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日本からブックカバーが消える日を夢見ている。

あえて、夢、としました。なぜならば、消えることはないだろうと思うからなのです。それはなぜか。

総合書店で本を購入すると、「ブックカバーをおかけしますか?」と聞かれ、「いいえ、結構です。」といつもの儀式を通過する。

外国の電車やカフェで本を読んでいる人をよく見かけるけど、本にカバーがかかっているのを見たことがないし、書店で本を購入してもそんなことは聞かれない。買った本は、書店のロゴが入ったバッグに入れてくれることが多い。(とは、あくまで私の経験ですが)

何かの記事で、ブックカバーをかけるのは、どんな本を読んでいるかを人に知られたくないから、というのを読んだことがある。もしくは、日本人は物を大切にするので本を汚さないようにカバーをかけるというのも。後者は、分からなくもないけど、でも、結構くたっとした本も、その人が、もしくは、過去の誰かが、もしくは誰が読んだか分からないけれど読み継がれてついた手垢は、その本の存在感を強くする。

で、前者のこと。高校のお昼ご飯の時間に、持ってきたお弁当を片手で器用に隠しながら食べている女子と同じだなと思う。お弁当の中身を見られるのは、自分の所属する家族の経済レベルや環境が知られて、人になんて思われるのかがイヤなんだよね。読んでいる本も、その人の知的レベルとか生活環境とか、その人の人となりが窺い知れると思われているのか、もしくは、自分の思考を人に詮索されたくないという気持ちもあるかもしれない。

電車の中やカフェで、ブックカバーのかかった本を読んでいる人を見るたびに、何を読んでるんだろうと、こちらは純粋な好奇心で興味を持つ。自分ならまったく手を出さないような本だったら、どんな本ですかと聞きたくなるし、面白い説明が返ってきたら読んでみようかなと思って頭の片隅に情報をインプットしておける。カバーがかかってない本を読んでいる人には、もしかしたら声をかけてしまうかもしれない(実際、かけたこともある)。でも、カバーがかかっていると声はかけられない。読書の邪魔をしたくはないので、めったに声をかけることはないけれど。

ちょっと話が逸れてしまった気がするけれど、思うに、日本人って自意識過剰なところがある、人にどう見られるかをとても意識していて、自分の中できっとこう思われているという想念を積み上げていく。人はそんなことは思っていないのに。

本のカバーはなくならないだろうな、と思う理由は、その人の心の在り方の問題なのではないかと思うから。もっとあけっぴろげになったらいいのに、と思う私の余計なお世話です。




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