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2023/10/8、岐阜県山県市での「秋の踊り会&2023年下駄供養」で踊ってきた。

2023/10/8、岐阜県山県市での「秋の踊り会&2023年下駄供養」で踊ってきた。

Hさんと小夜会の皆さん

この踊り会は、郡上おどり・白鳥おどりを歌とお囃子にあわせて踊り、また白鳥等の拝殿での踊りを、参加者同士が歌を掛け合いながら踊るのをメインとした踊り会だ。とは言えそれのみならず、合間合間では録音音源でも踊る。

岐阜や愛知の盆踊り愛好者界隈は、郡上おどり・白鳥おどり、拝殿踊り等が好きだという人と、録音の盆踊りが好きという人とそれぞれいるが、この回は前者を中心としながらも、どんな盆踊りも大好きな踊り助平、踊り猛者が集っていた。

私は踊り仲間のMさんに岐阜駅で車に同乗させてもらい、そこから一時間かからないくらいで会場の「伊自良ふれあいさわやかドーム」に着いた。雨模様であったが会場は屋根付きの広々としたところで、少し肌寒い程度で踊るのには最適な気候だった。13時過ぎに踊りがスタートした。

この踊り会は、歌好きで踊り好きのHさんが主催する踊り会だ。

Hさんは岐阜西濃の揖斐地方のご出身で、毎年10月頃に揖斐の区域の半屋外のステージ型施設にてこの踊り会を催している。例年使っていた施設が工事に入るとのことで、今年は場所の異なる山県市の施設にて催されることとなった。

郡上八幡や白鳥おどり、また白鳥の拝殿踊りなどに足繁く通われているHさんは、愛知一宮などの踊り会にも参加されて名古屋などでの現代曲の盆踊りにも大変親しまれている。まだ30代前半と若い方だが経験値は高い。

特筆すべきは踊ることより歌うことがとても大好きな方というところで、郡上八幡や白鳥おどり、また岐阜県各所の拝殿踊りでの即興の掛け合い歌の遊びを大変好まれている。様々に歌の文句も通じており、口説きや祭文、経文などへの造詣も深い。

かけあい歌の踊り文化は今日の岐阜県には比較的多く残っている。郡上地域の寒水や大和、特に白鳥各地の拝殿踊りは今も盛んである。西濃の根尾や徳山の踊りなど含め、東京にはいくつかの愛好家グループがあり彼らが盛んに岐阜の現地に出向いたりしていて、東京での有志の歌と踊りの会がいくつも開かれている。

私自身は拝殿踊りに行ったことはなく、というのも自家用車を持たない私は名古屋から通うことがままならない。この日の山県市での踊り会も自動車でしか向かえない場所で、私は行けないことを残念と思っていた。しかし渡りに船というべきか、前日の名古屋での盆踊りで会った踊り仲間のMさんのご好意で、車に乗せてもらえる運びとなり急遽行けることとなった。Mさんに感謝してもし尽くせない。

さて、ではなぜ行ったことのない拝殿踊りの文化に私が多少なりとも触れられるかと言えばこれもHさんのおかげだ。Hさんが音頭を取り、名古屋近郊の歌い好き踊り好きが集って月に一度、名古屋市内の公園でとても小さな踊り遊びが催されている。たまたまその公園が私の住まいのすぐ近くであることで、自転車で向って混じらせてもらって私も踊っている。

さて「秋の踊り会&2023年下駄供養」でのお囃子担当は、岐阜県飛騨金山を拠点に活動される「小夜会」の皆さんだ。

「小夜会」はご家族を中心に編成されるお囃子会のようで、小学生と中学生くらいの二人の子供さんも、大変伸びやかな声で歌われる。男性二人が三味線と歌を担い、子供さんも三味線や太鼓も演奏する。ちなみに小夜会の皆さんが白鳥や根尾などの各所の拝殿踊りで歌われているのを、私はこれまでSNS上でいくらかお見かけしていたのだが、このときはじめて皆さんの歌を生でお聞きすることが出来た。時間が足らず今回はあまり披露されなかったが、郡上八幡や白鳥などとはまた異なる区域である飛騨金山の祖師野において、かつて盛んだった拝殿踊りを小夜会の皆様が中心となって今年に復活させ催された模様も、私はSNS上で拝見していた。

更にこの日は岐阜各所の踊りのみならず、滋賀県高島市から高島おどりの方々が来られ、高島の踊りを踊った。踊り指南を勤められた江頭ゆかり先生のレクチャーとともに三曲を踊った。私は今年の7月に初めて近江今津へ「高島おどり」を踊りに行き、高島の各集落の踊りの面白さや、江頭先生の講習術に圧倒され、大変な魅力を覚えた。

江頭先生レクチャーによる高島の踊り

それらの各郷土の踊りが踊られる合間合間に、Hさん盟友であり、踊り、太鼓、歌、司会、PA、各種方面とのコネクション、その他裏方雑務諸々含めて盆踊りにまつわる何もかもをこなす東海圏盆踊り会の若きオールマイティであるNさんの仕切りによって、録音盆踊りタイムが差し込まれた。

日永つんつく踊、江州音頭、河内音頭、ダンシングヒーロー、恋のダンスサイト、平和音頭、磐城やっちき、伊勢じゃこっぺ踊り、岡崎えびすくい音頭などなど、スタンダードからマニア向けまで、この時間帯で私は体を絞り倒してしまった。

終盤は拝殿踊りでのかけあい歌をたのしみ、17時頃に一旦お開きとはなるも、会場が19時まで使用が可能ということで、片付けを挟みつつ踊りたい人は残って踊り続く。

そこからはまたNさん仕切りによる録音盆タイムの2ターム目がスタート。

高輪ゲートウェイ、にんじゃりばんばん、アンコールでまたまたえびすくい音頭も踊るし、声出して叫ぶ。

Nさんの機材の片付け作業も挟まるが、片づけがひと段落着いたところでスマホと中型スピーカーだけをBluetoothで繋いで音出せば、みんなは踊り出す。

走り回る鹿島一声浮立、叫び散らかす桐生八木節、飛んで喜ぶマイムマイム。

走らなくてもいい踊りを走り回ってスタミナを使い果たし、そしてまたすぐ踊るという、踊り助平にしかわからない自助会めいた様相を呈した。

さてHさんは本職が僧侶であり、経典や仏事のみならず民俗習俗にも造詣深い。そうした趣向からこの踊り会の名称は「下駄供養」というお題となっていて、実際に儀礼に則って下駄が供養される。下駄にまで魂が宿り、下駄もが成仏する(集まった下駄は供養ののち、年の瀬の12月30日にHさんの所属寺にて餅つきのカマドの薪となり、一切無駄になさらないとの事)。

読経であったり唱和であったりまた念仏踊りなど、踊り歌や踊り行事と仏教行事とのかかわりは深い。しかし難しい理解でなく、夏の期間に踊りで履き潰した下駄を慰労して供養するのは、それだけ踊った自分自身や踊り仲間の労いや、楽しみを分かち合う気持ちであろう。

白山麓一帯の踊り行事は白山信仰との繋がりで論じられることも多いが、信仰という広範で抽象的な概念を用いずとも、歌や掛け声と踊りで生じる心理的な一体感、その一方で立ち上がる極めて個人的なトランス状態の心的作用が重なり合う。もしかすれば五蘊、三昧などの心身を分析する仏教概念についても、踊ることが理解の深まりに効果的かもしれない。

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