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自分の事⑦N高校野球部員だった事を隠し通した30年間の始まり~超一流の三流人生

高校三年生の夏が終わった次の日から何をやっていたのかイマイチ記憶がない。
小学生の頃からの夢が消えた瞬間から正に【無】になってしまいました。
その年の甲子園は一切見る事が出来ませんでした。

………

夏休みも終わり、髪の毛も伸び始めてきた頃。
入学して、初めて自分が高校生だという事を自覚しました。

今までは野球中心の生活。
私服すら持っていない事にも改めて気づき、ひたすら卒業を待つだけの自分がイヤになってきた頃…

男子校だった母校の周りの同級生達をみて、彼女を作ったり酒飲んで二日酔いで登校してきたり(時効という事でw)、みんな青春してるなぁ。と、羨ましくも輝いて見えました。

現役中は授業が終わると最寄りの駅までダッシュで行き、電車に乗っても座る事も許されず、大きな荷物を持った汗だくの野球部員を見た女子高生達に
「うぜぇんだよ、このハゲ」とか言われても、ただ黙って下を向く事しか出来なかった苦痛の時間。

その間もこいつらは楽しく過ごしてたのか…
と思うと
「あぁ…青春を棒に振ったなぁ」と本気で思うようになってしまいました。

………

付属高校だった私はそのまま大学進学
プロ野球選手になる事が目標ではなく、あくまで甲子園が目標だった私は野球を続けるという選択肢はなく草野球を楽しくやる事になります。

と言っても毎日ヘトヘトになるまで叩かれて殴られてやった、あの辛い練習。(もちろん時効)
運動音痴の私だってそこそこは上手になっています。
草野球をやると、そりゃあ差がでます。

そこでの会話はいつもこうです。

〉どこかでやってたの?

はい。N高校でやってました。

〉凄いじゃん。どこまで行った?

決勝戦で負けました。

〉どこ守ってたの?

キャッチャーです。

〉へぇ!!何番打ってたの?

いやぁ。補欠だったんで

〉あぁ…そう

必ずこうです。
お互い気まずくなる、何十回も繰り返されるこの話題に耐えきれず
「もうN高で野球をやってた事言うのやめよう」と心に決めました。

青春を棒に振ったと思っていた、お好み青年は野球が嫌いになりかけていました。

しかしN高野球部の看板を自分で捨ててからというもの、草野球も楽しくやる事が出来ていました。
正直ラクになったのです。

そして

大学生になった私は初めてのバイトやキャンパスライフを経て、卒業後に父が営むゴルフ関係の仕事に就く事になりました。

割愛しますが、ゴルフ関係⇒ゴルフウエアメーカー⇒個人事業主⇒Webデザイン会社⇒ベルト屋(皮革製品製造)という一貫性のない職歴を経て現在のお好み焼き屋のオーナーになります。

次のお話しでは何故突然お好み焼き屋のオーナーになったかを詳しく紹介致します。

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