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2023/12/10 踊月夜「踊り助平の忘年会 〜BONEN PARTY for CRAZY BON DANCERS〜」の感想

 踊月夜さん(以下敬称略)は岐阜県美濃加茂市を拠点とする、郡上おどり/白鳥おどりを生演奏/生歌で演奏するお囃子サークルだ。愛知県や岐阜県には郡上おどりのお囃子サークルがいくつもあり、踊月夜はお囃子のクオリティに大変評判が高い。

 コロナ禍が明けた今年、踊月夜はたくさんの演奏会を実施した。岐阜県内のみならず、岸野雄一さんがプロデュースした東京墨田区での民謡/盆踊りの複合イベント「すみゆめ踊行列」にも招聘され、踊月夜の存在を未だ知らなかった関東の多くの盆踊り愛好家たちを熱狂させた。

 踊月夜の活躍はほかにもある。お盆の郡上おどりの8/15、台風直撃の警報発令で徹夜踊りは中止となってしまった。けれども徹夜踊りモードに体と脳が切り替わった踊り助平たちのエネルギーはすさまじいもので、踊る気満々で熱量冷めずで飢えた踊り助平ならぬ踊り難民たちのエネルギーのやり場がなくなるのを案じ、踊月夜は急遽で美濃加茂市の公民館で踊り会を実施した。心の底から郡上おどりを愛する人々が集結して踊った。私的な集まりであるからこそのフットワークの軽さがあり、踊り助平の心情とシンクロし合う阿吽の呼吸は、SNSと効果的にシンクロして望ましいかたちとなった。

 さて12/10に催された「踊り助平の忘年会」についてを記そう。この催しは、美濃加茂市から木曽川対岸にある可児市の公的ホール「広見地区センター」が会場となった。ここは踊月夜が普段から練習をするホールで、拠点といえる場所だ。

広見地区センター

 16時~20時までの実施時間では、事前に一般にリクエストを募って選曲した録音音源で踊るパート、メインである郡上おどり/白鳥おどりを生お囃子するパート、更に踊り好きたちが挨拶したり会話したり、情報交換をする交流パートが設けられた。
 その他、西馬音内盆踊りとおわら風の盆が有志によって余興的に実演されたりして、踊り好きたちは当然見るだけとはならず、見様見真似で踊った。休憩時間にも参加者有志が踊り曲をかけ(ほとんどが激し目)、踊ってる方が楽とのモードになった踊り助平ならではの嗜癖。

 また、踊月夜の踊り会には美濃加茂の郡上おどりサークル「舞童」の有志の方々も常連的に参加され、威勢よく踊ることで評判がある。また知多半島、岐阜市、一宮市など方々から踊り好きたちがやってきて、踊り猛者たちが同調し合い激しく踊った。

 こうした東海圏各地のエネルギッシュな踊り手が急速に集い出したのは、実は今年2023年のことだ。脱線するが、コロナ禍がもたらした東海エリア(特に愛知県と岐阜県)の盆踊り愛好家の連帯や交流の状況について少し記したい。

 2020年のコロナショックによる盆踊りの消滅と、2023年の(政治判断による)コロナ終結によって極端に盆踊りが復活したことが、結果として踊り愛好家の連帯を極度に促進した。これに大きく寄与したのは紛れもなく、名古屋市での盆踊りイベント「盆踊りフェスタ」であった。「盆踊りフェスタ」は盆踊り愛好家有志のチームが主催し、2020年から年に二度ずつ実施をし続け、東海エリア各地の踊り愛好家が繋がるハブとして決定的機能を果たしている。

 2020年、世間から盆踊りが一掃された状況から、踊れる機会をどうにか設けようといくつかの私的な踊り愛好家サークルが、盆踊りイベントを自主企画した。「盆踊りフェスタ」もそのひとつだ。盆踊りイベントが避難先となって盆踊りを愛してやまない人々が集まり、踊り好き同士が密に広範囲に交流する契機となった。2020年に胎動が始まり、2023年の爆発的な踊り愛好家の交流促進につながったように私は見ている。

