新しい共感のカタチ

仕事も、生活リズムも、住んでいる場所も環境も、置かれている状況もそれぞれな私たちは「大変さ」に対する共感を求めることをやめた。

「大変さ」に共感を求めてしまうと、共感する側は「自分の方が大変だよな」と思ってしまうし(少なくとも私は思う)、それがきっかけでケンカに発展することも想定されうる。

私には私の、彼には彼の「大変さ」があって、前述の通り環境が違う以上、どちらかがより大変ということは比べようがないのだ。
そこで、私たちは相手の「大変さ」に着目するのではなく、それをしている「相手」に重きを置く捉え方に変えていった。そしてさらに、「大変だった」を主張するのではなく、「がんばった」ことを主張するように変わっていったのだ。


もともと私は褒められたがりで「○○がんばった私えらい!」みたいなLINEを平気でいれていたし、モノによってはスルーされることも多々あった。一方で彼は、自分のことをえらいなんて言う人ではなかったし、私みたいな褒められたがりでもなかった。

ところがある日私が送った「今日の仕事耐えたし、どう考えてもえらい!」というLINEに「それは完璧にえらい」と返信が来たかと思えば「俺もやばいと思っていたプレゼン上手くいったから、えらい」と「がんばった」を主張する内容が送られてきたのだ。
私もすかさず「それは本当にえらい!よかったね」と返信を返した。そこからの私たちは、お互いに「がんばった」を主張し、聞いた側は「えらいね!頑張ったね!」と称賛を送る。何気なく始まったことだったけれど、たくさんのメリットがあるように思える。
「大変さ」を主張したのに「改善案を提案されてイライラ」という話はよく聞く話だけれど、私たちも例外ではなかった。かといって、ただただ共感されるだけなのも生産性なくて辛い…、と非常にめんどくさい性格の私。「大変だったから聞いてほしいけど、それによってイライラしたり悲しくなったりしたくないな…」と話すことに躊躇いが出てしまい、話せないことで溜めこんでイライラ八つ当たりになってしまったこともあったし、話したら話したで打ちのめされることもあり更に落ち込む悪循環に陥ってしまったこともあった。
この八つ当たりや悪循環がなくなったことが一番のメリットだと感じているが、他にも「自己肯定感の向上」や「次も頑張ろうという意欲」にもつながっていると思う。


 人が共感を欲しがる一番の理由は肯定と承認だと私は思う。誰もが欲しいそれを、もっとストレートに表現できる時代が来たら人間関係はもっとうまくいくかもしれない。少なくとも男女の関係においては、ケンカを減らし円滑なコミュニケーションの一助を担えると実感している。
「大変さ」の主張から「がんばった」の主張へ、そして認め合いの姿勢へ。
彼との関係に限らず、心がけていきたいものだ。

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