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『Stop Making Sense』を語りたい - David Byrneが信じるもの

Talking Headsのライブフィルム『Stop Making Sense』が4Kリストアされた。

もう何度見たかわからないが、あらためて傑作だと心から思う。本作を映画館の大音量・音響であびるのは、この上ない聴覚・視覚の体験だ。

この記事は「本作をまだ観ていない方、こんな作品なので観てみませんか?」、そして「観たひと、語ろうや……」と、そういう内容です。



紹介(ネタバレなし)

『Stop Making Sense』(SMS)はアメリカのニューウェーブバンドTalking Headsによる1984年のライブフィルムだ。監督はのちに『羊たちの沈黙』を撮るジョナサン・デミ、サポートキーボードはPファンクの神バーニー・ウォーレル、撮影は……と名高い面々が揃っているが、彼らの功績は書き尽くせないし、他記事やパンフレットに詳しいので割愛しよう。ともかく本作は、批評家筋・オーディエンス双方から今なお普遍的な評価と賞賛を得ている伝説的な音楽・映像作品である。例えば米国国立フィルム登録簿に保存された875本のひとつであり、Rotten Tomatoesの支持率は100%だ。

しかしここには決して派手な仕掛けがある訳ではない。BeyoncéのCoachella公演やU2のSphere公演のようなスペクタクルはないし、そもそも会場規模は3000人弱──日本でいえばZepp Tokyoや日比谷野音くらいの中劇場である。ここに溢れているのは予算ではなくアイデアだ※1。興を削ぐような幕間インタビュー映像なんて本作には当然ない。ただただ、音と映像のマジックが、知的に、そしてユーモアたっぷりに!とめどなく溢れている。

アートやニューウェーブのセンスで再構築されたファンク・ポップ・ロックと、ビッグバンドの巨大なエナジー。一度見たら忘れられないデヴイッド・バーンの所作の全てと、圧巻のビジュアルイメージ・照明・カメラワーク。これは"音楽ライブ"と"映画"双方におけるインディペンデントな傑作だ。

まだ観たことがない人にひとつだけ付け添えていいなら、本作は決してシリアスな気持ちで観てほしくはない。愉快な気持ちで、ワクワクしながら、ぜひその目と耳で体験してほしい。



本編感想(ネタバレあり)

まぁマジメな話はいい。この記事はライナーノーツじゃない。自分はただ本作のファンとして諸々に「ここすき」と感想を書きなぐりたいのである。全曲だと流石に文字数がヤバイので抜粋で。

脳内再生しながら読んでください。

■各曲抜粋感想

・『Psycho Killer』
原曲のベースラインはSelena Gomezの大ヒット曲「Bad Liar」でも参照されたが、「やぁ、テープを持ってきた。」David Byrneのひとり舞台として本作は始まる※2。いうまでもなく本作は「Byrneの脳内ビジョンを実現するためのステージ」だ。舞台はそのようにひとつひとつ整えられていく。

しかしそんなByrneの野望に対して、バンドメンバーは"ある程度"の献身しか見せないのがミソである。誰がどうみても、バーンだけが何かをキメキメに演じようとしていて、他のメンバーは純粋に自然体でライブを楽しんでいる。なんとなく全体に「コミュニティ内のある個人」の空気があるのだ。その佇まいが彼の描く"都市生活の神経症的歌詞"とからんで、ステージ上で独特なキャラクター性を帯びていく。バーンが演じている"彼"を、本稿では役名「デビッド氏」としよう。

ひとりで音を奏でていたら仲間が増えていき、最高のバンド──社会に所属したはずのデビッド氏。でも彼はなんだか浮いている。そんな違和感、緊張感から始まる物語。こうした見立ては、TURN誌にてトリプルファイヤーの鳥居真道氏がすでに名文を寄せていたので必読だ。


・『Burning Down the House』
とまぁ、そんな表現の枠組みを考えることがどうでもいいくらいにただただ最高な演奏がここから始まる。Pファンクがないと生まれなかっただろう、でもPファンクではない不思議な一曲……つまりはニューウェーブ・ファンクのパーティ。クソ楽しい。

↑のシーンあたりのカメラが素晴らしいと思う。まず、曲の引きとともにバーンが暗闇に消えて、何が映るんだろうってワクワクから痙攣した姿が立ち現れる!次に、アングルを揺れうごかすことで、演者の動きをフルに捉えることで、楽曲の躍動を画面から伝える!耳にも目にも豊かすぎる。


・『Life During Wartime』~

折り重なるリフが強烈なリズムを形成するタテ割りディスコチューン。そして披露されるあの"舞い"である。なにを隠そう自分はこの舞いをYoutubeで偶然観たことで本作を手にとった。観た人全員が一発で強烈に印象づく、迷、いや間違いなく名シーン。