 ただ盆踊りは、誰とも会話も挨拶もせず参加できる側面があったので、コロナ前の2019年まで私自身は、盆踊りの場で誰とすら挨拶も会釈もしなかった。ある意味では、日常でのコミュニケーションの煩わしさからの解放を求めて盆踊りを楽しんでいた。所縁のない地に一時的に立ち寄って踊る刹那、切なさに私は心安らいだ。けれども盆踊りがなくなった2020年は踊りたい渇望が強く、私も盆踊りイベントに参加し出し、踊り好きの方々と交流するようになった。2023年は私自身も爆発的に踊り仲間が増えた。一方で、かつてみたいに誰とも関わらずひとり黙々と踊る気楽さへの恋しさも、募ってきてはいるのだが…

 踊月夜「踊り助平の忘年会」に話を戻そう。初っ端16:00からの録音音源パート60分で体力がごっそり削られるのは、端から避けられないことだった。案の定、このパートで私は走るか叫ぶかしてばかりとなり、真冬なのに汗は止めどなく流れた。息切れしまくる録音音源パートが終わって私は滝のような汗を拭い、水分補給している間に生お囃子はスタートし、古調かわさきが流れた。

録音音源で楽し気に踊る皆様
生お囃子での郡上おどり、白鳥おどり

 私自身は郡上おどり文化と接する機会に乏しく、私的な郡上おどりお囃子サークルがいくつあるのかをよく知らない。関東などにもあるのだろうし、東海圏では過去にいくつも結成されてきたことだろう。私の知見が貧しすぎて身のない論述となるのを前提とした上で、少しだけ記させていただきたい。

 「踊月夜」「郡上八幡お囃子クラブ」「郡囃会」「雅」「小夜会」(体験順)が、私がこれまで踊りを体験したことのある郡上おどりお囃子サークルだ。
 それぞれ編成や唱法など違いがあり、当然に演者の個性も異なる。ただし具体的に何がどのように違うかを述べる言葉を私は持ってない。郡上おどりお囃子サークルについて、音楽理論や邦楽/民謡の知見から専門的分析で紐解く研究や批評を読みたいところだ。

 しかし、私のようなビギナーでも読解が試みられるヒントを踊月夜は与えてくれてもいる。踊月夜は「郡上おどり白鳥おどり両保存会のコピーバンド」を称している(踊月夜SNSページより)。つまり、郡上/白鳥おどり両保存会を手本としていることが明示されている。

 郡上/白鳥おどりに限らず「保存会」とは、地縁血縁や共同体で親しまれた習俗において、ばらばらだった無数のものを整理統合し、体系化/規格化した組織である。つまりは「正調」「型」を規定した立場だ。郡上おどり保存会の場合は1922年に発足し、健全な娯楽文化として郡上八幡のおどり文化を再構築して普及を進めた。「正調」「型」を規定したとは言えど、時代によって構成員は移り変わり、踊り手の音楽的価値観も多様化する。歴史のうねりによってダイナミックに変化変遷を遂げてきてもいることだろう。
 これはいわゆる「テセウスの船(パーツ全てが入れ替わったとしても、観察する大勢から全体の同一性を認知される現象)」で、スポーツチームやアイドルグループなどでの団体と個人の関係、またメンバーが入れ替わってもチーム/グループが同一的な集合体としてファンから認知・評価される状況と同じだ。

 では、踊月夜はどの時代のどの編成、またはどの個人を、郡上/白鳥おどり保存会のコピーすべき対象だと設定しているのか?との問いが生じる。「あの時代のあの歌い手が素晴らしかった」「あの日あの時のセッションが見事だった」といったような、踊月夜が模範とする任意の郡上/白鳥おどり保存会とは、一体何だろう。
 例えを用いるなら、プロ野球ファンにおいて「Aの時代の投手とBの時代の打者がもし対戦したらどうなるだろう」とのシミュレーションは、頭の中での妄想やコンピューターゲームの演算によって楽しむことができる。それと同じように、郡上/白鳥おどりのデータベースを参照したとき「Aの時代の音頭取りとBの時代の演奏者とCの時代の踊り手の群衆がもしも一同に会して踊りの場を組み立てたとしたならどうなるか」とシミュレーションして遊ぶのも、可能なことだろう。
 ある種の再現や、現実に存在しなかったものをデータベースを参照してシミュレーションすることはできる。それが現実的に実現できるか如何は別として、再現・シミュレーションする対象を設定することはできるだろう。

