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【聞き書き③】関係人口づくりといえばこの人⁈和久利さんのお話


[集落の中で”はねご”はつくらない]~非農家も全員仲間に~

 えっとね、石原里田(集落)自体は26軒かね。その26軒がどの家も、大体、2反、3反、4反とまあ一軒あたりの所有の面積が少ないんだわ。そうすると田んぼしようと思ったら機械買わんとできんようなってた。その機械が高いんだわ結構。何百万円もするわけよ。そうするとみんながそんな機械買ってまで、手間もかけないけんし、サラリーマンしとって日曜日に全部農家、農業せないけんが。全然面白くないわけよ。みんながやめるようになる。すると、もう耕作しないということになって荒らしてしまう。作らない。だけん、例えばこういうとこは作らんだったら木が生えてくるわけよ、すぐ! 

 それで、だんだん荒れてしまういうになりかけて、こんなことではいけんよということで、集落の人を説得して、会社を作りましょ言うことで僕は会社を作ったの。その時の僕の一番の目的が、その時皆さんに言ったのが、「全員が仲間にならんと作りませんよ」と。全員が必ず出資をしてもらって、その組合員として残ってもらわんといけんよと言って、それだったら僕は作らんと言ったんよ。それはなんでかっていうと、その集落の中で、僕らは俗にはねごっていうけど、除け者を作りたくなかった。例えばだけど、ここの農業法人で、いろんな行事をしたときに、その集落の人が全部参加できるようにしたかったわけだ。組合員にその時なってないと、俺組合員じゃないけん参加できんということが出てくるわけだ。集落の中でそういう除け者を作りたくないわけ。だから全員仲間にならんと作らんよって言ったわけです。

 それで結果的には全員仲間になって、だけん非農家の人も全部組合員にしとるだ。非農家の人は全然田んぼなんかは関係ないけど、でも例えばだけど、その草刈りみんなんで草刈りをするよとかなんかイベントがあるよっていう時には手伝いに出てもらうわけよ。まあこういう地元に住んじょったら農家のことはよく知っちょられるわけだけん、田んぼがなくてもね。それから畑もしとないし、それからまあ言っても近所の人がみんなでいろんなことするわけだけん、一緒に仲間になってしようや、ということ。

【集落内でのイベントの話】~餅つきと神楽~

 たまたまね4年ぐらい前に、うちの法人で企画をして、餅つき大会というのをしたんだ。お餅は地元でできた餅米を使って「餅つきをしましょう!」ゆうて、みんなんで餅ついて、その時は3袋か4袋か。4袋120kg一袋(「1袋(いったい)=30kg)くらいお餅ついて、みんなで。100人くらい人が来た。外からも餅つき体験に来るわけよ。それでまあ入場料とっちょって、1000円の入場料でお餅が10個くらいもらえるわけだ。また次の人が昼ごろ来てお餅つき体験してシャッと帰る。なんか面白くないなあということ思って、なんかみんなで楽しめることがないかなあということで、神楽を呼んだわけ。石見神楽を。美郷町にあの都神楽っていうとこがあって、たまたまそれがその年の2月ぐらいかな、ここに視察に来られたんよ、美郷町のその集落の人が。農業法人のことについて、和久利さん聞きたいけんちょっと話してほしいゆうことで視察に来られた。その時に僕は話をして1番最後の時に「確か美郷町いうたら神楽有名なとこですよね」、って言うたら「あっ、団長おるおる、ここ、これ(神楽の)団長団長」言うてからに。たまたまその時その団長さんが居られたんです。で、その人と終わってから色んな話して仲良しなって、それでその12月の餅つきの時に「あっ、そうだ、あの団長いたな」思い出して、「やあ和久利さんそういうことなら私が協力しちゃるけえ任せえ」って言っちょられて。そこはね子供神楽と大人の神楽があった。子供神楽と大人の神楽の2団体来てもらった。特に子供神楽が面白かったんよ。1番小っちゃい子がね保育所の子どもがもう神楽するんよ。大きい子はまあ中学生くらいだったかな。おんもしろかったよ。それで2団体やって、90分間くらいだったかな。餅つき大会終わって、全部餅ついてから、3時半くらいから神楽しますよゆうて。その場所もね、あの、ビニールハウス中だった。バスの。まあ真冬だけん、屋根がないともう雪が降ってるけんいけんし、てことで、ビニールハウスの中に僕らがでっかいステージ組んで、そこで神楽してもらって。100人くらいいたかな。後ろのところには、食べるもん、餅、ぜんざいしたり、きな粉餅、ついた餅でぜんざいやきな粉餅1個300円ですよみたいなことして売って、だけんお餅食べながら神楽見よる。

(農業用のビニールハウスの中ですよね?100人も入れるんですね、大きいビニールハウスですね!)

