余計な心配。

何はともあれ、来年こそは振り向いてね。

来年こそ!来年こそ!

(カバー写真は今回の山行時のものではありません)

今回の天気図

〜南からの高気圧の張り出し後、二つ玉低気圧が通過している〜

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