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2023/7/23 第11回高島おどり 雑感

滋賀県高島市、近江今津駅前で催された、第11回高島おどりへ行ってきた。

岐阜県の郡上・白鳥おどり、徳山・根尾の盆踊り等を愛する方々、また関西の江州・河内音頭等を愛する方々、それら双方の踊り好きが高島おどりに注目しているのを、私は体験者から直接話を伺ったり、SNS等で以前より拝見していた。いつか訪ねたいと内に潜めていたがこのたび念願叶い、パートナーと共に現地へ伺うことができた。

高島おどりのことは、数年前からWEB上でちらほら目にしていた。クラウドファウンディング活動やyoutubeの踊り教則動画のクオリティなど中の人の玄人感がひしひしと伝わって、発起人である大西さんや踊り指南者の江頭先生など、WEB空間のみから見ても、逸材揃いなチーム感に只者でなさを覚えていた。

さて、私個人的には、高島市の民俗芸能に以前より関心を持ち眺めていた。高島市の民俗芸能には「朽木古屋六斎念仏踊り」というものがあるが、私が大変お世話になっている研究者の武藤大祐さんが調査し、論文にまとてめていて私も読んで大変影響を受けた。過疎高齢で継承の引き受け手がいない念仏踊りを、都市部で活動する演劇・パフォーマンスアーティスト達に継承する、との斬新なプロジェクトである。継承者として加わる方々も、私の友人知人の知人たちというくらい、私からみても比較的近しい方々が携わってられる。

また琵琶湖湖西の範疇で見たとき、一昨年の2021年に私は、湖西線志賀駅の琵琶湖湖畔を舞台に実施した野外劇に作劇として参画したものだから、湖西について親しみを覚えて湖西文化をもっと知りたいと思っていた。

さて本題である高島おどり。
深い山間から琵琶湖湖岸の平地まで、様々な地形を包括する高島市には様々な地区の風土がある。高島市内各地区は、かつてそれぞれ盆踊りを賑わせていたが、過疎高齢化は著しく祭りの継続が難しくなっていった。そうした状況を変えたいと、世代を超えて地区を越え人々が手を取りあい、東日本大震災後の2012年、高島市内の各地区合同盆踊りとして第1回の高島おどりが実施された、との話だ。

踊りの質感を記したい。
高島おどりは高島市内の風土様々な各地区から、7つの踊りがセレクトされている。7つの踊りは所作に共通する部分もあるが、かなりばらばらな印象が濃い。
「この動きは江州音頭に近い」「これは河内音頭っぽい」一方で「これは根尾だ」「これは郡上っぽい」など、美濃と近畿の踊りがマッシュアップされて出来上がった踊りシリーズのよう。もちろん他にない所作や動作がいくらもある。
「鯖街道」拠点であり、歴史を通し街道要衝であり続けた高島市は、近畿にも美濃にも通ずる場所。今津港から琵琶湖を渡れば大津、長浜いずれへもすぐ辿り着く。

高島の踊り手はみな下駄履きで踊った。それに習い私も下駄を履いて踊った。「この踊りは下駄ではなく草履がしっくりきそうだ」とか「これは下駄の重みがあってこそ決まる動きだな」とか、草履を基本とする江州・河内音頭の所作と、下駄を基本とする美濃の踊りの所作と、それぞれ含まれているような印象を受けた。
足をチョンと床に付けるかつけないかして後ろに下げステップ踏んだり、ツーステップ的動きがあったり、手を三回叩いたり、下駄でしっかり地面を叩き音を響かせると小気味よく踊れたり、様々な動作があった。

音楽的な面では、歌の節回しや太鼓のリズムに江州・河内音頭の影響が濃く見えた。寄席の大衆演芸となった江州・河内音頭は、浪曲や尾張万歳などいくつもの演芸を貪欲に吸収し、客受けするメロディラインや節回しをこれでもかと洗練させた演芸であるので、娯楽の極みとしての完成度は高く、方々に影響を与えやすい。レコードを数多記録してもいるのだし。
また、近代以後の道路鉄道の交通インフラ整備後は、高島市は京都・大阪とつながりを富に強くしただろうし、京都大阪に進学や就職する人々が増えたことだろう。