 そう、しいたけを作ってるしいたけハウスだけん。あの三角のやつ。あれをたまたまね建てた年だったよ。新しくもらって建てた年で。それを使ってね神楽やったらみんな喜んで、喜ばれてねぇ。1番喜んだのが地元の人。なんでかって言うと、神楽っていうと普通お祭りなんかに行って神楽やっちょるけど、まあちょこちょこっとお祭りの時だけ前を見て通って、ちょこっと見てああそんなもんかって通り過ぎるわけよ。他の祭りのイベントに。要は最初から最後まで見ることがない。で今回、その時にはみなさんもう世話焼き終わって、みんな中に入って座って、1番最初から1番最後まで見れて、地元の人とにかく1番良かったて言われる。神楽をまともに最初から最後まで見たの初めてだって言われた。

それからね、1番僕が良かったなあって思ったのは、その時に、ボランティアで皆さんに、集落の人に、出てもらっただ。外から人が100人くらい来るからお餅の世話もいるし、駐車場の世話とか、受付したり、お金もらう人もいっぱい来て、結局ね(集落から)30人くらい出られただ。35人、だったかな。この集落に今ね、生まれたての子供から寝たきりの年寄りまで全部入れて75人くらいしかおらんのだ。そのうちの30人以上が出たんよ。と言うことはほぼ全員出たようなもんだ。1番ね若い人は、まあ子供じゃなきゃ、まあ子供は見にきちょったけんだけん、1番若い人はね去年来た20代のお嫁さん、から1番最高齢は89歳くらいのおばあさん、までみんな出られた。89歳のおばあさんがそうだけど、僕は直接頼みに行って、「なんとおばあさんがいないとあん餅が出来んけん、他ん人はあん餅の作り方分からんで、おばあさんがいないと絶対できんけん頼むけん出てほしい」ってね。「まあな、たけちゃん、半日ほど出ます」っていて半日昼までは手伝ってあげるけんって、出ちゃって、結局そのおばあさん夕方までずっとおったんよ。一回ね、お餅やって帰って、飯食ってくるって帰られて、また昼から来て、結局神楽もみんな見て帰られた。いかったよぉ (良かったよ)。で、僕はそれが1番嬉しくて、地域の人が協力をしてもらったゆうこと、だけんそれがやっぱりみんなを仲間にしちょったいうこと。全員を仲間にしちょうから、いや俺も組合員だけん俺も行って見れるし、ねえ。そう言うことができるけん、やっぱそういうふうにしちょかないけんなってそん時思った。他所の集落であげな話すると、和久利さんそれは絶対ありえん話とは言っちょった。集落の中で、そんな出る、ボランティアだけんね、出るなんて絶対ありえんって言っちょった。だけん、まあおじさん達なんかは、俺らは食べることはいけんけん俺駐車場係するけんとか、俺片付けするけん(出雲弁の語尾)、とか、自分達で率先して、自分の役目を作ってごさいわけよ。それがね1番僕としてはいかったなあと思って。

(お客さん100人はどんな人だったんですか?)
そりゃ一般の人。町内の人もおられたし、町外からも来られたし、今まで体験に来られたことある人もない人も。ポスターとかいろんなことで宣伝をして、人集めをしたわけです。


【同じイベントはせん。おべたなことをしたいけん】
~来年は絶滅危惧種の生き物観察?!~

もう一回やってごぜって(やってくれ)みんな言うけどね、同じことを2度せんがん。それじゃ面白くない。同じことを2度するとまた次の年もすると、マンネリ化して、する方が飽きてくるけん。したら面白くないけん、またみんなが忘れた頃にパッとするだ、と「あっ!あー!またあれがあるわ」みたいになるだ。同じことの続きにしたくないけん、毎年違うことせんなん。ただ田植え体験とか稲刈り体験なんかやは、毎年の行事じゃなくてもするわけだけん、それはどげだ(どのようでも)していくけど、ああいう突発的なことはね、たまーにおべたように(突然に)にするだけん。
来年またねちょっとおべたいなことを、おべたいなこと言うとあれだけど、来年の企画しよる。田んぼのね、生き物調査するのよ。たまたま、日本生態系学会、生態系協会、なんか来られたでしょ?なんちゅう名前だったけんのお。女性の方と。たまたま色んなことでうち来られて、それで話をしちょって、和久利さんそういうことしたら面白いよみたいなこと言われただ。生き物調査を。僕もそういうことしたいと思ちょったけどどういうふうにしたら良いのかよく分からんで、これはなんとかという虫で、非常に今少なくなってますみたいなのを説明できる人がおらんといけんけん、そういう研究者、専門家を呼ばないけんなあと思ってたらたまたま今年知り合いになって、そげ話をしたら、和久利さんぜひやってくださいって言われて。やろうと思って。

