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馬は常にマインドフルネス

よりたさんという馬のプロフェッショナルから時々ホースセラピーとか馬のいる暮らしとかについて習っています。
よりたさんはEcfol(Equine centered form of life)と名づけています。

馬は常にマインドフルネスというかエゴがないというか空というか自由というか自然体というか忖度しないというかそういうふうに存在している生き物なんです(なんだそうです)。
馬は食べてる時以外はほとんど座禅とか瞑想している状態なんだそうです(自然の中にいるか、きちんと正しく調教されていれば)。

人間界でもマインドフルネスとか瞑想とか流行ってるくらいですから、そういう状態でありたいと思っている人が多いと思うのですが、なかなかそう簡単にそうなれないわけなんですが、いとも簡単にそういうふうにしている生き物が近くにいると、人は色々感じ取れるというか体感覚で伝わるものがあったり、それで自分を俯瞰してみれたりするので、自分もマインドフルな状態になりやすくなるわけです(仮説)。

そして馬がすごいのは、座禅したり瞑想状態であったり、食べたり寝たり、ある意味好き勝手しているのに、別に修行僧みたいにひとりぼっちじゃなくて、集団としてそれぞれ機能し合って共に生きているのです。危険が迫ったらきちんと誰かがリーダーとなってみんなでひたすら逃げるとか(リーダーは時と場合によって臨機応変に入れ替わります)。

よりたさんの名言です。
「自由とは全ての人がありのままに振る舞い、にも関わらず、秩序が失われない状態です」
↑100回頷きました。

人間社会は、今のところ(これまでは)、みんなありのままとか自由に好き勝手にいたら社会が成り立たなそうなんで、規律とかルールとかが馬鹿みたいにたくさん明文化されているんですが、人間社会の進化の方向としては、企業体だとティール組織とか言われてますが、きっとみんなが自分軸でやりたいことをやりながら、にも関わらず、ルールなんて細かくなくても(憲法なんて十七条くらいとか)、誰も傷つくことなく社会の秩序がきちんと保たれるみたいなことなんだろうなと個人的には思っています。

で問題はその方法論というか道筋なのですけど、馬の社会(牧場)にはそういう自由と秩序が自然に共存して成り立っているので、馬が近くにいる暮らしというのは、これからの人間社会の鏡として、気づきや理解の機会として、一つの可能性を秘めているなと改めて思いました。
(だいぶ省略メモ)

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