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50日間異国人と一つ屋根に暮らす

このタイトルはちょっと狡い。些かキャッチーを狙った嫌いがある。しかし、Xにポストして、こちらを読んで欲しい下心もあるので、許してほしい。

さて、異国人というのは、留学時代に指導教官になってくださった大学教授の娘で、同い年、40年来の友人のドイツ人である。教授とその娘である友人の2人は、ここにはとても書ききれない、お世話とご尽力を私の留学中にしてくださった。お二人のお陰で、博士号を取得し、その後の30年間に渡る企業での研究所勤めの基盤を得たのだ。

大学を離れ、社会人になっても、先生と彼の娘である友人との交流は続いた。私がドイツに滞在しているときは先生宅を何度も訪問し、友人とは色々と遊んだ。日本にいる間はクリスマスカードを交換した。

しかし2015年に先生はお亡くなりになった。ドイツ滞在中だった私は勿論葬儀に参列したが、あれ程お世話になった先生に何の恩返しもできなかった後悔は深かった。
ドイツ滞在中に両親を相次いで亡くし、2015年に先生が亡くなり、大事な人たちに恩返しの出来ない状態ばかりが続いた私は、自分が情けなかった。

2016年に本帰国し、数年間更に日本での研究職を続けて、退職した私は、このどうしようもない後悔を何とかしようと、今や遥か遠くになった友人と話し合った。コロナ禍で退職後も数年待たなければならなかったが、やっと本年の春に、彼女を日本に招待することに漕ぎつけたのだ。

コロナ禍で望まない準備期間の長期化で、かえって細やかな事前調査が出来た。単独で、近場から日帰り範囲内の興味深そうな、有名無名の訪問候補地を訪れ、資料を、できれば英語版を集めた。
体験型の観光を出来るよう、例えば地元の弓道場の見学(日本の弓を引かせてもらった)とか地酒の醸造所の見学(テイスティングも含む)、地元の愛好会が指導する一閑張りの和風バック作り二日間コースを申し込み(日本語を全く理解できない彼女のため、先生方が寄ってたかってご指導くださり、素敵な和バックを持ち帰れた)、地元名産の高級な紬の着物を、公共の施設で着物のクリーニング代だけで、専門家が着つけをしてくれる催しにも申し込んだ。

いとこが大変親切にも、ある海岸沿いの別荘を8日間も私たち2人だけに貸してくれた。

生まれて初めてドイツから日本に来るのに、京都奈良を外すのもあり得ないので世界遺産の姫路城も加えた、盛り沢山の関西旅行も旅程に組み込んだ。
前述とは別の、関西にいる二人のいとこたちが、それぞれ時間を作って、大阪案内、奈良案内をしてくれたのは、本当に有難かった。

事前に聞いておいた彼女の日本観光の柱は、植物の観察と日本の木造建築を見ることだった。父親が植物学の教授であった影響もあるのだろうが、彼女も大学院で植物学を修め、大変な知識の持ち主なのだ。

だから日本での滞在では、寺や神社(どちらも木造建築であることが多い)だけでなく、内部に入館できる古民家や木造の記念館をできるだけ盛り込んだ。
また日帰りできる植物園は全て行った。二度行った植物園もある。植相が異なるので、家の周り、低山、田園地帯、河原、湿地帯、海岸沿い、寺や神社の敷地内、国立公園や県立公園内のハイキングコースで、二人とも携帯電話でだが、それぞれ何千枚もの植物写真を撮影した(同定は大変だった)。

経済的な理由もあり、関西旅行・鎌倉旅行・いとこの別荘滞在以外は自宅に泊まってもらった。

いくら親友同士とは言え、50日間も朝から晩まで一緒に過ごすのは、友情の終焉の可能性が大である。だから、どこでも個室を用意し、自宅では彼女専用の部屋と私が寝る部屋の間にはドアが3枚あるようにした。いとこの別荘でも、ホテルでも、全てお互い個室となるようにして、夕食後は早々に自室に引き上げられるように気を配った。