ここら辺の田んぼって、まあ町内の田んぼは、大体まだそういうの(希少な虫)がおるだ。タガメにしてもゲンゴロウにしても今あまり(他の地域では)少なくなったのがまだおるにはおるんよ。ただ数が少ない。昔はね、僕らが子供の頃はうじゃうじゃおったんよ、そんなん。まあどっこも全国の田んぼはそうだった。うじゃうじゃおったから。けど、農薬とかそういうものでだんだん少なくなってって、今おるにはおるけど、非常に数が少ない。それをみんなで網持って探して歩こうとしとる。来年春、4月か5月ぐらいにそれを企画しようと思って、今年の秋に稲刈りの時に、たまたまその人が来ちょられて、その一緒にそげな話した時に、皆さんその体験の人が3000人くらい来とるだ。稲刈り体験に。そこで言って来年はこういうことで田んぼの生き物調査しようと思いますって言ったら、中で参加しちょる人が、「はい!私来ます!」っていっちょられたけん。子供がああいうの大好きなのよ。それから大人でもそういうのに興味がある人はぜひやりたいって言われて。まだここら辺はそういう生き物がまだ、おるけん、そういう時にやっぱりやって、みんなでね、珍しい生き物やあげなものを探してみたらいいなって。それが農業遺産的考え方だと思うんですよ。
農業遺産いうのはそういうのを活用してそういうことを今残っちょおよということを宣言せにゃいけんだけん。で、ぴったりだけんこれが、と思ってそういうことしよと思って今計画をしているところです。

(全国的にはタガメはほぼ絶滅ですもんね。絶滅判定の県とかもあるはず。)
ここらへんおるわ。ゲンゴロウにしてもタガメにしても、おっ、トラクターや田植え機の上に乗っちょっての、おっおるわというのはあるけど、そんなもんどうにもならんだけん。それを捕まえてもいけんしまたねえ、うん。水はけ、その水がたまる、田んぼの水はりと、どっか水路の中とかそういうのに普段住んどるが、そういうとこから出てくるけん。そういう絶滅危惧種でもない、そういう貴重なもんをね、みんなで探してみようかなと。
(前テレビに奥出雲にタガメがでましたみたいな映像が流れたり、NHKが流したら何本か電話かかってきましたもん。タガメどこにいるんだって。あんまり位置情報を特定するとね、取りに来る人がいるから・・)

[棚田のオーナー制度]~子どもがすごく変わった?!~

 はい、棚田のオーナー制度もやってます。今もやってます。お客さんはねえ、主に、体験に来られた人。田植え体験とか稲刈り体験とか来られた人が棚田オーナーになる。今2組、棚田オーナーがいらっしゃいます。そんな何十組もおらんけど、毎年田植えやね稲刈り体験に、毎回大体30人くらい来られます。大人と子供で30人。一応ね制限しちょって、大人20人までとしちょる。それで大人20人とすると子供が1人、2人ついてくるけん、そうすると34、5人になるだ。前はね、全員で20人、大人も子供含めて20人までってやっちょったけど、20人じゃちょっとつまらんなとなってね、それで枠を広げて。今は大人が20人、ということにしてある。子供は何人来てもいい、子供は無料だけん、何人来てもいいよって。
子供の年齢制限?いやないない。もうね、高校生なんか来りゃへんけん(笑) 来るのは小学生の低学年と、まあ中学生も来たことないなあ、保育所の子供とかそういう子供が来る。

(そのオーナー制っていうのは、その一年間でいくらっていうことですか?)

 和久利さん:そうそうそう。一年間でいくら、2万、なんぼかな...2万ちょっとだよ。2万2、3千円とかあげな金額。まあお米を買うようなもんだわ要は。体験付きでお米を買うということだ。米40キロあげることになっちょるけん。

(新米を40キロも貰えるのすごい。)

 和久利さん:そうそうそうそう。単発でツアーで来られる人もおられるよ。広報?広報というより、僕の場合は、奥出雲の観光協会を使って。集客するのも全て観光協会を通してやっちょる。あのね、例えば僕が直接まあ、なんかホームページとかそげなもんであげて募集してもいいけど、今度まあ、来ます来ますって言われた時に、僕がみんな返事送って、みんなせんといけんが?そういうことを一才合切、観光協会にお願いちょる。観光協会に投げる代わり手数料をそこへ払う、一人いくらの手数料を払う、観光協会の収入にもなるけん。今は、たまたまそうだけど、2、3年前からそうですけど、東出雲観光さんゆうのが来とられるだ。


 あんなちっさい頃にね、やっぱりそういう体験をすると全然子供の考え方が変わってくる。前にね、あれどこの人だったかな、4、5年くらい前だけど、子供さんを連れて夫婦で来られたことがある。その後で、どっかへ投稿するために原稿を書かれて、役場の人が、和久利さんちょっと目を通してごさんかってその文に目を通したら、「それまでは子供がご飯食べるときにむちゃくちゃ汚いことをして埒が明かなかった、けどもうあの体験をしてからほんに全然変わった」って言われて。「一粒残さず綺麗に食べるようになりました」って書いちょられて、ああいい事だなあって思った。やっぱりね、まあなんでもそうだけど、お米の生産過程が分からんわけよ。お米ってスーパーにあるもんだと思っちょる。そうじゃないよ、土の中にあるんだよ、土の中で育って泥の中で育って大きくなるんだよ言うて。それが分かると、ご飯の中に、仮にだよ?小さい砂粒が1粒あったにしたって、あ、これは田んぼの中に作っちょるけん砂があるのは当たり前だよねと思うわけよ。それが分かってない人は、なんだよこんなとこに砂粒がって言って文句、いちゃもんつけよるわけよ。そういうことよ。生産過程が分かっちょるとそれの理屈が分かるけど、そういうことが分かってない人はそういう風に言うんだよね。