初見時は「笑い」と「ダセェ」と「クールだ……」の直感が同時に襲い掛かってきて混乱した。無駄に洗練された無駄のない無駄な動きを極めし者。あらためて見ると、舞いのインパクトもさることながら、突然定点カメラでドカンとバーンを映しだすことが強烈なんだなと思った。IMAXで観たらもうバカデカすぎて笑ってしまった。ジャイアントバーンが舞っていた。人類史上まれに見るナンセンス体験だよ。

演奏が最高潮に達した時、デビッド氏は思わずバンドからはみ出てひとり走り出してしまう。きっとここがデビッド氏の第一ステップたる予感だ。演奏の高まりとともに氏がステージ中央に戻ってくるタイミングは編集の快感。


・『Making Flippy Floppy』
この曲のティナのヒネたベースライン素晴らしすぎる。J-POPリスナー出身の自分には、こういう"リズムがサビ"みたいな曲が新鮮だったりした。「Snap into position~♪(タダドュディダディドゥッ♬)」「Bounce till you ache~♪(ドゥリダードッ♬)ハッ!」最高。ギターソロはバーンがとっているが、このとき左右で鳴るJerry HarrisonとAlex Weirのカッティングが気持ちいいんじゃ。

"都市の神経症的歌詞"なんて意味不明なことばをさっき書いたが、本曲はまさにそう。途中で叫ばれるバーンの謎スキャットはStop making senseするしかないが、40年弱たった『American Utopia』にて本人から意図と文脈が示された。


・『What a Day That Was』
この曲もっと評価されるべきだと思う
。元はバーンのソロアルバム収録曲だが、デモ音源的なそれにくらべてこのバンドカバーはクソヤバい。パンフレットでは「この時期これ以外の(バーンソロの)曲もいくつか演奏されている」と省略されているので注釈にて後述しよう※3。

無敵みたいな演奏のなか、ブッ壊れたように笑いだすバーンが悪魔みたいで死ぬほどカッコイイ。カッティングの掛け合いと演奏の間合いを捉えたカメラワークも好き。クソみたいな蛇足をたすとこの辺のバーンは †闇の藤井聡太† に見えないこともない。

照明の創意工夫がまた神がかっている。一心不乱に闇に髪を振るティナが最強。暗闇に下からライトを当てるスタイルはSyrup 16gもちょっとしたオマージュをささげている。


・『This Must Be the Place (Naive Melody)』~

名曲キタ。年齢を重ねるごとに沁みがヤバくなってく名曲。バーンがその歌詞でとりあげ続ける「家庭」と「生活」、その質素かつこれ以上ないゴールであり、「ナイーブかな」って括弧付きの照れ笑いである。

ライトスタンドでひとり遊びし、慈しむように抱きしめるところ。満場一致でこの映画のベストシーンだと思う。泣ける。完全に名映画のそれ。野暮な言語化はせん、ここに「生活」のすべてが映し出されているんや。あまり印象ないな~って人はもう一回観にいってください。

応援上映があったら最後の裏声のハモリみんなで合唱したい。


・『Once in a Lifetime』
神がかった大名演。演奏と演技どちらの意味でも。

後半、シンセが鳴りわたると同時にバーンが後屈を始めるシーン、何度見ても死ぬほど鳥肌が立つ。理屈は分からないが圧倒される。音の波に呑まれながらそのものになっているようなバイブスを感じる。

よみがえるように体を起こしてマイクをつかみ取り、コーラス2人の時間を越えて躍動するデビッド氏の姿たるや感動的である。そのまま7thの"C"が入ったゴスペルコーラスに雪崩れこむあたり、もう"音楽"がすぎる。ライフタイムベストのひとつです。

余談だがcero『POLY LIFE MULTI SOUL』(曲)後半のベースは本曲をリスペクトしている。


・『Genius of Love』
神がかった前曲に対して、本曲は明らかに流れと緊張感を断ち切っている。無いほうが全体が一本線で締まると思うのだが、楽曲が神でありティナは天使なため必要不可欠である。

実際2024年のいま観ると、これがポツンとあることで全方位にバランスが取れている気がする。女性陣は無敵な感じだし、「ジェームスブラウンは今も偉大だぜ!」という身も蓋もないくらい直球のリスペクトが、素直な好感をもたらしている。デビッド氏、もとい当時のバーンにはたぶん出来なかったことだ。曲順の位置的にも、American Utopiaでいう『Hell You Talmbout』の存在と言えるかも。バーンの"外"からの言及というか。


