ある川の川土手にて

春の川土手は、とても過ごしやすい場所になる。
 川土手にある、満開の桜の木の下に座って、お花見気分でセブンイレブンのおにぎりを食べてもいいし、穏やかな風の中を、ぶらりぶらり川沿いの遊歩道を歩いてもいい。
 そして、僕のような四畳半のアパート暮らしにとって、狭い部屋で過ごすより、晴れた日には、川土手で過ごす時間が多くなるのも当然のことかもしれない。

 僕の一日は、夜中の三時に始まる。僕は、天野ベーカリーというパン屋さんで働いているので、朝は早い。
 まず、布団をたたんで、リュックサックに手作りのおにぎりを詰め込んで、水筒に水道水を入れると、準備は出来上がり。
 そして、アパートから飛び出て、アルバイト先の天野ベーカリーに向かう。

 お昼すぎに仕事が終わると、その帰りにいつもの川土手に寄っていた。

 ちょうど、阪急電車の高架下を通って、すぐにお気に入りのベンチがある。

川は小さな川だが、水が澄んでいて、大きな鯉もいるし、小魚もたくさん泳いでいる。川土手は朝早くからジョギングする若者や、散歩をしているお年寄りも多いし、休みには子どもたちが野球をしていたり、とても賑やかなみんなの憩いの場だ。

  そんな場所に座って、持ってきた文庫本を読んだり、日記を書いたり、おなかが減ったら、おにぎりを食べたり。僕は自分の部屋にいる時のように、とても心穏やかなままここで過ごすことができる。そんな場所が、住んでいるアパートの近くにあるなんて、本当に神さまに感謝したいくらいうれしいことだ。だから僕の毎日は充実していた。
 ときどき、この気持ちを誰かに話したい、と思うこともあったけれど、僕には大阪に友人もそんな話のできる人はいない。

  僕は、山口の田舎町から、酒乱で僕に暴力をふるう親父から逃れて、大阪にやって来た。親父は、二年前、母と離婚してから酒に溺れるようになっていた。僕はその時、大学二年生。二十歳だった。
「このままでは殺されてしまう。逃げなきゃだめだ。大阪なら親父も追いかけてこないだろうから、そうしよう」
 そう自分を説得して、ほとんど夜逃げのように、親父の眠っている夜中に、できるだけ持てる物だけ持って逃げて来た。
  僕は、持っていたリュックサックに預金通帳と衣類や食べ物を詰め込んで、必死に逃げた。最寄りの駅から、大阪行きの朝一番の新幹線に乗った。その田舎町が遠くになるまで、怖くてたまらなかったけれど、岡山を通過した時やっと安心して、持ってきたおにぎりを食べた。

  大阪に着いても、親戚もいないし、知り合いもいないけれど。

  とりあえず、郊外なら家賃も安いかと思い、阪急京都線に乗って、茨木市駅で降りた。なんだか僕の住んでいた町と似ていた風景が見えたからかもしれない。幸い、不動産屋さんの親切な人に保証人無しでもかりれるアパートを紹介してもらい、住む場所が決まった。
  そしてしばらくはこの町に慣れようと思って、貯金したお金がかなりあった。それで、川の川土手で過ごすようになった。
  しかし、引っ越したばかり。お金は飛ぶようにどんどんなくなっていった。そこで僕は、今住んでいるアパートの近くの天野ベーカリーで、アルバイト募集の張り紙を見つけて、幸いそこで下働きの仕事をさせてもらうことになった。

  店主の天野さんは、僕の小学校の担任の先生に似ていた。そのことも僕のこころを安心させた。四十代くらいで所々白髪の混じった坊主頭。穏やかな顔つきで、こころからおいしいパンを周りの人に届けたい、そういう雰囲気が伝わってきた。僕は、ここで一生懸命、働こうと決心した。天野さんは口癖のように「俺は、パン作りが大好きなんだ。だから君にも楽しんで仕事をしてほしいから頼むよ」と言ってくださった。

  天野ベーカリーは、遠方からもわざわざ買いに来る人がいるほど人気があった。一緒に働いている職人さんたちは、それを誇りに思っていた。だから時々怒られても、僕は落ち込まず、同じ失敗をするまいとまた頑張った。

  僕は、ベーカリーで働くようになっても、仕事帰りには、いつも安威川の川土手に行った。そこのベンチで寝転んで青空を眺めたり、いつの間にか眠ってしまっていて、夕方になってしまうこともあった。
  どんなに疲れていても、川土手に行くと、こころが休まって、この大阪にだんだん自分が慣れていくのがわかってうれしかった。

 それから一年がたった。やっと仕事にも慣れて、周りの環境にも慣れた頃。

 いつもの通り、仕事帰りに川に寄って、アパートに帰ると、僕の部屋の前に誰かが座り込んでいた。

  僕の親父だった。僕はとっさに怖くなって逃げようとした時、親父は立ち上がって、
「和史、やっとお前を見つけられてよかった。もう酒は飲んでいないからここで少し話をしないか?」
と言った。
  親父はどうして僕の居場所がわかったかは言わなかった。捜索願いを出したのかもしれないし、探偵に頼んだのかもしれない。

 震える心を落ち着かせて、僕はそのまましゃがみこんだ。親父は話し始めた。
「おまえには本当に悪いことをした。許してくれ。若いおまえの人生の邪魔をして悪かったと思っている。わしは、この前、市の健康診断の検査でわかったが、肝臓がんの末期だと言われた。手術をしても手遅れだと言われたんじゃ。それで最後にお前に伝えたいことがあってやって来た。ひとことことわりを言いたかった。わしは、もう長くは生きれまい。でもいままでおまえはわしの希望だったことを伝えたかった。信じてくれないかもしれないが、おまえがいたから、いままで生きてこれた。本当に感謝している」
 親父は苦しそうに真っ青な顔をしていた。そして僕の目を見て、泣いていた。

 それでも僕は何も言えなかった。しばらく二人で向かい合っていたが、親父は、じゃあな、というように去って行った。

  それから一か月後。僕が安威川の川土手のベンチにいた時、携帯電話が鳴った。警察からだった。親父が、家でひとりで死んでいるのを、ガス料金の請求に来た係員が見つけて通報したこと、そして遺書があったこと。それだけ聞くと、その後、警察官がしゃべった話は耳に入らなかった。僕はただ茫然としていた。いつの間にか電話は切れていた。

 親父が死んだ。僕は、子どもの頃に戻ったかのように大声で号泣した。

 川土手を散歩していたひとが、心配してタオルをかしてくれた。そのタオルで涙を拭いても拭いても涙は止まらなかった。

 どうしてあの時、親父の後を追わなかったのか、悔やまれて仕方なかった。あんなにしんどそうだったのに、一言やさしい言葉のひとつも言えなかったことを悔やんだ。それで涙があふれて止まらなくなった。

 その時、川の瀬の音が聞こえてきた。そうだ、僕はいまあの川の川土手にいるんだ。涙を拭いて、川辺を見た。すると白鷺が立ち止まって、僕の方を見ていた。そして天を見上げるように、白鷺は頭を空の方に向けた。僕も空を見てみた。

 そして、空を見ると、いつもの澄み切った青空で、親父が、じゃあな、頑張って人生を生きろよ、と言っているような気がした。白鷺も飛び去って行った。

 


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