[子どもに、食べ物の生産過程を分かってほしい]~かまぼこが板のまま泳いでいると思っていた子どもの話~

 ずーっと小学校の子供の田植え体験をやっちょるけど、いま23年目かな。昔、小学校行って、食べ物の話しした時に、子供が言ったことにおれ驚いた。赤板かまぼこって知っちょお?赤板かまぼこってもうこんな小っちゃい板に、赤い、こんな風にかまぼこで、外側が赤で、あの、お祝いとかに切って、こう刻んで、切って入れてある赤板かまぼこ。あれが、海の中を、泳いじょるって言った子供がいて。あの、板が上になって、下にこういうふうになってそれがずーっと泳いじょるって、子供が真面目な顔して言ったんよ。要は、生産過程どこから作ってどげして作ったもんかを分かってないわけよ。スーパーでそれが売れちょるとそれが泳いどると思っちょる。かまぼこって元の形が全然分からんもんだが。魚のすり身だけど、全然そんな見た限りでは、魚とは思えんわねえ。でもその子がまあ救われたのは、あのー海の生き物だと言うことはわかったこと、せめてでも救われたけど、おれ子供がそう言った時は驚いたんよ。はー、そういう考え方なのかなと思って。ということは、かまぼこがどうやって、どこで育った魚が、どういうふうになってそういう形になるかその生産過程が全然わかってないということだけん。

 お米も一緒。スーパーでなんにもあると。野菜もスーパーに売れとる。畑でできるもんじゃなくて、スーパーでできるもんだという思いがある。だけん、そこら辺を子供達にはね、わかってもらわんといけんということでね。ずーっと小学校で毎年、5年生が、田植えと稲刈りと草取りと年間に4、5回来ますよ。こないだだけど、12月の先週か収穫祭を開催しますけんて、毎年収穫祭があるんよ。収穫祭します言って、できたお米をみんなで炊いて、汁作って、ご馳走しますけん来てください言うて、子供達が歌歌ったり、こないだは楽器の演奏をしたり、そういうのやっちょる。

[子どもに、売る努力を分かってほしい]~お米のパッケージを描いてもらう試み~

 今までは、お米作りをして収穫祭をして終わりだったんよ。それだけだとなんか面白くないなあ思って。こないだ3年前から思いついてやっちょるのが、やっぱり農産物っちゅうのは、売るのが目的なのね。お米として売るのが。それで、子供達に売る努力をわかってほしいということよ。うちが今ね、このぐらい小さい2キロの袋、精米して2キロの袋にパッケージで、地元の特産品なんか出しちょるけ、その袋のパッケージデザインを子供達に考えさせる言うて。今年もそれをやって先週行った時に審査会をしたんよ。子供達に一人一点以上、自分で思いつくデザインを書きなさいと。こんぐらいの大きさだけんこの中に自分の思い思いのデザイン画を作ってほしいと、お米を人に売るにはどういうふうにしてみんなが目に付くような形で、デザイン画を考えてほしいって、コンテストしちょお、3年前からやっちょお、面白いよお。もう思い思い描いてもらう。すごいきれいなやつを描いちょる。力作が多い。

(毎年新しいパッケージですか?)

 そう、毎年違う子供だけん、毎年5年生がするけん、違う子供たちが毎年するわけよ。できた中からその審査会っていって、一人、みんなが書いた中から何点か選んで実際それをお店に出すけん、って言っちょーだ。一人が2点ずつ書いてるんよ、誰もが、多い子は3点描いちょった。で、その力作が多かったんよ要は。うーわこれ困ったなあと思って、校長先生、教頭先生と審査したけど、いーやこれ落とすのかわいそうだなあと思って、
今年の場合は、あまりに力作で、これ落とすのかわいそうだなあって思って。子供達にはまだ言ってないけど、今年は一人一点ずつ全部採用したんよ。今度地元の特産市っていうとこと、松江のイオン、のモールのなんか、もりもり奥出雲、そこへ出すんだわ、毎年そこへ出してる。全部その絵を印刷して入れて、下にね三成小学校5年生だれそれって名前も書く、全部。そうすると、まあ親御さんはもちろんだけど、親戚の人とか名前が入っちょおが、親戚の人とかそういうのが買わいだだ。(買ってくれるだ)。