・『Girlfriend Is Better』~

何回か本作をみていると、もう照明の影の時点で「真 打 登 場」と爆上がりする。クソデカスーツをふかしながら亡失気味に現れるバーン。なんでこれがクソクールに感じるんだろう?そして「アァ~ィ……!」で鋭く照明に切りこむ!カッケェ~~。タイトル回収のタイミングも1クールアニメみたいに完璧だ。

デビッド氏も「Once in a Lifetime」で吹っ切れて、何かを掴もうとしている。大学デビューに近いなにかを感じるよ。

にしても、この一連のライブ演奏がカッコ良すぎて『Speaking in Tongues』は中々手にとらなくなってしまうんだよな。それほどキレキレ。最高のベースライン、そしてバーニー・ウォーレルのkey捌きが神。


・『Take Me to the River』
大団円の時が近づいてきた。Al Greenのカバーにしてバンド最初のヒット曲。Talking HeadsからAl Greenの原曲を聴きにいった人は多いと思うが、同曲の収録アルバムにある「One Nite Stand」、こちらも合わせて聴いてみてほしい。きっと「あっ!」となるはずだ。なんてイカしたハイブリッドだろう。


さて、この曲のベストシーンは疑いようなく、ビッグスーツを脱ぎ捨てたデビッド氏が「ワーー!!!」のシャウトから体育帽子を投げ捨てて踊り狂う"解放"のシークエンスだろう。社会への緊張感から始まったデビッド氏の物語はここに帰結する。

でも自分はその前の「Hold me, squeeze⤴ me(抱きしめてくれ)」のシーンでもう、何故だか涙がでるくらい感動してしまうのだ。ここに、デビッド氏ではなくDavid Byrneの全てを感じてしまう。

なんでだろう。例えば画面を支配するように映されるバーン、アル・グリーンのようには歌えず無茶苦茶な裏返った声でつっきるバーン、ここまでマジで一人真剣に演じ遂げたバーン、抱きしめてという言葉からブカブカなスーツを脱ぎ捨てるバーン……なんかそうした諸々の営為と光景の全てにこのあたりで「あぁ……」と感じ入ってしまうのかもしれない。ヒューマンドラマとしてはここが一番感動的なシーンだと自分は思う。


にしても、残されたメンバーのなんて自然で伸びやかにライブを楽しんでいることか。バーンひとりだけに緊張感が漲っていた、その世界観こそが『Stop Making Sense』を特別なものにしたんだと思う。上手く言えないけど、きっと端的に奇跡だったんだよ。


・『Crosseyed and Painless』
フィナーレ。これも名演。本作リリース後にバンドがライブ活動を停止したのは本当に残念だ。何故って、『Remain In Light』以降の楽曲は残されたライブテイクがまったく少ないのだ。こんなカッコイイのに!!

何万回言われてきたことだけど最後に踊り狂う"観客側"がピックアップされる構成が心底にニクい。首をグルグルまわす異様に印象深いマダムなんて仕込みを疑うレベル。年齢も人種もこえてみんなが思い思いのダンスをしている。名作にふさわしい最終回。ありがとうトーキング・ヘッズ。ありがとうクルーのひとたち。ありがとう観客のみんな。すべてに感謝。SMAPの名曲の歌詞、「無駄なことを一緒にしようよ 忘れかけてた魔法とはつまり…」そんな気持ちになる。

「楽しんで頂けたかな?」



終演。燃え尽きているがあと2つほど小話を。


■『American Utopia』と『Stop Making Sense』

幸せなことに、現在はバーンが手掛けた名ライブフィルムが2つある(本当に偉大なことだ)。せっかくなので両者を並べてみよう。

変な言い方だが、『American Utopia』は納得の鳥肌である。まず表現の構造が素晴らしく、それが観客に伝わるよう丁寧なナビとともにストーリーテリングされ、完璧な演奏と編集・映像によって仕立てられている。両作で披露されるSlippery Peopleだが、その前にダダイズムの説明をいれるあたりは完全に先生だ。お手本のような満点回答であり、理路整然とした感動がある。

いっぽう『Stop Making Sense』はよく分からんのに鳥肌が立つ。理屈は分からないけど直感的に「ウワーッ!」となる。奇妙な舞い、痙攣、クソデカスーツ、後方後屈、スタンドライトを愛おしく抱える姿。ほとんど支離滅裂であり、本作から湧き上がる「ウワーッ!」の方向は無軌道でカオスだ。ここには得体のしれない自由な感動がある。

優劣の話ではなくベクトルの違う名作である。
『American Utopia』で夢想されたユートピアのひとつの達成が、さかのぼって30年前の『Stop Making Sense』に在ったと、そんな関係性に思う。


