「性的まなざし」についての雑感。


 性的な表現をしているポスターやキャラクターを公的な場所に出すな。といった言動が出始めてから随分と久しいが、また例の常習犯が日本赤十字社のポスターにセクハラだと難癖をつけて炎上させる事態があった。

 正直なところ、環境型セクハラなる言葉を使っているが定義自体も法的な定義がはっきりしていないと同業の方に突っ込まれたり、その他にも多数の人間に突っ込みを食らってはいたが、そんなものは知らん顔して、さっさと逃げた。
 この常習犯及びその他の者からは、主にアニメや漫画関連を炎上させることが多く、炎上させる性的基準も至極曖昧で客観性に乏しいとさんざん指摘されてきた。そんなことが多くあったためか、下記のようなことが理由なのではないかと考えるものも出てきた。


 確かに、オタクなら自身の不快感も相まって相手として攻めやすいと判断し、より攻撃的になるというようなケースもある。だが、性的な部分を公から排除しようという動きはグリッドガール、ミスコンといったのものの排斥運動からも見受けられるように、性的と感じるものについて何もオタクだけが問題になっているわけでない面も見受けられる。気持ち悪さだけでは、少しずれが生じうる。

 このズレの答えとしては、私としては単に気持ち悪い人間が性的な想像するのが嫌だというのではなく、「もっと広く男性の性的な視線が感じられるか、想像できるのか」が分水嶺と考える。

 考えてみればわかるが、本来性的な表現というものは、それが誰がどんな性表現を行ったかに関係なく、他人の性的欲求を刺激したり、逆に不快感を与えることもある。グラビアでも、AVでも芸術でも性的なものが表象されていれば、なんらかの性的な感覚を受けたりすることから逃れようがない。

 だが、女性用向けの下着広告が公の場で公開されたり、セクハラなどを訴えながらツイッター上で自身の下着姿を公開すること、BLのような性的表現の擁護etc 不思議とこの手の話題でいきり立っている人たちからは非難するような声はほとんど聞こえない。

 どれも公共の場で公開されているようなものではあるが、何も言わないだけではなく、積極的に女性の服装や表現の自由といったところを用いて性的な表現による非難を避けようとする動きも珍しくはない。

 矛盾している身勝手な主張としか思えないが、彼女たちに何かこれらのものとは違うというと考えている節があるのには、女性の視点や意思が強そうだという面が強いからだと考えられる。

 女性向けの下着広告というのは主だって女性向けであり、男性的なものが少ない。また、自ら下着姿をインターネット上に公開したのも、その女性自らの意思を感じる部分が多く感じられたからではないだろうか?下着姿をさらした女性が同じ口で、性的側面が同等以下の少年誌のグラビアに文句を挟んだのには、そこに男性への視線の強弱の感覚があったからではないだろうか。

 また、AVやグリッドガールのようにフェミニズムのやり玉に挙がってしまったものというのも、目的がそもそも男性に対するPRや性的刺激を与えるものである故に、やり玉に挙がった側面も考えられる。強制的にやらされているというのであれば、確かにわかる話なのだが、おっぱい募金のようなものも含めて、女性の意思で動いたようなものでも潰しにかかったと考えるに、女性の意思を感じるようなことが後退する故ではないか。

 男性の性的なまなざしがあるからこそ、特定の性的な表現の絵を女性が作ったものであっても、客観的に露出が少ないものであったりしても、炎上し続けたというのである。あくまで主観的に男性の性的まなざしの影響が強いかどうかが問題だからである。

 軽くではあるが、以上のことを踏まえて改めて下記のツイートを読んでみると、言わんとすることも見えてくると思われる。



 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?