 やっぱりね、その売る努力、米を売るための努力というのをみんなに分かって欲しいということ、ただ単に食べてああ美味しかったじゃなくて、農産物はねやっぱり売るためにみんな作っちょるわけだけん、その売るための努力を知ってほしいということだな。毎年子供達にいうけど、誰が選ばれたかは発表しないって言っちょるけん、誰のを選んだかは発表せんけん、自分達の目で確かめなさいって言っちょる。駅のところに特産市、市場があるでしょ、あそこに1月になったら並ぶけん、あそこへ行って自分の目で誰のが選ばれたか確かめなさい言うとん。そうすると、あそこのお店行くと、うちのお米じゃない、他のお米もいっぱい売れとるわけよ。その中でうちのお米が目立っちょるか、目立ってないか、それをみんなで確かめに行けって言ってある。ぺろっとだれそれの分を選びましたよっちゅうたら、ああそうかやっぱりおれのはだめだったんだなあというふうになってしまうだ。そうじゃなくって、もしかしたら僕のがあるかもしれないって実際に行って欲しいわけよ。大体では、僕は、その何年か前に思いついた時には、松江のイオンのとこに行って、お願いをして、あそこに店頭販売したかった。子供達一緒に連れて行って、僕たちが作ったお米です、僕たちがデザインした袋です言って、それをあそこで店頭販売したかったけど、コロナで、ああいうことができんって言われて学校側が。まず言っただけんもっての他だみたいなこと言っちょられた。ああ仕方がない、ほんなら仕方ないということで、諦めて店頭で置くだけだけどね、今は。やっぱりそういうをやるとね、その、メディアの人ががすぐ飛びつく、去年かな、Yahoo!ニュースに出ただ。

【子どもたちと日本農業遺産】~誰かが伝えねば~

 子どもたちにそういう風に思いを持ってほしいというか、自分たちは奥出雲町で、お米の美味しい所で生まれたという意識はあるけど、そっから先をもうちょっと学んで欲しい。米の作り方自体だけじゃなくて、だけんコメ作り体験すると毎年一時間授業に行くの。(学校の先生が)「和久利さん、ちょっと米作りについて(子供たちに)勉強して欲しい。時間取りますんで、授業してほしい。」と。そのときぼくは一切米作りの話をしない。田植えがあって..こういうことがあってとか、一切そういうことは言わん。それは今頃テレビや辞書、インターネットがあるけん、そんなこと調べればいいけん、全国一緒だけん。田植えも何にも、時期が違うだけ!それは調べればいいと言って、俺はなんの話するかっていうと、とにかく日本の農業遺産についてお話をするんです。「他にはないことだよ、みんな誇りに思えって、奥出雲町に生まれて育って美味しいお米の産地によってみんな毎日おいしいお米を食べれるのを誇りに思え。」と。それを言っちゃると、子供たちそんなこと全然わからなくて何にも知らん。そういう話をすると「あ~そうなのか」ということでお米のパッケージのデザインのところに”日本農業遺産”と書くわけだよ。 それが大事なこと。それで1回文字にして書くと子どもたちは覚える。これが大事なこと。誰かがね、そうやってやっぱ次の世代のもんに誰かが無理やりみてもしていかんと、なかなか伝わらん話で、でまあこれは今現役で農業しとるけぇ、僕らはそういう役目だなと思ってやっちょるけん。

[子ども弁当の話]~夏休みがこわい親を助けたい~

 全然ちょっと違う話だけど、俺、子供弁当を今しちょって、夏休みに、あの子供の親さんは夏休みはないって仕事に行くわね、そうすると子どもたち小中学生休み夏休みで毎日家におるね、そうするとお昼の食事が困るわけ、親がおらんけん。でその子供たちにお弁当を届けよう!ということで、今年の夏休みにそれをしたんですわ。

 週に二回だけだけど、火曜と木曜に地元で、地元の産物使って手作りで弁当しちょおNPO法人があって、そこに弁当を作って欲しいと頼んで、お弁当配達してるの。それ無料だけん。いろんな人の支援を受けて、やっちょる。今度冬休みに向けて今計画中。年末に1回と正月明けに1回二回だけしかけどそれをやろうと思って、年末は12月27日にお弁当作るけど、クリスマスの前後だけんケーキ付き、お正月の分の1月5日と6日ですけどその分お年玉付きでまたなんかお菓子付きでね、やろうと思って。うん、この地域だけだけん。この地域でも限られた地域だけしかせんけん。いやこれが非常に好評でね。それもヤフーニュースに取り上げられました。アハハ(笑)

(地域の自治体が支援してるのですか?)

 いや、(自治体の支援ではなく)僕が個人的に頼む。僕が思いついたことだけん。「頼む!!こういうことしようと思うけん、頼む!ああ~一万でいいけん手伝って」って言いながら十何軒歩いた。17万円集めて、あとは地元の社長さんにお願いして、「なんとかしてよ」って言ってそれでそういうことやる。来年度は今度今考えてるけど、まああの今会社を作ろうとしとる。子供弁当だけではなかなか難しいので他の事業もたち上げて会社を作ろうとしとる。 要は、個人でやっちゃうと企業の支援が受けにくいと。個人だと企業も寄付せんわ。でも会社になれば、企業も寄付しやすいし。子供に対してのお弁当だけど、その親の支援になるわけよ結局は。その例えば地元の会社に出ちょお親御さんがいるとして、その親御さんのお宅へも供の弁当を届けてやると、親さんは安心して仕事ができる。(参考:新聞記事)

