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30年前の秋葉原はメイドさんはいません

昌平橋からのスタート

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今日は天気も良かったので、いつものようにウォーキングするためスタートを昌平橋にしました。

ここまで来るのにも歩いたのですけど、折角かだから昔の30年前の秋葉原っぽいところが残っているか撮影しながら歩くことにします。

学生の時の秋葉原は、「電気街」として大人だけが許された趣味の街だでした。

その時代の最先端のパーツを買う資金と組み立てる知識さえあれば、いい事でも悪い事でもなんでもできる町でした。

無線機やテレビ、冷蔵庫に洗濯機。オーディオや電子レンジも売っていました。今でも探せば他では売ってるんでしょうね。

私はもっぱら、パソコンをどうやったら安く、高性能のものが買えるかジャンク屋と言われるところを見て周ったりしていました。

もう少し後になったら、基盤が売られたりとかしていましたが、その時代は本体に備え付けられていました。

拡張するには「改造」するしかなかった時代なので、故障はもちろん純正のものよりはるかに多かったですけどね。

お金がない学生の私には「お宝」が眠っている街でした。

秋葉原といったら、アマチュア無線

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この看板は昔かありますね。「アマチュア無線」のお店です。

この手の看板が至る所にありました。

当時広がりつつあった「パソコンショップ」と言われるものと、「電化製品」と書かれた看板ばかりあったような感じです。

今ではここともう1店舗だけだったような気もします。

他の地域にはまだあるのかも知れないですけどね。

この通りも、パチンコ屋か無線屋、パソコンショップだったような気もします。

今ではいろいろとあるみたいですが、当時の風景ということでちょっと違いますが写してみました。

取り残されたビル「愛三電気」

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「愛三電気」はケーブルを扱ってる老舗の電気屋さんです。大通りの角に位置していて、JR秋葉原駅から近いところにあります。

近くのビルはほとんど残っていません。

裏側にはジャンク屋のデパートがありましたが今は当時の面影がないです。

愛三電気は90年代に入っても、ケーブル関係の需要はあったので、生き残れたんじゃないかと推測しています。

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この角度でも愛三電気しか残っていないですね。

ちなみにここから撮影した時には、周りにはメイドさんの呼び込みばかりですね。

メイドさんの街じゃなかった時代を見つけたいので、あえてメイドさんは撮りませんでした。

売ってるものが違うけど「ジャンク屋さん」です。

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去年観たときに比べて、確実にものが無くなってます。もっとジャンクメモリーとか売ってたんですけどね。

コンテナが少なすぎます。

しかも、携帯カバーばかり目を引きますが、本来は、キーボードや基盤とかメモリーとかがごちゃっと売ってる感じなんですよ。

なんか、コロナやウクライナ侵攻の影響で貴金属が高騰しているらしい話とかもあるみたいだし、その影響なんでしょうね。

それにしても、この通りは人が少なかったのですけど、今はやっぱりメイドさんが侵略してます。

ここの通りは他に食べ物屋さんも増えてきていますね。だから人がいるのでしょうね。

それにしてもすごい人ですね。

天下一品で総評

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小腹も空いたし、目標の10000歩も達成したので昼飯でも頂きますか。

私と1号店が同い年の天下一品にてサービス定食を頂くことにします。

カラ✖3というのがあったので、+150円で頂きましたが、普通のこってり味に辛みそたっぷり入れた方が好みでした。

1360円です。高くなりましたね。

秋葉原の街は、電気街から、オタクの聖地になり、そこから派生したメイド喫茶が全盛になって現在は衰退傾向にあるみたいです。

電気街から真のオタクは去ってしまったのでしょうね。

これからの秋葉原はどうなっていくのでしょうか?

日本の経済的衰退とともに寂れていくのか、はたまた日本経済を再びけん引していく街なのか。

私は、後者であってほしいと思います。

メイドさんの街でもいいので、「世界の日本」を取り戻してほしいと思います。

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