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短編小説『行く当てのない旅人』

古い町並みの中に、マンションがぽつりぽつりと現れてきて、仕舞には古い一戸建ての家は売れ残りのミニチュア模型のように片隅に追いやられてくるようになった。

夕焼けの存在を微塵にも感じさせない街灯やマンションの玄関先から出る人工的な光に包まれてきた。

私は、そんな光にさらされて、色褪せているなと引け目を感じる。

やっぱり来なかった方が良かったのだろうか。

心なしか、前を歩く香田さんの足取りも早くなっているような気がする。

全く同じ形のマンションが連なっている。その二つ目のマンションの入り口で彼女は立ち止った。

「こちらです」

それは、客室乗務員が座席を案内するように香田さんがマンションの入り口に導く。

学生向きとまでは言わないけれど、明らかに若者向きの作りが、一層違和感を覚える。

入れ違いに明らかに水商売ふうの若い女性が、歓楽街のきらめきと匂いをまとって出てきた。

香田さんには一瞥もくれずに,私に意味ありげな視線を向ける。

誰が見ても不自然だな。

ここで、引き返そうかなと思う。

しかし、自分の部屋の殺風景な様子が頭をよぎる。

味気ないな。

所詮、私は行き場がないのだ。

会社でもそうだ。落ち着ける場所などないのだ。

「5階です」

にっこりと笑顔で、片手でエレベーターの扉を押さえながら誘導してくれた。

私は、彼女の笑顔に救われた。

気が付くと、入るときに、彼女のもう一方の手で持っていたスヌーピーのエコバッグをごく自然に持ってあげていた。

エレベーターの中に入ると、先程の水商売風の女の香水の瓶をぶちまけたように残っていた。

私は、思わずむせかえってしまった。

「大丈夫ですか」

彼女も、鼻を手で覆っている。

二の腕同士が、軽く触れあった。

ジャケット越しに伝わった彼女の二の腕は、かすかな弾力があり健康的な異性を感じた。

今まで気づかなかったが間近で見ると、意外と背が高いなと思った。妻の美由紀と比べているからだろうか。

彼女の黒髪にエレベーターの照明が当たって、幾つもの銀色の光の環が出来ているのを見て、彼女の若さを実感する。

エレベーターの扉が開いた。

香水の匂いから解放された。

廊下が、回廊のように取り囲んであり、それぞれのドアの上には、暖色の照明がつけられている。あたかもそれは、修道院の廊下に付けられた明り取りのろうそくの光のように厳かな光を放っていた。

「男の人も住んでいるの?」

「いらっしゃいますよ。でも、女の人の方が多いかも知れません」

我ながら、変な質問をしたものだと思う。

娘のカンナの一人暮らしの部屋を探しているのではあるまいし、そんなことはどうでも良いはずなのだが。

こんなシュチュエーションなのに、どうしても親心みたいなものが出てしまう。不思議なものだ。

このまま引き返そうか。

その反面、単身赴任の殺風景な部屋が頭をよぎる。

どうしたらいいのだ。

所詮、私は行く当てのない旅人のようなものだ。

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