 困っちょる人がいっぱいおられることが、たまたまわかって。2年ぐらい前に夏休みの時に親御さんがおられんかって用事があってたまたま行ったん。そしたら兄弟がおって男の子が一生懸命テレビゲームしちょっただ。「こんにちは」言ったってわからんくらい一生懸命やっちょっただ。「ちょっとおじさんの仕事の用事で来たけどちょっと見させてもらえないか」ってあがって見させてもらって、子供たちゲームしちょって、ちょうどお昼前だっただ。「お前たちお昼どうしちょー?」って聞いただ。お兄ちゃんの方がゲームしながら(指で示す)、目をテレビの前から離さん、指だけさすだあ。「なにがあ」と思ってみたら、お盆の上にお菓子がこのぐらい(皿にいっぱい)積まれとった。要は、その子達は一日お菓子を食べて過ごしちょる。「一日これ食べて過ごしとる。昼飯なんかない。」と。ようように親御さんなんかに聞いてみると、まあ仕方ないことだけどお弁当作って出ちゃっても、夏場だが?お昼の時間に食べんわけだ。そうすっとね、腐ってしまうだ。それからお金持たせるとほかのもの買ってしまうだ。で結果的にカップ麺がおにぎりでしかできんわけよ。結局それなもん作っても子供はいらない食べへんから、結局お菓子を置いとくと食べるから、結局結果お菓子を置くようになったっていう。

 (それを聞いて)「はああ~、奥出雲にこんなことがあるんだかあ」ってびっくりして、こりゃあの奥出雲町はお米の産地なのに、けなことじゃいけんぞと思ってそれで子供の支援を知らなきゃいけんぞってことでそれをずっとまあ悶々として考えてもどげしゃようわからんで、子供食堂とかも考えたけど、コロナで今一箇所に集めるっていうことがなかなか難しい。それはね、つーかね、あれはやっぱり都会とかまあ小さい自治会単位とかそういう集落単位でないと子供がスッと寄れるようなところでないとね。例えば三成で思いついて、滝の上という団地があるけど、そんなとこ子どもが歩いてよぉ来ん。夏場の暑い時に、距離のある所を何100mも歩いてくりゃへんわな。帰りずっと登りだよ。こんなしゃあへんわ。だけん、それやってもあんまり意味ないなあと思って、ほんなら配達しちゃろうと。 

(お母さん置いてったお弁当は食べないけど。その配達した弁当はちゃんと食べるんですか?)

(食べる食べる。俺らもそうだけど配達する時に持っていって、子どもたちにもっていくが。「よしお前、お母さんに頼まれた弁当もってきたぞ。今食べないけんで。今ゲームやめてすぐ食べる。」子どもたち(兄弟)「はい、わかりました 」って。食べるとこまで見守るからね。お母さんたちも言っておられるけど、まあ時間はみじかいけど“見守り”になるんです。その時に生存確認できる。それで親さんは安心をされる。(母親たち)「和久利さんね、あの日だけ私は安心して出られるだ」って言われて。その弁当配る日だけは。なんにも考えないでいいだ。とにかく夏休みが来るのが怖くていけんって言われた。「あー今日のお昼はどげしちょ~かな」って悩むって言われる。でその日だけは安心していただけるって言われて。

 これを今までは三成だけでやっちょったけどな今度横田地区でもする。たまたま三成でやっちゃったら、横田の人が「和久利さん~横田でもやってよ」っていうだ。でまあ需要があるかどうかも分からんけん、とりあえずお試しでちょっとやってみようかないうことで、ボランティアの人を探して、この間探して、2.3人見つけて配達してます。それで横田の方に作ってもらって、それで配達しようと。

 我ながらやったはいいけど、何になるだろーか思うけど。でものお、子供喜ぶだあ。夏休みの、これやった時俺実際にボランティアで配達しちょおと家は分からんで団地のどこかなんて思ったら子供がベランダから「こっちー!和久利さん、こっちー!」って言っちょった。楽しいよ、あげなことがあると。要はね、子供は待っちょおだ。12時ぐらいに配達してくるよっていうけん。(子供が)こう出たり、こうこっち見たりして待っちょおわけよ。それが良いってこと。だけん持って行くと(和久利さん)「お前今食べないけんよ~」(こども)「うん、わかってます。すぐ食べます。」っていうての、すぐ食べる。お母さん方がよくいうけど、今日は何のおかずが入っちょったかと思って帰って、帰って見るけど、綺麗に食べてて何もないと言われる。全然残さん。でちゃんとそのためにそのお弁当に、その弁当作る子がそのメニューを書いて入れておいてくれちょるだ。今日のメインのおかずはこれとなってこれがあって…あこんなもん食べたんだって親は分かる、安心するっていう。 

【和久利さんの子ども時代の話】~和久利家の7代目として育てられた~

(小さい頃はどんな子どもだったんですか?昔からほかの人のお困りごとを解決されていたのでしょうか?)

