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ダンシングヒーロー盆踊りの「ヘイヘイヘイヘイ」の部分について。

名古屋市中川区の荒子観音・もちの木公園盆踊りでは、ひとりずば抜けてダンススキルの高い高校生(または大学生)くらいの少年が踊りの輪の最前にいて、その少年が仲間を引き連れて踊り、そのうねりが踊り全体を引っ張っていた。アップテンポな曲だらけのこの会場で少年はどの曲もすさまじいリズム感で踊り、特に白眉だったのが、ダンシングヒーローの「ヘイヘイヘイヘイ」のところ。

3回目のヘイのところで屈んで4回目のヘイでジャンプするアレンジをかまして、それを少年たちが周りに煽って周りが真似して、雄叫びとジャンプとでシンクロしては共鳴する大興奮。たくさんの子供がかっこいいお兄さんを真似しまくり、踊れば踊るほどに抜群に盛り上がっていった。
この会場は東海圏の盆踊り会場として非常に有名で人気があり、毎年、一宮七夕まつりで踊られる常連さんたちを含んだ踊り愛好家が何人も集結する。おそらく、一宮七夕まつりの常連さんたちが持ち込んだアレンジを、荒子の地元の少年たちがアップデートさせたように見られる。この、3回目のヘイで屈んで4回目のヘイでジャンプするやつ、やってみるとわかるのだが、単独で踊るとリズムのタイミングを取るのがやたらと難しく、上述のダンススキルの高い少年のリズム感と合図と煽りがあるからこそ、周りが一斉に合わせることができる。このダンススキル少年がタイミングとかけ声を示して、フロア全体でまさに音頭を取っている。

荒子観音・もちの木公園盆踊りは界隈では有名なA先生が仕切られていて、A先生の抜群の煽りとスキルがあるからこそ、ダンススキル少年のようなガチ者を引き寄せ、育てられてきている。今夏、そうしたスキルのぶつかり合いが見事に現場に現れたシーンがあり、ダンススキル少年が興に乗り自分にとって心地の良いテンポで踊り出していき出し、それは会場に流れるダンシングヒーロー音源の回転数とは全然合わないスピードで早く踊るものだから、A先生が2回3回と音を止めてはダンススキル少年に「音をよく聞いて踊れ!」と注意した。このA先生の行動は単純に不快で注意しているわけでなく、少年との丁丁発止が場の全体の盛り上げに使える演出だと察知し、あえてやっていたことだと見られる。このあたりのA先生とダンススキル少年との掛け合いや丁丁発止は素晴らしきプロレスで、会場の熱狂と興奮を実際にとにかく高めていた。

さて先日、複数の踊り愛好家の方それぞれからご教示をいただいたのだが、ダンシングヒーロー盆踊りの「ヘイヘイヘイヘイ」の部分については考えさせるものがある。
日本民踊研究会二代目島田豊年が1986年に振り付けた振付において「ヘイヘイヘイヘイ」部分が何を模しているかといえば、ツイスト&モンキーダンスの動きである。
これは私の想像や憶測でしかないが、60年代のツイスト&モンキーダンスの流行を直に見て体験してきた世代が、ひと世代下の「ローラー族」「たけのこ族」などの流行をふまえた上で、その頃の中年・壮年世代にとって丁度よく絶妙なふざけ加減で共有できていたというか、ツイスト&モンキーダンスの動きを盆踊りに導入することのおもしろおかしさが、専業主婦の習い事文化である民踊講習の場で内内に盛り上がっていたように思える。
一方で、流行りものの扱い方がどことなく年配者的な発想に見えるし、当時のリアルな若者は冷めて見ていたのでは、という印象をも感じさせる。ダンシングヒーロー盆踊りで取り入れられた動きは、民踊的な動きと折衷させてあるので「民踊風ツイスト&モンキーダンス」とでも言うべきか。

今日の一宮、美濃加茂、また上述の荒子観音・もちの木公園などでは「ヘイヘイヘイヘイ」の部分は、正調の民踊風ツイスト&モンキーダンスを気持ちいいくらい改変している。パラパラ風であったり指を突き出すなど、民踊風ツイスト&モンキーダンスをこれでもかというくらいきれいさっぱり消し去っている。

ダンシングヒーローから民踊風ツイスト&モンキーダンスの動きを消し去った美濃加茂の舞童は、自分たちが作ったオリジナル盆踊りにおいては、おん祭音頭やおさかな天国などでモンキーダンスの動きを取り入れている。しかしこれは大きく上下に手を振る、激し目でしっかり目なモンキーダンスで、二代目島田豊年が民踊風に落とし込んだお行儀の良い民踊風ツイスト&モンキーダンスとはまるで質感が異なるものだ。

民踊風ツイスト&モンキーダンスに乗るかそるか、がダンシングヒーロー盆踊りが発展できたかできなかったかの鍵のように思える。ある地域の踊り手に、民踊風ツイスト&モンキーダンスの動きがダサい、つまらないと強烈に感受した世代や人々が一定数いて、改変したくなるほどの拒絶や嫌悪を持ったからこそ、「ヘイヘイヘイヘイ」部分のアレンジが生まれた。民踊風ツイスト&モンキーダンスが、そこまで拒絶反応を覚えさせない程度のほどよい振付であったならば、強烈な嫌悪も生じさせずそれなりに受容され、しかし緩やかに消えていったことだろう。
「ヘイヘイヘイヘイ」の民踊風ツイスト&モンキーダンス振付部分で、踊り手に強烈な嫌悪感を覚えさせたことがかえって、踊り手たちにアレンジしたくなる動機付けを引き起こし、その後の一宮や美濃加茂での発展につながっっていったように思える。

しかし、民踊風ツイスト&モンキーダンスはなぜダサくてつまらないと知覚されたのか。ダサくてつまらないと認識された一方で、名古屋の盆踊りでは民踊風ツイスト&モンキーダンスが堅持されているのはなぜか。
団体の統率性だとか、単純に好みの違いだといえばそれまでだが、踊り手それぞれが好ましく感じる質感とは、文化的に涵養されたものか、また年齢であったり性別であったりの骨格筋肉の状態によって動きに対する心地よさが変わるからか。いずれにしろ、民踊風ツイスト&モンキーダンスに対するテーゼ&アンチテーゼが強烈にあることが発展や楽しさに、とても重要であるのを私は富に感じ取る。

2010年代半ばの平野ノラ&バブリーダンスの世相への広まり以後、名古屋の盆踊りでもダンシングヒーローがしれっと復権し、あたかも何十年間も途切れることなくずっと踊り続けられていたかのような風潮で、今日では当たり前のように何度も何度も踊られている。
名古屋の盆踊り会場の多くでは今日も、二代目島田豊年の正調の振付が踊り見本者たちによってかなり厳格に保持されている。しかし、一宮や美濃加茂の踊りを経験している踊り手が名古屋の踊りにきたとき、「ヘイヘイヘイヘイ」の部分を皆それぞれの拠点エリアの動き方で踊っている。「ヘイヘイヘイヘイ」は地域アイデンティテイを示すポイントであるのだ。

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