 その観点からみたならば、踊月夜が郡上/白鳥おどり愛好家からの評判が高いのは、参加して踊る踊り手たち各人の中にも漠然と言葉にならない理想的な保存会の像があって、それを踊月夜が再現・シミュレーションできているからこそ共鳴でき、だからこそ踊月夜のお囃子で踊り手たちが踊りが楽しめているのではないだろうか。
 もっと単純な話としては、「踊月夜のお囃子は郡上おどりと白鳥おどりが両方踊れるから楽しい」との言明は頻繁になされる。これはどういうことかといえば、郡上おどりと白鳥おどりは、実施される地区も踊りの内容も組織する保存会も異なっており、郡上おどりと白鳥おどりの曲が同じ機会に同じ場で演奏されることは現実的にない。その前提があるから「もし郡上おどりと白鳥おどりの曲が同じ機会に同じ場で演奏されたなら」という反事実的条件文(というよりかは願望または妄想)を作ることができる。そして踊月夜はそれをシミュレーションしている。

 このロジックから私が辿り着いた考えは、そもそも郡上/白鳥おどり保存会がやっていることも、郡上の踊り文化におけるひとつの再現・シミュレーションである、ということだ。郡上の踊り文化のデータベースははるかに広範であり、郡上/白鳥おどり保存会がやったこととは、そのデータベースから任意のサンプルを抽出して演算した結果のひとつでしかない。データベースから別のサンプルを抽出した、別の郡上/白鳥おどりは可能態として無限に在り得る。例えば「昔をどり」「拝殿踊り」の試みや、もっと素朴な掛け合いの歌と踊りの遊びなどの現代における実践は、そのひとつの例示と言えるだろう。
これも別の例えを出すなら、「歌舞伎」という文化をいわゆるプロの歌舞伎だけを指すとするのか、村歌舞伎や地芝居などの歴史や文化を含めるかで、価値の見立ては変わってくる。プロの歌舞伎が歌舞伎文化全体の一部でしかないように、郡上/白鳥おどり保存会が試みるものは、郡上の踊り文化全体の一部でしかない、ということが言える。

何においても通になればなるほどわかるものはある。一方で通しか楽しめない文化は秘儀的になりやすく、廃れやすい。
踊月夜は、お囃子の技術や公演回数の多さ、SNS発信などによって、ビギナーの参画しやすさをできる限り広げようとしているのがわかる。これも郡上/白鳥おどり保存会が試みていることと通じる。

さて、「踊り助平の忘年会」では主催者のご好意で、忘年会なのでお酒を飲みながら踊ってもいい、とアナウンスされていた。それで私含め何人かがお酒を飲んで踊ったのだが、お酒がけっこう回った遅い時間帯、白鳥おどりの八ッ坂で、私は信頼するある踊り手の後ろについて踊っていたのだがその時、私の体は勝手にその人の動きをなぞって踊っていた。
 盆踊りの多くは、同じ振付で同じ動きで踊る営みだ。私もそのように踊るのだが、踊りの輪の他者に同調したりシンクロまでして踊るのはあまり得意でない。 見ず知らずの他人に身を委ねているようで、不安となるからだ。だので私はあくまで自我を保って踊る。そうすると傍からみたとき、また後に映像などで客観視したとき、私の踊りは周囲の踊りからやや浮いた動きとなっている。同じ動きではあるが同調までしない。

 そもそもが盆踊りは狭い地域行事で、顔の知れた者同士が集って踊るならば身を委ねて全然いい。しかし、現代の盆踊りは各地から見ず知らずの他人同士が大勢集って踊るので、都市生活と同じく気軽に人と同調などできない。同じ振付はするけれど同調まではしたくない。
 私の場合は盆踊りにおいても自我を守りガードを張り続けるのだが、お酒を飲んだことでそれがキャンセルされた。かつてはお酒を飲むとふらついてうまく踊れなかったので、踊るときは飲まなくなったが、お酒は自我をキャンセルする効果もあるわけで、お酒と踊りとの関係についてを強く体感する機会となった。もちろん、飲みすぎによる羽目の外しすぎはよくないけれど。

 身を委ねて同調したいとなる踊りは、個々人間の信頼関係もあるけれども、優雅さだったり激しさだったり、踊りの質が他者に身を委ねさせることがある。見ず知らずの人の心と体を一瞬で掴むのも、踊りの面白さである。


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