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竹中労さん『「たま」の本』*歌の精神史の霊性と肉厚ありったけにたまを愛した先人の功績


いくつかの言葉を見て批評や評論について思うところがあり、竹中労さんの『「たま」の本』(小学館)を10数年ぶりくらい?に読み返してるんだけど。
やっぱりこの評論って竹中さんの濃密な語りの文体に乗せて、その軀体から溢れる途方もなき歌の精神史の霊性と肉厚をもってたまを讃え尽くし。

竹中労という軀体にありったけに引き寄せた「生きた語り」の力でたまを語り尽くしているからこそ。そしてその霊性と肉厚に耐えうる途方もなき魅力と強度をたまが持ちえたからこそ。こんなにも精神文化の厚みをもってたまの凄さが際立って…単なる取材文とは一線を劃す本当に深き対話をしていると思う。

たとえば「風土と音楽」のことなど、対話の中で投げかけられる言葉や問いが一貫して音楽史における思想性、風土性、精神性etc.を見据えたそれで(p189)。
インタビュアーとしての視座というか。竹中さんの対話の射程距離がつねに途方もなく深く濃やかで広やかであること。読むたびため息が出る。本当に凄い。。。

聞き手は聞き手の持つちから以上の言葉を問いを放てないし、相手からも引き出せない。
よき対話はたとえ相手から発せられた言葉がシンプルな一語でも、その一語に途方もなき真意と凄みが宿る。
インタビュアーとしての竹中さんの呼吸ほんと凄い。歌うように言葉を発してるし、歌うように耳を傾けてる。

さまざまな音楽を聴くことをメンバーに課し、ともすると人生の先達が一方的に教えを説く構図に見えるけど、違う。竹中さんは一切たまを子ども扱いしてない。君たちは本当に凄いんだよと。まっすぐ対等に正当におのれの歩んできた人生の総量に値する存在として、心からの愛と敬意でたまと向き合ってる。

あれだけの喧騒の中、たまが竹中さんという卓越した聞き手であり語り部に出逢えたこと。
そしてこんなにも深き対話記録を愛をもって遺して下さったこと。
本当に本当にかけがえなき僥倖だと思うし、滔々と流れる歌の精神史の邂逅のクライマックスとしても大変貴重な記録であると。心から感謝してやまない。

そしてそんな竹中さんの語りに宿る歌の精神史の霊性と肉厚の深さをまっすぐ受け止め、静かに応答する滝本さんの姿も本当凄く凄くカッコいいなあ(泣)って。竹中さんの強靭な文体の中でもちゃんと生きてる滝本さんのヴァイブスを感じて。甘やかな声も体温も芯から蘇って。いとしさが噴き出してしまって…。

あらためまして、竹中労さん。
歌の精神史に迫る碩学の先人であり先達として。たまをありったけ愛する同士として。きわめて素直にフラットに同じ地平において言葉を賭したまへの愛を残したそのお仕事に心からの敬意を払いつつ。

1990年。あの時あの時代。こんなにも丁寧に丁寧に『「たま」の本』なる渾身の評論/名著を遺して下さいまして。いまここの私が大好きな滝本さんを想うこの日々をこんなにも嬉しく過去から照らす言葉を遺して下さいまして。…本当に本当に、本当に有難うございました。


(2022年2月5日ツイートに加筆)


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