 よく聞かれるけど、全然あげなことないと思う、よくわからんけど。普通の子供、すごい真面目だった。今も真面目だよ(笑) 兄弟もおりますよ。うん。おれが一番上だけん。下に2人おる。あの僕は実際七代目いうて、さっき言ってたけど、僕のおじいさんっていうのが、まあ僕が七代目で長男が生まれた男が生まれたけん、七代目ということになって、そのおじいさんが僕に小さい頃から「お前は七代目だけんな、七代目はこの家をしっかり続けていけ」というふうにね、洗脳されちょる。じいさんに、本当にこの家を継がないけん、この家に残らないけんとしか思っていなかった。なんとか教会みたいなもんだ。洗脳されてしまって。だけん、 一時その大阪なんかこうやってたけど、またこっち戻ってきちょう。でそれからずーっとこっちにいる。
本業はね、建築関係。あのね、俗に言うクロス屋さんっていうやつ。壁紙張ったり、床張ったり、カーテンつけたり、そういう仕事が本業。元々はこれをずっとしっちょって、若い頃にはずっとこればっかしこれ一本で、そんなほかのことは一切、農業に関して一切しなかった。忙しかったから全然してなかったけど、近年になってからだわねそういうことをしだしたの。時間的余裕ができたし、それから今はね息子が自分の息子が今この仕事するって言いだして、辞めとけって言ったんだけどそう言って、自分の息子が全部やっちょおだに、どうしても僕は現場ででる機会が少なくなってきて、時間ができたらそういういろんなことを考えて色んな事をしとる。息子?まあ八代目だね。(笑) まあ今はね、もうそういうこと言わんけん、家を継ぐということ自体がね、そういうことはないけど。息子も組合員になっちょるけん、農業もしますよ。うちの法人はねその一家庭一組合員じゃなくて、一つの家庭から最大三人ぐらいになっちょる組合だから、うちなんかもそうだけど私が出資しとって、家内も出資して、息子も出資しちょる。で大体よその法人みると、あんまりそういうやり方しちょられんだ。だいたい一軒の家で一人ほど、戸主が出資した形になる。なんで僕は嫁さんや子どもまでいれたかっていうと、そういうもん仲間に入れたいということだ。意識づくり。例えば、女性なんかそうだけど、今ねさっき言った田植え体験とか稲刈り体験とかあるでしょう。必ずその時にね、ご飯を出す。料理して。その時に女性の力が必要になる。それから「出資してないけん、私たちは知らんけん。」言われて終わりだが仲間になってくれてると自分から協力してごされるからね。

【農地を農地としていかすための法人】~自分達の集落を守る~

 あんな小っちゃい畑がいっぱいあぁだ。ようは、この地域の人が、年寄りさんが、昔は若い頃は、元気でバリバリだったころは、畑頑張ってみんながやって、いろんなところに産直に出したり無人市つくったりされちょった。みんな年々歳とぉわ。畑がならんようになって、荒らしてしまって。もうできんけん投げちょくけんどうでもいいわて投げてある。それを法人が全部引き受けて、なんかやってる。いまね法人が引き受けている田んぼが一丁五反くらいある。あれが二畝(ふたせ)くらいの面積かな?ここに三畝、ここにちょびっと、ここにちょびっとと20か所くらいあるかな。それを法人でなんか作らなきゃいけんてずっとね。ようは、つくって儲けるためではなく、農地を農地として生かして残しておくためにやっている。たとえばだけど、ああいうところを荒らかして投げちょくと、木が生えてもう農地にはならない。田んぼもそう、もう2年3年なげちょくともう山になってしまってもう農地にならん、重機で掘り起こさないといけんくなる。そんなことしなくても、耕すだけでもいいし、何か作付けをするだけでも、畑として維持できる。これがどんどん荒れだしたら最終的には人が住めんようになる。たとえばこういう道路端の一番いいところが荒れてきて木が生えてくる、林になると、虫や獣が住むようになる。そうすると人としての住まいができんようになると人が集落を捨ててその集落から出るようになると集落がならんようになる。そうならないように、地元のもんで、繋げていこうってね、法人として米でもなんでも作るけど、儲けることは二の次。比較的、奥出雲地域はみなさんの意識が高いところだけん、目につくところで荒地があんまりいっぱいない。たとえば国道沿いでも、こんなひどい荒地があーわねというのがない、あまり荒地がないわね。出雲や伯太、安来のほうにいくと、荒れたようなところが広くある。なんでこんないいところにと思うけどね。(奥出雲には)そういうところがほんに少ない。

