東紀州の熊野信仰(1)ー熊野市の上山神社と木本神社

紀伊国の牟婁郡は現在は和歌山県の東西牟婁郡と三重県の南北牟婁郡に分かれており、それぞれに中心となる市があり、4市4郡からなります。三重県側を東紀州とも言います。東紀州にある熊野信仰の神社にご案内します。ただし「花窟神社」、「産田神社」、「牛鼻神社」はすでにご紹介しています。
まず「上山(うえやま)神社」です。熊野信仰らしくない名前です。場所は熊野市神川町(かみかわちょう)神上(こうのうえ)374。いかにも神様がおられるような地名です。旧神上中学校と神川温泉の裏の中腹に鎮座。熊野市駅から車で35分。三重県神社庁のサイトによると祭神は速玉男命、事解男命、武甕雷命(タケミカヅチ)、大己貴命、素盞鳴命、上山の神です。また神上小中学校のサイトでは、この神社は、元の氏神飛鳥神社、山寺権現社、吉田大明神が合祀されたとあります。山寺大権現は古くは、筏師(いかだし)の神とされ、女人禁制で、申の刻(午後4時)を過ぎれば参詣が禁じられていたそうです。『紀伊続風土記』等には、神倉神社の祭神と同じとありますが、その正否は定かでないそうです。飛鳥神社の祭神(速玉男命と事解男命)は新宮の阿須賀神社の十二所権現であったので飛鳥荒祭宮とも呼ばれたそうです。吉田大明神は江戸時代の安政年間(1855~1860)に領民を救って自刃した紀州藩の武士を祀っているそうです。明治40年(1907)には、飛鳥神社(祭神速玉男命。旧鎮座地 大字神上雄賀須賀)並びにその境内社の事解男神社、武御雷神社、天皇神社(素盞鳴命)、大上宮神社(大己貴命)各社を合祀したそうです。
天皇神社ですが、神仏分離以前は素盞鳴命は牛頭(ごず)天王として信仰されていたので、天皇は天王の意味だと思われます。
この神川というところは、碁石の材料として知られる「那智黒石」がとれます。それで神川温泉は碁石の里がキャッチフレーズで共同浴場があるようです。「那智黒」と言っても黒飴ではありません。 
熊野市は昭和29年(1954)に合併して出来た市でその中心となったのが南牟婁郡木本町。木本町95に鎮座する木本(きのもと)神社は、三重県神社庁によるともとは若一王子権現と言ったそうです。「若一(にゃくいち)王子」。熊野三山で祀られている五所王子のうちの若宮に祀られているアマテラスです。したがって現在でも主祭神は天照皇大神。他に天児屋根命、天布刀玉命(アメノフトダマ)、大己貴命、事代主命、大山祇命、埴山姫命が祀られています。アメノフトダマは、アマテラスの岩戸隠れの場面でアメノコヤネとともに重要な役目をします。『古事記』では布刀玉命、『日本書紀』では太玉命、タカミムスヒの子で、忌部氏(いんべうじ)の祖の一柱。さらに境内には、前述の「上山神社」で書いています吉田大明神の続きになりますが、安政2年(1855)に紀州藩直轄から新宮城主水野氏に知行替えが交付された際、木之本村周辺住民の猛反対(安政の村替騒動)が起こり、当時の藩士吉田庄太郎の尽力により知行替えは中止されたということがあり、その庄太郎を祀る吉田大明神の石祠があります。よほどこの人は地域の人から慕われたのでしょう。木本神社は10月のスポーツの日の前日の日曜日に行われる例大祭の「木本まつり」が有名です。熊野市駅から徒歩10分。


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