高島おどりにおける踊り指南、踊り見本について述べたい。
前述したように、YouTube上に高島おどりの各曲の振付指南動画がアップされている。
https://www.youtube.com/channel/UCVMkXEamWiStBwTibUJNzqw

指南者である江頭ゆかり先生が、浴衣モデル風にポージングした写真がサムネとして用いられる。踊る姿を見ると、江頭先生のどこか個性的な身のこなしや独特な振付の言語化に、目を惹きつけられる。映像に長けたスタッフがいる模様で、YouTuberとまで言わないが江頭先生のキャラが立つよう、上手くプロデュースされている。

さて現場に行ってみると、踊り指南者である江頭先生が全ての踊りの指南役を担っていた。現場には他にも何人もの踊り見本となる方々(ほとんどが女性)がおり、江頭先生はそのリーダー役に位置していた。
江頭先生はインカムをつけ、スピーカー通して踊る最中ずっと会場全体に振付を擬音化した声を送り続け(つかんでつかんでみぎななめー つかんでつかんでくるりんぱー など)、なので振付やタイミングを見失っても参加者は踊りに戻れるようになっていた。踊り見本となる方々も会場内に分散し、どの位置からも踊り見本が目に入るようにもなっていた。

実際に目の当たりすると江頭先生の物腰柔らかい雰囲気や、踊りの軽やかさなどは白眉で、踊り最中は懸命に声を発して踊り続ける様子に惹きつけられる。
この点は前述のYouTube動画のように、江頭先生のポテンシャルを運営チームが十全に理解しているようで、あえて 江頭 先生をアイドル的スター的に仕立てている。現場にはオリジナル手ぬぐいなどいくつもの物販が販売されていたが、そこに江頭先生のプロマイドがたくさん販売されていた。これについては遊び心もあるだろうけれど、 江頭 先生をあえてアイドル化し、現場で江頭先生に注目すれば踊りを楽しめると一目でわかるように誘導する装置になっている。

歌と演奏は生唄・生演奏を基本とし、歌い手は各地区の熟練から、また継承した若手世代までいた。継承者が途絶えた地区の踊りについては録音音源を用いていた。

コロナ前まで6曲だった高島おどりは、昨年から7曲目を追加した。「椋川(むくがわ)音頭」だ。椋川地域は過疎高齢が特に著しく、最後に盆踊りが実施されたのも20年も前とのことだ。
高島おどり運営チームは椋川音頭復興プロジェクトを進めた。移住者として椋川で長年活動する是永宙さん一家と地域の古老の方々と、江頭先生ら高島おどりのチームとが協働し再興した。是永宙さんは鳥取県米子出身で、姫路でフリースクール職員だった折に訪れた椋川に2001年に移住した方で、椋川でのフリースクール開設や様々な地域活動を経て、現在は市会議員も勤められ高島市議会の最大会派代表も勤められている。椋川に移住者を受け入れた土壌があったからこそ、過疎高齢の止まらない現状で是永さんや江頭先生らの協働が起こり「椋川音頭」は復興した。
高島おどり運営チームは椋川音頭復興プロジェクトの短いドキュメント動画を制作している。(https://www.youtube.com/watch?v=ZoCnRE3Pewg&t)

さてこの椋川音頭が、先述した「つかんでつかんでみぎななめー つかんでつかんでくるりんぱー」の曲だ。これは踊っていてとても小気味よく、踊れば踊るほどに楽しくなる。動画には古老の踊る姿も短いが映されており、これがとても見事。身体に踊りが刻み込まれているというより、椋川の風土や地形、環境にカスタマイズされた心身が、踊りとズレなく一致する印象を受ける。

現場には東京、大阪、岐阜各地、愛知の盆踊り愛好家の逸材が勢ぞろいしており、目、耳、体の肥えた愛好家らが高島おどりの楽しさ、素晴らしさに一同魅了されていた。また、現地の中高生と思われる真っ黒に日焼けしたキッズたちがたくさん訪れて、見様見真似で圧倒的にノリのいい身体で興奮気味で踊っていた。現代の若者がノレる動きに、江頭先生は踊りを微細に翻訳・解題している。

一度体験しただけではもちろんわずかしかわからないし、高島の山間の各地区の風土を、私自身も体験してみたいとも思った。高島には何度も訪れたい。

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