[つなぐ棚田100選] ~評価基準は関係人口への努力~

 “つなぐ棚田100選”というのもね。奥出雲町で3か所だけ。昔、“棚田百選”というのがあって。きれいな棚田が景観としてあるところを、農水省が全国100か所くらい、ただ認定するだけ。年数が経ったからまた認定し直したんだけど。奥出雲町内を見ると、全部綺麗なんだけん。なんで3か所だけ。奥出雲町を見ると、きれーいな、どっこもきれいに管理されちょる。みんな綺麗に管理しているけど、認定されたのは3か所だけ。全国で270か所かな。なんで全部ならんか聞くと。基準でもないけど、ただ単に綺麗なだけでなくて、そこにいかに関係人口を増やしていく努力をしているか。ようはそこでなにかやっちょうかってこと。棚田を活用して何かやっちょうかどうかってこと。交流や体験をやっているのはうちが一番。担当者が、和久利さんとこ外すわけにいけんっ言っちょう。なかなか移住だとかにすぐには繋がらないけども。少しでも外部の人に知ってもらう努力をしているかということ。向こうから足を運んでもらうためにどんな努力をしているかということ。ただただ景観をよくするだけでなく、イベントをしたりね。体験をやっているのはうちが一番と言われてね。
 イベントや農泊やら、わざわざのう。田植え体験するためだけに夜行バスで東京から来た子がおった。金曜に仕事が終わって夜行バスで来て、うちで田植えして、すぐまたトンボ帰りで帰っていた。一晩ほどは泊めてやったけど。縁というのを非常に大切にする地域。やっぱその人間の関係をつくらんといけん。僕らは縁を大切にする。こうやってできた縁をね。人の縁を大事にした方がいい。お金で繋がった関係は長続きせんけん。こういうのは、お金とか一切関係ないから長続きするけん。またなんかあって、困りごとや泊りに来たいなとかあったら言ってもらったらいいわ。今度の餅つきはこんか?(笑)

【一生は一度きり】~10年かかってもやり遂げる~

 和久利:来年はね、花火もあげようと思っちょるわ。集落で。夢が膨らみますわ。はははは!ま、一生って1回しかないから、後戻りもできんし。とにかく、あーやりたい。こんなことおもしろいな、こんなことやりたいなと思ったらしようという、一生って一回しかないけど、やり残したことが無いようにしたりして、それでもうとにかく自分が、いいなと思うことはやろうと思っとる。

 いろんなことを僕は言い出して、議員さんやいろんな町議さんや町長さんやいろんな人に相談して。ちょっと前に俺相談した人が「お前なあ、こういうことしようと思ってここにひとつ問題がある。ここにもひとつ障害がある。これもできん、これもだめだ。」と言って、ダメなことしか言わんだ。分かっちょうに。せなことは。これができん、これはない。お金がないとできん。そういうのは分かっちょうけど、それをひとつひとつ潰していかんとできん。いっぺんにそれを潰すことはできんけん。一個ずつ解決していけばいいと僕は思っちょう。それが例えばするのに3年かかろうが5年かかろうが別にそれは関係ない。実際問題そうだけどこの農業法人もそうだけど。これ作るのに10年かかった。10年かかって作っちょる。いっちばん最初今からもう20年近く前の話だけど、まだ若いころに、こういうことするのに誰も、集まってせんとけんと思ったから。地元の常会というか集まりがあるときに、たんびにその年寄りの人を説得したん。最初ところが、『お前なに馬鹿なこと言っちょう。そんなもんなーわけないわね。』って今から20年も前の話だよ。もう無碍に断られて。毎年毎年それをひとりずつ説得していくわけよ。で、おんなじ話しちょうと、ある人は、『んー、俺もやっぱ年とったしな、俺もならへんな。そういう風にせないけんかもしれんな』って考え方変わってくるわけよ。で、そういうことずーっと何年もし続けて今、やっと何年か前に作っちょった。できないように見えてもできる道が見えてくる。最終的には。どうにかして成し遂げようという想いがあるんよ。

【聞き書きを終えての感想】

綾部みさきさん

「和久利さんが地域の困りごとや活動に積極的に関わっていく姿勢がとても興味深かったです。
 「せっかく馬木に生まれたのだから、おいしい米を食べて欲しい」という気持ちでお弁当を配達をした、という話を聞いたときに思ったことをすぐに行動に移せることが私も実行できたらいいなと思いました。
 農業の話も聞くことができましたが、それ以上にさまざまな交流を持っている方だったので話がたくさん聞けて良かったです。また蕎麦打ち体験に行けるのを楽しみにしています。ありがとうございました。」

平良かこさん

「和久利さんのお話で、売る努力という言葉が印象に残っています。農家の方が野菜を育てて私たちの手に渡るまでにどのような努力があるか、私自身考える機会になりました。子供たちもお米を育てたり、売る側として関わったりすることで、買う側としても食べ物に対する向き合い方が変わると思いました。貴重なお話を聞かせていただき、ありがとうございました。」

久保田れいなさん

「地域づくりや組織づくりのお話をたくさん聞かせていただき、その素晴らしい行動力に驚きました。企画やプロジェクトを実施した話でよく聞かれた、『面白くない』という感覚は、和久利さんの『毎年同じことをしない』というポリシーに通じており、それが常に地域に刺激を与え続けられる理由なのだと思いました。
貴重なお話をありがとうございました。」


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