見出し画像

「明け方の若者たち」を読んだ。

1997年の夏あたりの就職活動は「超氷河期」真っ只中で、会社説明会でも"4年制学生には営業職の用意しかない"とか言われていたなぁ。"事務系の業種に応募してもいいけど、ウチは短大卒の子しか取らないから、そもそもね"と失笑されたこともある。
こんなの、今だったら大問題なんじゃないだろうか。でも、私たちはいつだってそういう、過渡期の真ん中にいる世代なのかもね。
私は企業への就職にむけてぐずぐずしていたけど、私の周りの"学校の先生になりたい"人たちは"とりあえず教師になっておくか"というライバルとの競争だったはずだ。私は最初から教師になる気はなかったので、むしろ、"なんであんたたちは教育学部に行かず文学部にいるんだ"と妙な疑問を抱いたりしていた。

地元では名の知れた進学校にいたのに、受験に失敗してやむなく入った大学だったから、愛着もないし楽しい生活を送ることなんて考えもしなかった。そんな4年間がもうすぐ終わりを告げようとしていた夏だった。
それでも、なにものかになる憧れだけは持っていて、どうにも手に負えなかった。ギャップを埋める術は持っていなかった。

あのときのひとつずつの時間を、私に返してあげることができるなら、「親の言いつけを守らないことも無謀な夜遊びもその瞬間だから成立することがあると肝に銘じて謳歌しろ」と添えて渡したい。守りに入るには、あなたはまだ、とうてい若すぎたのです。

今の生きづらさをあの頃の積み重ねの欠如のせいにはしたくないけど、まっとうな大人になるために必要な「明け方」を私ももっと深く確かなものとして刻んでおきたかった。そんな憧憬と同時に擦り傷が今になって疼くような。あの「若者たち」が行き交うとき、私はわかったような顔をして、すれ違う雑踏の中の1人だったかも知れない。本当は何もわかっていないままだったのに。

今はもう、とっくに仕事に折り合いをつけた。お金もある程度(好きなときに好きなことをしていられるくらい)は手に入った。それでも、夜が明けるまでには時間はあると、まだ、どこかでそう信じていたい自分がいる。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?