見出し画像

誕生日=開運の日でした。


後払いのお弁当の支払いがかなり送れたので、それに気を悪くした[お弁当屋の差し金の借金取り立て屋]が、マンションに催促に来て「自分で働いてお金を稼ごうとしないのは甘えてる証拠だ」「障害者でもちゃんと働いている人もいる」などと罵詈雑言を捲し立て、さらに「私の前職は警察官だったし、現在は行政書士もしているから、法的措置を取ることもできる」と言い放って帰った。

職探しをして条件が良い仕事を見つけたが、神経科の医師からは「夜の仕事は止めたほうがよい」とアドバイスされていたから、借金を返すことに重点を置くよりも将来をまず先に考えたほうがよいと結論を出し、泣く泣く面接を断念したことや、用意するものが必要なのに金欠のため用意できずに、中区役所に相談したら「前借りをすれば良い」と言われたし、マンションに住む問題児のパトロンから、言いがかりをつけられたので採用が決まっていた仕事さえも断る羽目にもなったことを、そいつは知らないで勝手なことばかりを言っているのである。

自分がまるで正義の使者だといわんばかりの態度に、ボクは激怒して「それなら、おまえを越えてやるよ」と考えて、まずは職を探して返すものを返すことから始めようと、職探しのために電話を掛けまくった。

結果、アルバイトの面接をしてもらうことになり、先方が人が足りないのもあり、即採用ということになったのです。

2022年6月22日=ボクの58回目の誕生日から、再びアルバイトを始めることになりました。


初日は舞阪中学校にある50メートルのプールの掃除をしたのだけれど、それほど疲れることもなく仕事をこなせました。

副社長に「仕事に支障はありませんでしたか?」とたずねると「よくやってくれました」と言われたし、熱中症にならないようにと冷たく冷やした飲み物も「喉が渇いたら飲んでもよい」と用意してくれていたし、お昼は天ぷら定食をご馳走してくださいました。

2日目はマンションの清掃をやりましたが、やはり問題なくこなすことができましたし、2日間通して働いてみて、なにより良かったのは同僚に[気さくな人が多い]ということです。

今までリア友がほぼいなかったから、同僚には「ここぞとばかりに」喋り巻くったけど、それでも嫌な顔一つせず話し相手になってくれましたし、社長も生活保護を受けていると、働いても手にできるお金が15000円にしかならないことを心配してくれましたからね。

だからボクは思いきって生活保護を抜けることを決意し、社長にも告げました。

生活保護を抜けると医療費は自己負担になるし、住宅手当も出なくなるけど、ボクには障害年金があるし今住む不満だらけのマンションから他のマンションを探して移ることもできますから、自由を手にすることができるのです。

そうです、誕生日がボクにとっての新たな旅立ちの日となったのです。

7月の生活保護費を手にするのを最後に、行政のお世話になることから、さよならするのです。

お世話になった方もいれば、迷惑をかけられた人もいますが、長かった生活保護から抜け一人立ちする時がきました。

社会福祉協議会にもいろんなひどい目にあわされたけど、そこともお別れしましたし、これからはすべて自分でやりくりしていくことになります。

今までお世話になった方々に報いるためにも、頑張りますよ。

天竜区の区役所の人たち、天竜郵便局の人たち、就労支援継続B型とA型の作業所のスタッフさんたち、みなさんにお世話になったことは決して忘れません。

それからここに書くことはできないけど、他にもボクを支援してくれた人のことも、忘れないつもりですし、数多くのnoterさんたちからの応援もボクを変えるきっかけになりましたから、ここで感謝を伝えます。

「もう絶対ダメ」なんて、思ったら負け!だからagain again、何度でもtry again!


決して後戻りはしませんから。



この記事が参加している募集

自己紹介

スキしてみて

ブルーライト浴びすぎてないですか? ファミコン1日1時間、パソコン1日好きなだけといいます。 そんなに書けないけど・・・また読んでください。