■氏著『音楽のはたらき』から見る『Stop Making Sense』の意味

そろそろ締めっぽい話をしよう。「Stop Making Sense」という言葉は結局なんなのか。パンフレットでも誰一人として共通の訳を当てていないマジックワードだが、意訳気味にすれば、例えば「理屈で考えるな(感じろ)」かもしれない。

だけど「理屈で考えるな!」とのたまうバーンは、明らかに誰よりも理屈と意匠をその諸作すべてに込めている。そこで副読本にしたいのが、バーンの思考と研究をまとめた著書『音楽のはたらき』である。

David Byrneの思考は、基本的に「神秘」ではなく「原理」へと向かう。本書の第1章で語られるのは「"音楽を鳴らす場所"が音楽をつくる」ことだ。
””狭く閉所のライブハウスの鳴りはパンクに相応しく、ゴスペルに相応しくない。広い開けた教会の鳴りはゴスペルに相応しく、パンクに相応しくない。だからライブハウスの登場によりパンクが生まれた。””
全編がこのように理詰めで展開する。ユーモラスな筆致で描かれているし説得力もあるが、堅苦しいくらいマジメな思索である。

しかしそれでいて、David Byrneは音楽の力を最終的には直感的に信じている。本書でなんだか微笑ましいのは最終章だ。ホンットーに様々な角度から"ひとが音楽を始めた理由"を突きとめようとし、それにより「音楽そのものの肯定」に至ろうとするのだが、他章と比べて完全な価値証明にはいたれていない気がする。だけど本書はこう締められる。

「音楽のための遺伝子があるというのは幻想である。
しかし、ぼくたちの音楽への愛情は本物なのだ。」

遺伝子とはひとつの原理だ。だけどDavid Byrneは強引に「しかし」と、「愛情は本物だ」と宣言してみせる。

これはまさに『Stop Making Sense』の「理屈で考えるな(感じろ)」と同じ姿勢である。死ぬほど理屈と意匠を考えぬいて、最後には「ウワーッ!」と直感でぶち抜く。まったく同じ構造だ。

David Byrneは40年も同じことをし続けているのだ。


締めよう。「理屈で考えるな」──それは「よく分からんけど凄ェ!」という受け取り方の全肯定であり、言うまでもなく大事なのは、感じ受け取ったあとには考えてみることだ。「凄ェ!」という直感は、信じて進むべき方向である。その方向への前進が思考だ。「凄ェ!」をエンジンに、「よく分からんけど」に突き進んでみることが、なにかを生み出すのだと思う。

この文章もバーンと同じ構造をとろう。ここまで自分は7000字も思考や理屈をウダウダ書いてきた。

彼は実にシンプルな言葉で本書をまとめている。明らかに直感の言葉である。

「音楽は、人を解放し、人生を肯定する。」

僕もそれを信じる。
信じる理由に『Stop Making Sense』を挙げる。(了)


注釈・関連作など

※1. 言うまでもないがBeyoncéもU2も偉大な達成だ。
※2. ライブ演奏では長尺曲に変貌するのでぜひ聴いてほしい。SMS以前を収めたライブアルバムで確認できる。

※3. Talking Headsがセルフカバーしたバーンソロ楽曲は「What a That Day」をのぞくとあと3つだ。「Big Business」これはSMSの特典映像に収録されている。のこり2つは1982年のドキュメンタリー作品に記録されている。「My Big Hands」は拡声器パフォーマンスが印象的なSwanp2的スローファンク。「Big Blue Plymouth」はクソカッコイイので絶対チェックしてほしい。16分のタムの反復が強烈。


【オマケ】『SMS』のプロトたるドキュメンタリーの存在

この1982年のドキュメンタリー『Once in a Lifetime』は『Stop Making Sense』の前段階として興味深い一作だ。当時のVHS画質もあってファンアイテムの域を出づらいものではあるが、SMSに心底打ちのめされた人は過程としてチェックして損はない。クールなライブ音源もたっぷりだし、バーンのダンスのプロト、発想の元ネタっぽい映像も沢山確認できる。

ここでの彼らは"コラージュ"の形でライブをドキュメンタリー化している。SMSと違ってライブと関係ない映像がバンバン入ってくるし、演奏も平気で削っている。ただのライブ映像にはしないという彼らの挑戦と意気込みは伝わってくるが、この辺を"ライブ"かつ"映像"のダイナミクスをもって昇華したのはやはりジョナサン・デミの手腕だったんだろう。

さいごに手前味噌ながら自記事リンクを。

David Byrneの思索はふかく、実践はその人生をかけて積み上がり続けている。こちらが追える物はたくさんある。ひろい集めて考えてみよう。

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