一番問題だったのは、彼女が水中の動物を一切食べないことだった。魚類・甲殻類(エビ・カニ)・軟体動物(貝類・イカ・タコ)・棘皮動物(ウニ・ナマコ等)全て食べないのである。アレルギーではないが、兎も角食べないと言う。海藻はOKだそうだ、植物だから。
説得は無理なので、カツオ出汁の話をした。魚からの出汁が駄目だとすると、日本料理は困難を極める。形は一切なく、アミノ酸のスープとしての使用なのだからと、ここだけは納得してもらった。
それでも、いとこに貸してもらった海岸に近い別荘滞在中は、形ある海産動物を避ける食事を毎回探すのは本当に大変だった。

第二の問題は、二人のペースの違いだった。友人は、一際ゆっくりと見学し、じっくりと眺め、丁寧に作業をし、味わうべきものを味わう。一方の私は、彼女と比べると、せっかち極まりない。
例えば、お寺を見学するとしよう。英語の説明板がないとすると、日本語の読めない友人のために、極かいつまんで翻訳し、加えて、この場にふさわしいと思われる知っていることは全部ドイツ語で伝える。しかし、とてもじゃないが彼女のペースに合わせて見学すると、私の精神がねじれてしまうので、彼女が迷子にならないようにだけは気を付け、前に行き見学、後ろに戻りと歩き回り、彼女が一通り見る間に、大概全体を3周はしてしまうのである。
ここは双方向からの歩み寄りが必要だった。私は出来る限り彼女のペースを尊重し、次に時間の決まったプログラムが入っていたり、他人との約束があったり、閉館時刻が迫っている時だけ、知らせることにした。ツアー旅行じゃないのだから、個人の好みを出来るだけ生かした旅行体験をしてほしい。
一方で彼女は、せかせかと動き回り、いちいち時刻について細かく知らせる私に、最大級の忍耐力を以て接してくれた。予め約束した時刻に遅刻することは1分1秒もなかった。これは失礼ながら、彼女の普段の生活ぶりを知っている私には、驚異的なことだった。

彼女との50日間で得た私の宝物は、二つある。

一つは、日常の何でもないことに対する新鮮な驚きだ。
彼女にとっては、私たちの普段も全て「エキゾチック」だ。
例えば、彼女は町ごとにマンホールの模様が異なることに気が付き、自ら「マンホール女子」となり、行く先々でマンホールの写真を集めだした。私は夢中になっている彼女が車に轢かれないよう、見張り役だ。
また道路工事の際、歩道を外れる歩行者を誘導する鉄パイプの装飾的留め具にいたく感心して、これの写真収集を始めた。
彼女の行動は、普通のことに感動することを忘れている私にとって、素晴らしく新鮮だった。慣れと傲慢さで、無感覚になりつつある自分が恥ずかしかった。

二つ目は、壊れなかった友情だ。
先にも述べたように、旅行で壊れる友情関係は多い。日本では成田離婚なる言葉さえあるくらいだ。異なる国籍で、育ちも考え方も好みも性格も違う2人の人間が四六時中同じ屋根の下にいるのだ。
友情が続いているのは、ひとえに彼女の忍耐力のお陰だ。私もドイツで合計すると15年間生活し、また、あちこちの外国に出張しているので、異国でのストレスがどういうものかについては身をもって知っている。
彼女はアウェイの状態で、知恵と思いやりを駆使して、日本旅行の体験が、二人のためになるように最大限の努力を払ってくれた。
この年齢になると、一生続く友情関係というものが、何物にも替え難い宝石ということを、知っている。
彼女の健康の次に大事だったのは、友人関係の継続だったが、彼女のお陰で成功した。

先生の葬儀で感じた恩返しが出来なかった後悔が無くなるはずはない。
でもほんの少しだけ、この旅行が罪滅ぼしになってほしい。

最後に、この友人との旅行に、温かい協力をしてくれた、3人のいとこのお姐様方に、深く感謝を捧げる。




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