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スポーツ思考から「ある哲学者の逝去 〜リーゼンフーバー先生を偲ぶ〜」

私は哲学者であると思っているが、それはフィロソファーであると思
うからだ。フィロソフィア(Philosophia)というギリシア語はPhilo
(愛する)とSophia(英智)から出来ている。真の知を愛することが
哲学であり、愛する者が哲学者である。真理を求める一介の素浪人と
して私は自己認識している。

そもそも人間とは何か?という問いから私の哲学は始まるが、それは
肉体と精神の二元論をどう克服するかという闘いでもあった。その思
いが芽生えた中学一年生の時から、学問をするならば哲学、スポーツ
はサッカーと思い、心と体を鍛える日々を始めたのだった。

その原点は中学の社会科の先生であり、その先生との出会いがなけれ
ば、哲学と出会うこともなかった。先生のことを公にするにはまだ私
は未熟である。

サッカーと学問の両立を目指して奮闘しつつ、上智大学哲学科に入学。
出会ったのがリーゼンフーバー先生であった。私が最も影響を受けた
哲学教授である。本日、彼の告別式があり、様々な思いがよぎり、今
日のスポーツ思考となった。

彼はドイツ哲学界の至宝と言われ、惜しまれて日本にやってきたイエ
ズス会神父でもあると哲学入門の教授に教わり、彼から最先端の西洋
哲学を学ぼうと意気盛んな自分だった。が、最初に学んだのはドイツ
語であった。哲学科のドイツ語は必須言語で、毎日毎日ドイツ語の日
々が続いた。

しかし、そのおかげで、二年からは原語で実存哲学やカントを読むこ
とだできるようになり、レポートもドイツ語で書けた。そして本格的
にリーゼンフーバー教授の哲学を学ぶようになる。専門の中世思想か
ら形而上学は難解だったが、大学院の講義にも招いてもらった。

私は哲学生は大学まで、本当の哲学は社会にもまれながら磨くと大学
院は行かないと決めていたが、在学中にそれが学べたことは幸運だっ
た。四年時には神学も学ぶが、先生と最も心が通ったのは瞑想や禅の
修行だった。上智大学のクルトールハイムでの瞑想、中世思想研究所
での禅、早稲田の研修所での合宿などで、真理へアクセスを磨いたと
今思う。

いざ社会人となるとも、私には哲学とサッカーしかなく、結果、財団
法人日本体育協会に入る。そして、スポーツと哲学が統合されるオリ
ンピズムと出会うことになった。就職後もリーゼンフーバー先生の主
宰する聖書研究会を続けた。カソリックの洗礼を受けそうで受けない
私を先生は優しく見守りつつ、哲学を語った。私は俗世に紛れていく
自分を見つめながら、なんとか哲学を続けている自分を保持しようと
していたが、ある時、同期に突然誘われた飲みを断れず、研究会を休
んだ。その日から私の堕落が始まったとも言える。

それでも先生は遠くから私を見守ってくれていたと感じる。今日のミ
サで、確か同期だったN神父が講話で、リーゼンフーバー神父から洗礼
を受けた女性が「いつも空気のように私のそばにいる方」と話したこ
とを披露したが、まさにそういう感じで、会わずともどこかで声なき
声が聞こえるのであった。

就職して何年目だったか、サッカーの試合がある前日、先生主宰の瞑
想会に参加した。上野毛の修道会だったか。それは聖書研究の後、徹
夜で個室で聖書を前にひとつのテーマを考えるものであった。私は眠
気と闘いながら、朝まで頑張った。その日の試合も忘れて。私の他は
みな学生であったが、朝、先生を真ん中に全員で私を送り出してくれ
た。思い出だ。泥にまみれた私を笑顔で見つめるあの澄んだ瞳が忘れ
られない。身長193センチの高さからの眼光が私を見下ろしたこと
はなくいつも優しかった。

私はなぜかその日の試合で活躍した。一睡もしなかった体が合理的な
動きをしたからと後で気付いた。

精神と肉体の関係を悟った。

洗礼を受けるならばリーゼンフーバー先生からと決めていた。まだ迷
いが消えぬ。私には懺悔しなければならないことが多すぎる。先生は
既に昇天された。2022年3月31日のことであった。

私はオリンピズムを追求する中に哲学者であろうとしている。

果たしてゴールはいつか?

(敬称略)

2022年4月6日

明日香 羊

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編集好奇
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リーゼンフーバー先生は水泳が得意だった。
「私は身長が高いのでゴールが速いのです」
と言われた。

春日良一

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