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掛け合い歌を歌える人はなぜ歌を覚えて歌えるのか?

掛け合い歌を歌える人はなぜ歌を覚えて歌えるのか?

私は岐阜の拝殿踊りなどの掛け合い歌の行事や習俗の場に赴いたことがない。
先日に友人に誘っていただいた、岐阜揖斐地方の「灯籠まつり(ションガイナ)」が、比較的掛け合い歌行事と類似する民俗行事であると言えよう。
また家族的類似との解釈でみれば、奥三河の花祭りなどには私は複数回赴いた経験がある。

さて東京や岐阜、名古屋などでは愛好家同士でサークル活動的に掛け合い歌遊びを実践する集まりがいくつかあり、私は名古屋での集まりに一年前ほどから参加している。ただし私は踊ったり囃すくらいしかできず、歌うことは一切できない。

私の体験、また集まりに参加する方々の様子を観察すれば歌が覚えられない理由は明確で、端的に覚えなければならない義務がない。
自分が歌わなくても歌う誰かがその場にいるから、義務感も責任感も発生しない。なので覚えない。

稽古や講座であれば先生がいて課題が与えられ、ある期間までに覚えなさいとのノルマが発生する。
先生が怖いとか怒られたくないなどもあるかもしれないが、多くの人は覚えると約束した以上は破りたくない気持ちとなるから、覚えようとのモチベーションが生じる。
社会生活をスムーズに送ることができる人の多くは、約束を破ることが日常生活で素朴に不利益となるのが染み付いているから、何であれ約束をしたならば極力守ろうとする。それこそが義務感や責任感というものだろう。
約束したなら守らざるを得なくなる、という人の習性を利用し、何かを達成するためにあえて誰か他人と約束する機会を設定するというのは、問題解決のための処世術のひとつである。

誰かからノルマを課されなければ、誰かと約束をしないならば、自分自身にノルマを課して自分自身と約束することになる。
自分が自分に課した約束を守るには強い信念が要る。これができる人は強い人間だ。誰もができるものでないだろう。
またはアブラハムの宗教を信仰する者のように、神と約束することで自己に課したノルマや約束を守ろうと強く動機付けがなされることもあるだろう。

とはいえ単純な話で、好きなら覚えられる。
ただし好きになるには工夫が重要で、とにかく接触する機会を設けるのが肝要だ。元々大して好きでないものであっても、接触頻度が高くなれば好感を抱くことはままある。
また、好きとの感覚がなくともそれが習慣となっていったならば、やることに躊躇いがなくなり、またやらずにいるのが不快となってきたりで、実践を重ねていくうち覚えていく。

人間は脳の構造上、覚えるという行為はストレスフルではないはずだ。文字の発明は数百万年の人類史ではつい最近の出来事で、文字の発明から何万年が過ぎたとて、近代に入るまで人類は膨大な物事を記憶するのが生存上で当前のことだった。
だけども現代生活では学業や職業生活において、覚えるという営みがノルマ、義務、責任とあまりに強固に結びついており、ノルマ、義務、責任が発生しない以上は覚える意欲も湧きたたない。
またノルマ、義務、責任によって何かを覚えてきた過去の経験がいくつも負のストレスとして記憶にこびりつき、覚えることそのものに条件反射的に億劫さを覚えてしまう。
また、IT社会化以後は各種の電子媒体によって人間があらゆる暗記から解放されているのがもちろんあるので、何であれ暗記するのが非効率で時間を浪費する行為である、と直感的に捉えて避けがちだ。

結論で言えば、私が掛け合い歌を覚えるには、誰か先生についてノルマを与えられるか、触れる頻度を極力高めて単純接触効果で好きになる度合いを高めるか、そのどちらかが現実的近道だろう。
文化が紡がれた土地に足繁く通う、もしくはその土地に移住して風土と習俗と私の日常とを同一化させる、もしくは習俗と結びついた信仰に帰依するなどの選択を取れば、もっと近道であろう。しかしそれは現実的な判断となり難い。

またこれはやや極端な捉えなのかもしれないが、名古屋(それも比較的都市中心部)に暮らす私が岐阜山村の文化を愛好するとの態度には、どうしても自省や罪深さを覚えるところもある。
西洋での民族学や人類学がどのように植民地支配による蹂躙と簒奪の歴史と表裏一体となってきたかは、誰もが知るところであろう。
日本民俗学を立ち上げた柳田國男がそもそも、近代政府高官として東アジアでどのような職務にあたっていたかを知れば、文化侵略、文化侵犯、簒奪、略奪、征服、侵略、植民地思想、同化、断種、ジェノサイド、民族浄化などの用語は容易に連想できてしまう。

誰がどの立場でどのような文化をどのように愛するかにおいて、そこに躊躇いと逡巡を覚える過度な感覚過敏こそが大切だとの理解の努めを、私は私に課している。

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